おはようございますわたしです。
だいぶ、だーいぶ投稿が空いてしまいましたね。すみません。
毎日投稿の反動でやる気が…
気づいたらもう3月ですか。逆にこの時期にいつぞやの天満宮たちに参れば、
いい感じに梅が咲いてるやもしれませんな
梅の香り好きな方はクリック
さて、それでは本編へ行きましょうよろしくお願いいたします
村社 宮原神社
鎮座地:和歌山県有田市宮原町道字辻貝
御祭神:誉田別尊、気長足姫命、比売大神
旧社格:村社
御朱印:あり
今回は有田市の宮原神社です。
和歌山の神社の紹介はもしかしたら日前宮以来かもしれませんね。
だって和歌山遠いんだもん…
まぁ行きたい神社はたくさんあるんですけどね。
熊野三山も行きたいし、花窟神社も行きたいし。
主に熊野古道関係ですよね。九十九王子もまた行こうと考えてますし
この神社も一部関係があります。またそれは後述で。
ちょっとブレてて申し訳ないです。
神社自体は住宅地の奥、山の麓に立っており、こういうところも紀伊山地で山の多い和歌山らしいですね
一の鳥居は普通車であれば通れるくらいの大きさであり、
表参道を進むと右手に駐車場があります。
10台も停められないですが、そんなに参拝者が多い神社でもないので簡単に停められると思います
手水舎です。
柄杓も準備されており、水もちゃんときれいです。
参道を進むとまず神門?が現れます。
ご覧の通りトタン製で現代的ですが、こちらが簡易の授与所になっており、
この神社側の面で授与品が展開されております
神門の内側に由緒書きがありました。
由緒書きによると創建は弘仁七年(816年)で、筑後国の宇佐神宮から勧請された神社で、
明治までは宮原八幡宮を名乗っていました。
そのため、創建は延喜年間より前ですが『延喜式』神名帳には入っていないため、
分類上は式外社となります。
神門をくぐり、まず左のスペースに進んでみたら掲示板があり、そこにはなんと
粥占神事の結果が
しかも殆ど果物主に柑橘系
なんか逆に米が違和感あるレベルですね。
粥占神事の方々にはいくつか種別があり、
○粥に棒を挿してかき回し、棒についた米の数で判断
○粥を器に移して数日間放置し、カビの生え具合で判断
○粥を筒に移し、その際に入った米の数で判断
この3種類が主で、最後の筒に移すやり方は小豆を煮たものを使うパターンもあります。
表を見ると各種ごとに数字が書いてあるので、おそらく上段か下段の方法じゃないかと思われます。
これどの基準が豊作なんでしょうね。ハウスみかんがちょっと低めですね…
ちなみにその奥にはお手洗いがあります。
最近建てられたのかとても綺麗でした
さて、表参道中央はこんな感じ。
石垣で積み上げられ、両側に杉の木が植えられています。
植木におみくじが巻かれていますが、神社によっては木の成長を妨げるので禁止されているところもあります。ご注意ください
あと、ここまで来るのに獅子狛犬さんがいなかった気がします。
和歌山県の獅子狛犬さんは面白い前掛けをしてるので必見です
拝殿の建築様式は入母屋造の妻入りです
元々が八幡さんであるため武運の神様は基本として、
そのほかにも国家鎮護、学問、安産の神様としても崇敬を集めています。
和歌山の神社に共通していますが、戦国時代に豊臣秀吉公の紀州攻めによって縁起巻物や神領証文が没収されてしまったため一時荒廃します。
その後村人たちの寄進により再興します。
日前宮といい、ほんと秀吉め…
こちらは本殿右側にあるお社で、右側は別社の水主神社です。
実はこの場所自体は八幡大神さまを勧請する前から、後ろの山を御神体として祭祀が行われていました。
そのときから祀られていたのがこの水主神社だったそうで、摂末社と違って別宮(別社)として扱われています。
この神体山に磐座を定め、雨乞の祈祷が行われていた記録があることから、農耕、土地の神さまとされています。
江戸時代の境内図によれば別宮だけじゃなく摂末社はこの場所に並んでいたようです。
このような大小様々な摂末社が並んでいます。
ただ、ここまでどなたが祀られているのかはわかりませんでした。
一番右端にあるのが春日神社で、こちらだけHPに書かれていたのでわかりました。
そこから90度曲がって下に降りていく道にも末社が並んでおり、
こちらはたしか左から天満宮、山神社、稲荷神社だったと思います。
ここだけ社名が分かっていたのですが、後から祀られたとかでしょうか?
そして、宮原神社の左側にはまた別の神社があります。
それがこちら
別宮 太刀宮
鎮座地:同座
御祭神:猿田彦大神
旧社格:宮原神社別宮
御朱印:あり(宮原神社とは別)
ということで、宮原神社別宮の太刀宮です
扱いとしては宮原神社の境内社なので、独立しているわけではありません。
実は私が参拝したかったのはこの太刀宮だったんです。
そしてその本社がこちら
刀が・・・刀が滅茶苦茶掲げられている
「地形効果・千刀巡り」できるやん・・・
まぁ上のネタは『刀語』読んでもらうとして、
太刀宮の社殿はその他の摂末社と同じくらいの大きさなのですが、
拝殿は広く作られ、そこには縁日でよく見られるプラスチック刀がたくさん提げられていました
ものすごい数です。しかもよく見たら竹刀とか儀礼剣みたいなメッキの刀とかありますよ
そういえば神門の内側、由緒書きの上に「宮原少年剣友会」という方々の絵馬が掲げられていました。
これが由縁だったんですね・・・しかも宮原神社も武勇の神様ですから、
剣道強そうですね
こちらの太刀宮は元からこの神社にあったわけではなく、
本来は熊野古道のそばに建てられていた道祖神社だったそうです。
御祭神が猿田彦神=導きの神=道祖神ということですね。
そんな道祖神社が太刀宮となったのにも由来があり、
かつてこの地にあった宮崎城の城主三男の宮崎貞直という剣術の達人が、
その腕を真田幸村公に買われて大阪城に参上します。
しかし戦況が良くなかったため、早々に出城し地元に帰ろうとします
しかしその道中にも敵に追われ、どうにか地元に近いところまで着き、
この道祖神社の前で休み眠ってしまいます。
するとその夢の中で大勢の敵方に囲まれてしまい、自分の体は金縛りがかかったかのように動きません
絶体絶命の最中、突如自前の太刀が一人でに抜き出て、敵を追い回して全て倒してしまいます
そんな悪夢から飛び起きた貞直さんが周りを見渡すと既に事切れた大勢の敵たち。
そして自分のそばにはなぜか勝手に抜き出ている半分に折れた自前の太刀があります。
夢の内容を思い出しながら、その折れた太刀を繋ぐとピッタリと合って元の刀に戻りました
これは大変摩訶不思議なことと思った貞直さんはその太刀に「折継丸」と名付け、その道祖神社に太刀を奉納します。
それから太刀宮と呼ばれるようになったそうです。
いやぁなんという忠信ぶりでしょうか…
現存していたならきっと刀剣乱舞にて擬人化されていたことでしょう。
むしろやって(ゲーム未プレイ勢)
そもそも現存してるのかどうかも分かりませんけどね。
そして明治時代にこの宮原神社に合祀されました。
当時は神社合祀政策で大きい神社に合祀したり遷座したりして数を減少させていましたが、
境内社として別の神社となったあたり、この神社の崇敬の高さが伺えますね
ちなみにこの刀、神社の授与品に刀絵馬として出されており、
提げられているのを見ると、どうやら鞘や刀身に願い事を書くみたいですね。
せっかくなので私も一本
ちなみにこの太刀宮はその由緒から厄除け、病気平癒の御神徳と、
人を導く道祖神として合格祈願、スポーツ必勝祈願が御神徳となっています
ちなみに、Googleマップで検索すると、宮原神社の東に縦に伸びる県道164号線を北に行ったところに、
同じく太刀宮があります
参拝時にはそれに気づかず、知人がマップで神社を探したときに教えてくれました。
マップに投稿されている写真を見る以上、ここと同じ由緒書きが掲げられているようで、
もしかしたらここが本来の鎮座地で後世に復興されたのかもしれませんね
こちらはまた引き続き調査しようと思います。
《追記》
ということで参拝してきました
太刀之宮
鎮座地:有田市宮原町畑
御祭神:猿田彦命
旧社格:不明
御朱印:不明(おそらくなし)
ということで宮原神社から山の方へ行った所にある太刀之宮です。
ここまで車で行きましたがすれ違うことのできない道は多いわ曲がり道多いわでかなり大変でした。
由緒書きは基本的に宮原神社内の太刀宮と同じであり、
この鎮座地が熊野古道のそばにあることから、
恐らくこの場所が伝承地だった思われます。
手水舎は使われてはいないようで、雨水が溜まっていました。
こちらにもおなじくプラスチックの刀絵馬が奉納されています。
逆にこっちに奉納している方は恐らく地元の方でしょうね。
外部の方でこっちまでくる人は少ないと思います。
みかんもお供えされています。
ちなみに須佐神社で聞きましたが、ここの粥占が果物系ばっかりなのは、
そもそも山ばかりの和歌山県では田んぼにできる平野が少なく、
山の斜面で果物を育てることしかできないからだそうです。
お社はこんな感じで小さいです。折継丸は…もうないのでしょうね。
あ と が き
という感じでいかがだったでしょうか。
正直、太刀宮も御朱印があるという情報だけ掴んで行ったので、
あんな刀がお供えされた神社だということは全く知りませんで、めっちゃびっくりしましたね。
ぜひ皆さんも刀をご神刀なのようにお供えされてみませんか?
おすすめできる神社です
それでは本日はこの辺で。
明日はひな祭り、桃の節句ですね。とりあえず女性の皆さんをもてはやしてきます。
それではまた来週〜