玉置神社、参拝してみた【台風が来ております】 | 週刊じんぎかん〜神祇伯の神社放浪記〜

週刊じんぎかん〜神祇伯の神社放浪記〜

ただの神社好きが参拝した神社の感想なんかを感情の赴くままに書いてます。あと長文です。
一応毎週日曜に更新しますがたまに長らく投稿しない時があります。なので「あ、更新してるわ見てやるか」な軽ーい気分で読んでください。
どうぞよろしくお願いします。

おはようございます、私です。

 

そろそろ5月が終わりますね。

 

台風2号も発生しましたし、すぐに梅雨も来る。私の髪もうねる(常時)

 

困った季節になってきましたよニヤニヤ

 

そんな低気圧だらけの中、自分はどうも低血圧の可能性が出てきましたね。

 

しかし由貴くんや鏡夜くんのように機嫌は悪くないです、多分アセアセ

 

さて、それでは本題へいきましょうか。

 

 

  郷社 玉置神社

 

神社鎮座地:奈良県吉野郡十津川村玉置川

 

神社ご祭神:国常立尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊、天照大神、神日本磐余彦尊(神武天皇)

 

神社旧社格:郷社(明治)

 

神社御朱印:ありキラキラ

 

というわけで皆さん大好き玉置神社ですキラキラ巷では選ばれた人しか行けないということで有名ですね。

 

ここで皆さんにお知らせします。

 

カーナビあれば行けます

 

あとだめだったら和歌山側から行くことをオススメしますね。

 

地図で見ると熊野速玉右矢印熊野本宮右矢印玉置の順に熊野川に沿って進むと着きます。

 

まぁきっと迷われる方は歩かれている方か山慣れしてない方だと思われますね完了

 

玉置神社自体が神体山の玉置山の9合目にありますが、

 

そこまで車で行けますし、鳥居の前に駐車場も完備されています。

 

しかし、辿り着いたからといってゴールではなく、

 

境内はかなり広く、本社まで大体10分ほどかかります。

 

しかしほぼ硬度は上がらないので安心して進みましょうOK

 

 

そしてどうやらその本殿を大改修するようで、

 

奉賛金を募っていました。

 

しかも結構な額ですね・・・しかしあれだけ有名ですからもしかしたら普通に集まるかも?

 

まだ先ではありますが、改修前の本殿を見られたのは幸運かもしれませんね。

 

 社号碑もこれまた立派なものが…

 

普通の石じゃなくてなんていうんでしょう。御影石?

 

なんかツルッツルの石に達筆な字で刻まれています。

 

 参道を進んでいくとこのようなものが。

 

この枕状溶岩というのは、火山活動で噴出した玄武岩製の溶岩が海中で急速に冷やされるとできるそうで、

 

この付近で見つかったプランクトンの化石から、中生代白亜紀ごろのものなんだそうです!!

 

なんのこっちゃって感じですが簡単に言うと、

 

恐竜が生きていた自体の地層ということです🦖🦖🦖🦖

 

なにより、溶岩が海中で冷やされでできるということは、

 

この辺の山は長い地殻変動で隆起してできたということですね。

 

 

 

道中はしっかり山道であり、幸いなのはここから上り坂ではないことですかね。

 

内部が地形の関係で参道は多少上がったり下がったりします。

 

 

 

 

しかもご神木レベルの大木も出てきます。

 

注連縄が巻かれているので何本かあるうちの1本だとは思うのですが、

 

後でも出てきますがめっちゃあります。

 

 

 

 

 

それなりに間伐や間引きはされていて人の手入れは入っています。

 

 

 

さて「本宮辻」という標識が出てきました。

 

ということはそろそろ本社が近い・・・ということでしょうか。

 

先を急ぎ・・・普通に行きます大あくび

 

手水舎は当時コロナ禍ではありましたが、柄杓も置いてありました。

 

そして当時は11月でしたがまぁまぁ寒い。山の上なのもあるとは思いますが。

 

 

由緒書きがありました。

 

玉置神社が熊野三山の奥宮と呼ばれていたので、

 

神武天皇さまと八咫烏さんが絡んでいることはなんとなくわかっていましたが、

 

まさかの十種神宝が関わってくるとは思いませんでした。

 

一説では十種神宝は饒速日命さまが自らの一族の宝として持っており、

 

神武天皇さまの元に下った際に渡したと記憶していますが、

 

ここではその前にすでに持っていたような伝承になっていますね。

 

とはいえ十種神宝が身の安全の祈願するために奉納された、というのは、

 

のちに鎮魂祭の目的と合致するので立ち位置というか、役目は同じのようです。

 

としていると真向かいに鳥居が。

 

やっと本社に着いたようですね。大体5分10分歩いたかな??

 

 

拝殿が見えていましたね。写真ではわかりにくいですが、

 

結構大きいです。

 

 

ひとまずお参りをお願い

 

 

社殿はかなり古くなってきていますが全く崩れる様子はなく、

 

なんというんでしょう、貫禄があるといいますか、

 

神宮の式年遷宮後の御正宮のような新築の若々しさとは違う「強さ」を感じます。

 

とりあえずこの拝殿前に来て、まず私が思ったことといったら、

 

うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!

 

 

めっっっっっちゃ金払いてぇぇぇぇぇぇえ!!!!

 

でした笑笑笑

 

なんていうんでしょう、初めて感じた気持ちでした。

 

この神社のために何かしたい!!!なにする!?奉納金!?

 

奉納金納めりゃいいのかぁぁぁぁぁ!!!?っていう感じ。

 

なんかすっごい居ても立っても居られない、ソワソワする感覚でした。

 

氏神さんじゃない神社さんの崇敬者になる方は、こういう感覚で神社に惹かれたんでしょうかね。

 

だとするなら、とても嬉しいですね笑い

 

末社は拝殿の左手にまとまっており、

 

こちらが神武社です。

 

名前の通り神武天皇さまを祀ります。

 

こちらは神輿殿、なんか時期によっては開いてる時もあるげな写真が。

 

こちらは大日社です。

 

もともと玉置神社が神仏習合の神社でしたから、

 

大日如来さんを末社として祀っている、とみて良さそうですね。

 

 

 

 

 

こちらは神代杉というおそらくここのご神木です。

 

この木を含めて境内の杉の杜群は天然記念物に指定されています。

 

 

 

こちらは社務所沿いの棟札で、ものすごい数の名前があります。

 

都道府県名と会社名or個人名が書かれていますが、

 

和歌山や奈良だけでなく、その他の地方の方々がものすごい多い。

 

全国からの篤い崇敬があることが良く分かります。

 

そして令和10年には先ほどの拝殿の改修工事を予定しているようで、

 

その奉賛者の方々の名前も連ねられているようです。

 

いやぁこの時持ち金がなくてよかったです。

 

ギリギリまで授与品は受けてしまいましたがね。

 

ちなみにこの社務所が国の重要文化財に指定されているらしいです。

 

どうもこの構造がこの道沿いに広がっている建物と、

 

この反対側に地下、というか一段低い段差に下の階の建物があり、

 

これが修験道時代の建物だったようです。

 

社殿じゃなくて社務所が重文なんて珍しいですよね。

 

 

そして社務所を通り抜けた先にはまた別の境内社が。

 

こちらは摂社の三柱神社といい、名前の通り3柱の神様、

 

倉稲魂神、天御柱神、国御柱神を祀っています。

 

 

現在は稲荷社としても崇敬されていますが、

 

この神社は稲荷信仰が盛んになる前から地主神として祀られていたらしいです。

 

実際稲荷大神=倉稲魂神さまとして見られていますが、

 

倉稲魂神さま自体が稲荷神と関係なく祀られているところは多く、

 

後世になって稲荷信仰の影響ですり替わってしまったところがあります。

 

あとは神仏習合時代に稲荷大神さまは守護神としてよく祀られていましたから、

 

その流れもあるでしょうね。

 

 

 

ちなみに私の知人でこの神社によくお参りしていた人曰く、

 

この雨が降っていた日にお参りしたところ、

 

この神社に入ると途端に雨が止んだそうです。

 

さすがは豊穣の神様ですね。

 

ちなみに現在総本宮である伏見稲荷大社は元々の三座のご祭神を

 

倉稲魂神、佐田彦神、大宮売神としていますが、

 

この3柱の神様については時代によって変遷が多く、

 

この三柱神社の祭神と同じとされていた時代もあったようです。

 

というのもこの三柱が広瀬大社、龍田大社の御祭神であり、

 

風と水を司ることから豊穣の神様として見られていたようです。

 

 

 

 

こちらは末社の玉石社です。

 

社殿がなく、ただひたすらに白石が敷き詰められている空間が広がりますが、

 

実は玉置神社の信仰の基はこの玉石社とされ、

 

大峯修験の行者さんたちは本社より先にこちらを拝礼されるそうです。

 

この玉石に宝珠や神宝を鎮めて祈願したとされ、

 

「玉置」の社名の由来がうかがえますね。

 

ちなみに先ほどの三柱神社との間に「出雲大社玉置教会」という社殿があります。

 

教派神道の一派である出雲大社教の分教会なわけですが、

 

なぜこんなところにあるのかというと、明治以降の神仏分離によって

 

十津川村のすべての寺院が廃寺にされ、所属していた村民たちは大社教に入ったそうです。

 

つまりはこの村民たちは修験者に近い立場でありながらも、

 

その立場は神社に所属することができなかったため、大社教に身を寄せた、ということでしょうか。

 

普通の村民であれば所属という行動をとる必要がなさそうに感じますし、

 

氏子なら直接玉置神社に入ればいいはずですからね。

 

これはまた次回参拝したときに聞いてみましょうかね。

 

 

玉石社を過ぎていよいよ山頂まで到着しました

見よこのご来・・・結構日高いな。

 

当時寒すぎて7時過ぎるまで外出られなかったので、

 

山頂着いた頃にはまた1時間たってました。

 

まぁでもそれはそれとしてよい風景でした。

 

 

頂上にはお地蔵さんもお願い

 

さて戻り道ですが、逆に玉石社の上くらいからまた別の道が伸び、

 

一直線で入口の鳥居に戻れるようになっています。

 

記事冒頭の下り坂の階段がありましたが、その左手の道がここにつながるみたいです。

 

 

 

ちなみに6時半の朝焼けはこんな感じ。

 

これはこれでキレイ・・・山頂から見たかったガーン

 

  あ と が き

 

 
さてというわけでいかがだったでしょうか。
 
よくネットでは「選ばれた人しか行けない」とよく言われていますが、
 
車のナビで普通に着きます。歩きの場合はその限りではないですが大あくび
 
ここ最近は宮司さんがなんかUFOだとかスピリチュアルな話をすると噂がありますが、
 
真実はいかに・・・グラサン
 
というところで本日は筆をおきたいと思います。
 
それでは皆さんまたバイバイバイバイ

 

下矢印クリックお願いしますキラキラ

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ