美和神社、参拝してみた【夏休み?なにそれ】 | 週刊じんぎかん〜神祇伯の神社放浪記〜

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ただの神社好きが参拝した神社の感想なんかを感情の赴くままに書いてます。あと長文です。
一応毎週日曜に更新しますがたまに長らく投稿しない時があります。なので「あ、更新してるわ見てやるか」な軽ーい気分で読んでください。
どうぞよろしくお願いします。

こんにちは、私です。

 

 

1か月ほど空いてしまいましたね。どーも夏場はじっとしてることができなくてですねガーン

 

あとは単純に神社に最近行けてないんですよね。

 

ネタが尽きてて四苦八苦しています。

 

時間もお金もない、しかしこれが生きることなんだろうなぁと、

 

謎のことを考えるくらい今は時間があるようです。

 

さてそんなこんなで今回の神社紹介へ行きましょうか。

 

 

  県社 美和神社

 

神社鎮座地:長野市三輪相ノ木東

 

神社ご祭神:大物主神

 

神社社格:国幣小社(延喜式)右矢印県社(明治)

 

神社御朱印:あり(武井神社)キラキラ

 

ということで今回は長野県の美和神社です。

 

例にもれず信濃国水内郡鎮座として延喜式神明帳に載る式内社で、

 

奈良の大神神社の分社の1つでもあります。

 

式内社は現在のように分社・勧請が行われていた神社も限られており、

 

分社はむしろ載せられていないことが多いです魂

 

その中でも分社として各地に同名社が確認される神社群があります。

 

まずは加茂(鴨)神社です。上賀茂・下賀茂神社飛び地神領に分社されたタイプと、

 

加茂氏が移り住んだ先で氏神として祀ったタイプがあります。

そして二大巨頭と勝手にしているのがこの大神神社の系統です。

 

特に大神神社に関しては社名が各地によってに違っており、

 

大神・大御和・神・大(太)・三和・三輪・美和・弥和があります。

 

「大(太)」でも’’大’’’神社右矢印’’大神’’社となることから同系統とされています・

 

岡山の方はその中で3種の社名が見えるので特に面白いですよ。

 

ちなみに一番有名そうな美輪明宏さんの字は神社としては存在しませんハッハッ

 

 

手水舎っぽいのですがなかなかユニークな形をしていますね。

 

というか手水舎なんでしょうか。水も出てないので確証が取れないんですよね・・・

 

というか水の流れ方が想像できません。ただの石の塊だったのでしょうか。

 

由緒書きです。

 

おおものぬしのかみ大物主神さまのほかに、

 

國業比賣神さまと神部神さまの2柱が相殿で祀られています。

 

國業比賣神さまは当社では大物主神さまの母神とされているようで、

 

また六国史内で神階を与えられた記述があります。

 

そして神部神さまに関しては素性がはっきりしていませんが、

 

大物主神さまと共に疫病を流行らせるなどの厄災を起こしたとされています。

 

大和の大神神社も疫病鎮護のために祀られましたが、

 

まさかここでは疫病を起こす側になっていたとは・・・

 

この事態に朝廷が国司や講師(ここでは僧侶の役名)に命じて

 

読経などで怒りを鎮めさせたとのこと。

 

 

社務所は普段は無人のようで、長野東町にある武井神社が

 

兼務しており、御朱印もそちらでいただけるとのこと。

 

ちなみに武井神社と当社が所属している「善光寺七社」という札所があるのですが、

 

先ほどの疫病鎮護ための読経に善光寺が関わっていたかどうかはわかりません。

 

善光寺もかなり古い寺ですから可能性は高そうです。

 

もうひとつの社号碑です。「美」の字がなかなか独特ですね。

 

そういえばこちらは「県社」の字がセメントで埋められていませんでしたね。

 

埋めてる神社とそうじゃない神社って違いがあるんでしょうか。

 

 

 

この神社は町中にあり、すぐそばには線路も通っているのですが、

 

境内に植えられている木々がかなり立派です。

 

特に上の木が太い、というか最もムキムキな幹でした。

 

上の枝との太さがかなり違いますが、一度切られたのでしょうか??

 

 

拝殿です。かなり立派でした。

 

銅板葺きの屋根が日差しに反射してきれいですね。

 

よく見ると社殿の屋根が真ん中と両側でずれているというか、

 

真ん中の建物が前に出ています。

 

どちらかというと寺院系統に近い建築様式ですね。

 

拝殿内部には信濃国の式内社すべて書かれた大きな扁額が掲げてありました。

 

ちょっと見えにくいのが残念です。

 

両側に書かれている「荒屋町」「本郷町」というのが氏子地域で、

 

wikiによればその他に相ノ木東、相ノ木西、横山、淀ヶ橋、三輪田町の合計7つの集落で、

 

祭典を行っているようです。

 

 

 

この神社にはかなり興味深い伝説がありまして、

 

善光寺の由緒をつたえる『善光寺縁起』によれば、

 

当社は大和三輪出身の三輪時丸という方が善光寺に参拝しこの地にしばらく逗留しました。

 

そしてその際に美和神社にご神体を納めていったといわれています。

 

そして話は変わりますが、桜井市の大神神社は三輪山をご神体とするため、

 

本殿がないことで有名ですよねグラサン

 

伝説によると、三輪時丸さんが当社へ参拝時に納めていったご神体というのが、

 

大神神社で祀られていたご神体だった、とされているんだそうです不安不安不安不安

 

拝殿の左手にはまた別に扁額が。

 

こちらは「算額」と呼ばれるもので、和算の問題や解法を書いて奉納された額で、

 

江戸時代に寺や神社に奉納されるようになったそうです。

 

こちらは複製品で本物は現在の拝殿内部で保管されているとのこと。

 

内容としては円の直径を求める式が3つ書かれているようです。

 

・・・正直何を書いているかさっぱりですアセアセ

 

 

 

大木の間に小さな祠が祀られています。

 

扁額には「縁結比乃大神」と書かれています。

 

そのままの意味だと縁結びの神様なのでしょうかグラサン

 

そして上の写真と縁結比乃大神さまの後ろにも映っているのですが、

 

境内の境界線上に100社以上の祠が並んでいます。

 

これらはすべて令制国の一宮を祀っており、

 

この末社に祝膳を備える「越年祭」という祭りが行われているそうです。

 

 

こちらは末社の青麻神社です。

 

明治時代に近隣に住んでいた大須賀忠右衛門という方が、

 

中風(脳卒中などによる麻痺)の快癒を願って勧請されたとされます。

 

本宮はおそらく仙台市の青麻神社と思われます。

 

そちらの方にも源義経公の部下である常陸坊海尊が中風の霊験を顕したといわれています。

 

けっこう病気平癒の神社って全国に多くあるのですが、

 

大まかな病気ではなく、的確にこの平癒する病気が具体的であることが多い気がしますね。

 

 

  あ と が き

 

 

ということでいかがだったでしょうか。

 

奈良の大神神社が本殿がないのは有名でしたし、

 

背後の三輪山を神体山とすることは古い神社としては普通のことです。

 

しかしまさかこんなところでご神体があったという伝説を聞くことになるとは

 

思いもしませんでした。


本宮がそのように証言しないので裏付けは取れないですが、


やはりこういう独自の伝承は確証云々を抜きにするとロマンがあって面白いですよね。


という感じで今回はここまで。


また来週お会いしましょう


さいならくるくるバイバイバイバイバイバイ

 

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