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ひきこもりの居場所は自助グループなんだろうか?【実在の居場所との比較】

2022/05/05
こんにちは!

ひきこもりの居場所はWikipediaの自助グループの特徴を満たしているのか?


今回の記事をオススメしたい方
  • ひきこもりの居場所に興味がある
  • ひきこもりの居場所に違和感がある
  • 当事者だけの居場所の実態を知りたい
  • 自助グループの特徴を知りたい

今回は僕が実際に参加した「ひきこもりの居場所」の状況と「Wikipediaの自助グループの特徴」を比較してみます。

先日、何気なくTwitterのタイムラインを眺めていたらWikipediaの自助グループのスクショが流れてきました。
そこには「自助グループの特徴」が書いてあって、その特徴に僕が知っている「ひきこもりの居場所」が当てはまるのかどうか気になったので今回の記事を書こうと思いました。

注意点
  • Wikipediaの誰でも編集できる性質上、自助グループの特徴を「正しい定義」でなく「1つの見方」として扱っていますのでご了承ください。
  • あくまで僕が参加したことがある「ひきこもりの居場所やそれに近い場所」との比較になります。一例としてご覧ください。

Wikipediaの自助グループとその特徴

まずはWikipediaの自助グループを引用して見てみます。

メンタルヘルス関連の自助グループ(じじょグループ、Self Help Group)とは、なんらかの障害・困難や問題、悩みを抱えた人が同様な問題を抱えている個人や家族と共に当事者同士の自発的なつながりで結びついた集団[1][2]。その問題の専門家の手にグループの運営を委ねず、あくまで当事者たちが独立しているというのが特徴的である

 「自助グループ」『ウィキペディア フリー百科事典日本語版』 
https://ja.wikipedia.org/

アクセス日時:2021年9月6日 0:50(日本時間)
ここを見ると「ひきこもりの居場所」も「自助グループ」のひとつと言えると思います。
ただ、"自発的なつながり"や"あくまで当事者たちが独立して~”の部分だけを見るとちょっと違和感があります。


次にWikipediaの自助グループの主要な特徴を見てみます。
主要な特徴
  • 体験の共有、分かち合い
  • 「治療者 - 被治療者(医師と患者)」の関係ではなく「仲間」
  • 自分の抱える問題や悩みをしっかりと直視すること
  • 強制ではなく、自発的な参加
  • 相互支援と相互扶助
  • 互いに対等であること

 「自助グループ」『ウィキペディア フリー百科事典日本語版』 
https://ja.wikipedia.org/

アクセス日時:2021年9月6日 0:50(日本時間)
僕はこの特徴を見て「こんなひきこもりの居場所があったら理想的だな」と思いました。
今回は「この主要な特徴」と僕が知っている居場所2例との比較をしていきます。
 

僕が知っている居場所2例の紹介

今回のWikipediaの自助グループの主要な特徴と比較する「僕が知ってる居場所2例」の紹介をします。

実在の取り組みがを元にしていますが、上手く特徴だけをピックアップして書いています。
両方の居場所に共通しているのは「ひきこもり」だけではなくて、それ以外の人も参加しているという点です。

居場所A

居場所Aの特徴
  • 民間の団体の取り組み
  • 第3者が運営しているが放任主義
  • ボランティアスタッフの協力がある
  • 固定の開催日と開催場所がある
  • ひきこもり以外の人も参加している
  • 居場所以外にボランティア活動もしている
  • 参加者の年齢は20~40代
  • 参加者はほとんどが男性
居場所Aは民間の団体が運営しているひきこもりの居場所です。
当事者と運営団体のスタッフ以外にもボランティアさんも関わっているのが特徴です。

居場所以外にも同じ団体でボランティア活動もしているので、そちらに参加することも可能です。

居場所は固定の場所と決まった日に定期開催しているのでとても安定しています。
ただ、何か居場所で具体的なやる事があるわけではなくて、その時に集まった当事者任せになっています。

運営団体の方針は良くいえば放任主義、別の言い方をすれば場所だけ提供しているイメージです。
参加者は色々あった結果、男性がほとんどになっていますが、女子会も別にあります

居場所B

居場所Bの特徴
  • 第3者のフォローがある
  • 当事者が運営している
  • ひきこもり以外の人も参加している
  • 固定の開催日と開催場所がない(毎回違う)
  • 発足のきっかけはイベント開催→その後居場所へ
  • 参加者の年齢は10代~40代
  • 男性と女性の人数が半々
居場所Bは発足のきっかけがかなり変わったタイプの居場所だと思います。

1.とある民間の団体の取り組みに集まった人たちでイベントを開催
2.イベントは大成功!終了後に居場所としても発足
こんな経緯で始まっている珍しい居場所です。

元はひきこもりのキーワードで集まった人たちではないのですが、参加者の話を聞くと元ひきこもりやそれに近い経験をしている方が多かったので今回の比較対象にしています。

最初のきっかけになった取り組みをしている団体の方が好意でフォローや手助けをしてくれますが、基本的には当事者が自分たちで運営しています

固定の開催場所と決まった開催日はないので、毎回話し合って集まる日を決めています。

色んな事情で経験が少ないと感じている方が多かったので「青春を取り戻す!」というのがひとつのテーマでした。
居場所だけど、大学のサークルみたいな側面もあったのかもしれません。
(僕自身が大学のサークルを知りませんが...)

最初のきっかけが変わっていたのもあって、参加者は男女半々でバランスが良かったです。

保健所の居場所をなぜ除外しているのか?

僕のブログのひきこもり関連の記事を読んだ方は「なぜ今回の比較対象に保健所の居場所を入れないの?」と疑問に感じるかもしれません。

結論をいうと、保健所の居場所は比較をするまでもなく「自助グループよりデイケアに近い」と思うからです。

でもよく考えてみるとデイケア的な居場所もひきこもり当事者には必要です。

「安心安全で受け身でも参加できる場所」
自助グループの特徴とは離れてしまいますが、ひきこもり当事者には参加の敷居がより低い居場所があった方が助かりますよね。

僕も保健所の居場所の存在には救われていましたからね。

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体験の共有、分かち合い

最初に「体験の共有、分かち合い」から見ていきます。


体験の共有、分かち合いといってもかなり抽象的に思えるので
参加する人それぞれの過去の体験の共有、分かち合い
(意味:それぞれの過去や体験を話す場や機会があるか)

居場所で一緒に体験することの共有、分かち合い
(意味:みんなで一緒に目的のために協力できているか)
ここではこの2つの観点から見ていきます。

居場所Aの場合(体験の共有、分かち合い)

まずは「参加する人それぞれの過去の体験の共有、分かち合い」です。

僕のイメージはドラマなどでありがちなアルコール依存症の方の当事者会で「自分の過去や失敗体験をみんなの前で話す」ような感じです。

以前の記事でも書いたのですが、不思議とひきこもり当事者は自分の過去や失敗談を他人に話すことが少ないです。
居場所Aでも例外ではなく、みんな集まっている場で自分の過去や失敗談を話す人はいませんでした。

みんな気持ち悪いぐらい、無難な話題で話そうとします。
天気とか時事ネタとか。

でも中には自分のことを知って欲しいのか、自分のことを積極的に話す人も一部いました。
ただ、そういう人の場合は自分の良いことも悪いことも話していたので心配になります。

居場所Aでは過去の体験の共有、分かち合いは成立していませんでした。


次に居場所で一緒に体験することの共有、分かち合い」です。

居場所Aではボランティア活動もしていたので、ボランティア活動をみんなで一緒にやっている時は体験の共有、分かち合いができていました

ボランティアでも単発で終わるものは比較的上手くいくのですが、継続的なものはその中で人間関係が生まれてかえって共有、分かち合いが難しくなることもあります。
長く同じ人と関わるとどうしても合う合わないが生まれますからね...

それ以外にもみんなで話している時などは人数が多すぎたりして、まとまらない状態でした。
小グループがいくつかできてその中だけで話している感じです。

居場所Aでは一緒に体験することの共有、分かち合いは成立することもあれば、しないこともあります。

居場所Bの場合(体験の共有、分かち合い)

最初に「参加する人それぞれの過去の体験の共有、分かち合い」です。

居場所Bでは現在の自分のことはみんな積極的に話していましたが、過去のことはほとんど話しませんでした。
おそらくみんな色々あったんだろうな...と感じされる雰囲気はあったんですけどね。
なぜかみんな過去を話すことはしようとしなかった。

1回だけ「みんなで思いのままに話す場」を作ったのですが、その時も過去の話はなくて終わってしまいました。
男女が共存している居場所だったので自分の詳しいことを話しにくいというのもあったのかもしれないです。

居場所Bでは過去の体験の共有、分かち合いはみんな避けていました。

次に居場所で一緒に体験することの共有、分かち合い」です。

こちらは居場所発足の前に行ったイベントの時に濃密な一緒に体験することの共有、と分かち合いができたと思います。

そのイベントは規模が大きかったり、準備期間が必要だったり、ほぼ全部を自分たちでやらなくてはならなかったので、どうしてもみんなで協力する必要がありました。
その結果、性別や年齢などを超えて一丸になることができました。

居場所を発足させてからは、実際に集まって話し合いやレクリエーションをする時は共有、分かち合いができていましたが、集まる予定や内容を決めるまでの段階で苦労が多かったです。

それはなぜかというと、みんなの意見や考えが違いすぎるので1つにまとめるのが大変だからです。
これは当事者だけで運営してたり、固定の集まる場所がないことの弱点です。

居場所Bでは大きなイベントを開催する時や実際に集まる時は一緒の体験することの共有、わかちあいができていたが、それ以外では難しかった。

まとめ(体験の共有、分かち合い)

「参加する人それぞれの過去の体験の共有、分かち合い」に関しては、居場所AとB共に成立しにくい状況でした。

おそらくみんな自分の過去の体験を話したくないわけではなくて、ひきこもりになったきっかけが千差万別すぎて共有しにくいのでは?と思っています。

ひきこもりはあくまで状態を表す言葉なので、そこに至るまでに人によってきっかけが「病気」「就労・就活」「不登校」「家庭の問題」などなど色々ですからね。

あくまで僕の仮説ですが、みんなひきこもってからの事を共有、分かち合いたいのではなくて、ひきこもりに至るまでのことを共有、分かち合いたいのではないでしょうか?

とすると、みんな違うので共有、分かち合いが難しくなります。
そして難しいということに「みんな無意識で気づいている」のかもしれないですね。

個人的に親しくなった人からは、1対1の時に「過去の体験」を話してくれることもあるので、みんな話したくないわけではなく場や人を選んでいるのだと思います。

まあ、僕も過去を話せと強要されたら嫌なので、話す自由と離さない自由があってちょうどいいんでしょうね。


居場所で一緒に体験することの共有、分かち合い」に関しては居場所AとB共にボランティアやイベントなどみんなでまとまる必要があることがすれば、自然と成立していました。

ただ、その効果は一時的なもので日常に戻ると、成立しないことも多いです。
みんな自然とバラバラになる感じで...
やっぱり目の前に協力する必要がある事がなければ、個人的な好き嫌いなどが出やすいのかもしれないです。

ひきこもりの居場所では定期的に一緒に体験するイベントやレクリエーションを開催して、普段はゆるい繋がりを維持する程度でいいのかもしれないですね。

無理に体験の共有、分かち合いをするのも何か変な感じがしますからね...。

「治療者 - 被治療者(医師と患者)」の関係ではなく「仲間」

次に「治療者 - 被治療者(医師と患者)」の関係ではなく「仲間」を見ていきます。
(ここでは被治療者を当事者と言い換えています)

こちらの意味はそのままで「参加している人の中で治療者(支援者)と当事者の関係にならない」ということですね。

他にも「当事者同士が仲間になれているか」の意味でも見てみます。

居場所Aの場合(支援者と当事者ではなく仲間)

居場所Aは当事者以外のも運営団体のスタッフとボランティアがいますが、その両者の立ち位置が治療者や支援者というほど明確ではないので、仲間として成立しています。

当事者がいて、スタッフがいて、ボランティアがいて、というゴチャゴチャ感が居場所Aの魅力だったりします。

特にボランティアさんはかなり仲間よりの立ち位置なので、居場所のいる人の幅を広げてくれる貴重な存在です。

当事者同士はそんなに仲良くなくても、話さなくても、一緒に何もしなくても不思議と場を共有しているだけで「ゆるーい仲間」になれています。

居場所Bの場合(支援者と当事者ではなく仲間)

居場所Bもフォローしてくれる第3者はいるのですが、基本的には当事者で運営しているので「支援者(治療者)と当事者ではなく仲間」を100%満たしていると思います。

居場所Bでは参加者同士で大きなイベントも開催したことがあるので、居場所Aよりも強固に仲間になれていました。
ただ、メンバー同士ですごく仲が良かったわけではないのでこちらも「ゆるーい仲間」です。

居場所Bでは仲間という感覚が行き過ぎて、甘えが出ている人もいました。
(他の人に甘えて自分は何もせずにいるなど)

まとめ(支援者と当事者ではなく仲間)

これを書いていて面白いことに気づきました。
居場所AとBは共に「体験の共有、分かち合い」は上手くいかないのに「ゆるーい仲間」にはなれているということに。

もしかしたらひきこもり当事者は「体験の共有、分かち合い」は苦手だったり、望んでいない部分があるけど、みんな「ゆるーい仲間」は欲しいのかもしれないですね。

「自分が傷つく恐れがあるから、そこまで親しくならなくてもいい、でも繋がりは欲しい」そんなところでしょうか。
僕も親しい人は数人でいいけど、「ゆるーい仲間」はたくさん居てもいいなと思っています。

あと、ひきこもりの居場所は支援者や治療者と当事者が一緒に居てもいいのでは?と思います。
なぜかというと当事者だけの居場所Bより色んな人がいる居場所Aの方が人間関係が上手く行っているからです。

当事者だけだとトラブルも起きやすいし、実は難しい面が多いです。

自分の抱える問題や悩みをしっかりと直視すること

次は「自分の抱える問題や悩みをしっかりと直視すること」を見ていきます。


「しっかりと直視すること」だと少しわかりにくいので同じような意味の「認めて向き合う」に直して見ていきます。

僕が会ったことがあるひきこもり当事者の人は、居場所に来ている時点で既に「自分の抱える問題や悩みを認めて向き合っている」場合が多い気がします。

それでもどうにもならない状態だから困っている...そんな人が多いと思います。
ただ、居場所に来て人や集団と関わることで見えてくる問題や悩みもあるのはたしかです。

居場所Aの場合(自分の問題や悩みを認めて向き合う)

居場所Aの場合は、当事者同士の関係で「自分の問題や悩みに向き合う」ことはないと思います。
むしろ当事者同士で接する時は「その問題や悩みから離れられる」時間なのかもしれないです。

もし他人と接することの悩みや問題を抱えている人は、よりその事を実感するということはあるかもしれませんが。(昔の僕がそうでした)

僕が居場所Aのあるボランティアの方に聞いた印象的な言葉があります。
「ここに来ている人はみんな色んな問題や課題を抱えているんだよ」
誰かに話しているということは、みんな自分の問題や悩みを認めて向き合っているのだと思います。

居場所Aの場合はスタッフとボランティアがいるので、その方達の力を借りて「自分の問題や悩みに向き合うこと」もできます。

居場所Bの場合(自分の問題や悩みを認めて向き合う)

居場所Bの場合も当事者同士で「自分の問題や悩みを認めて向き合う」というよりは、一緒に話したり色んなことをして、一時自分の悩みや問題を忘れるという効果があると思います。

居場所Bに自分の悩みや困っていることを正直にみんなの前で話してしまう人いました。
その人に対する他の人の返答が「誰も求めていない上から目線のアドバイス」だったりするので、当事者同士で自分の問題や悩みに向き合うのは難しいと感じました。

居場所Aのように誰か第3者がいれば、軌道修正もできますが当事者しかいないとそれも難しいです。
しかもアドバイスしている人は良かれと思って言っているので、同じ立場だと注意するのも言葉を選ぶ必要があります。

まとめ(自分の問題や悩みを認めて向き合う)

居場所AとB共に当事者同士では「自分の問題や悩みを認めて向き合う」ことはしていませんでした。
でも僕はそれでいいと思います。

むしろ当事者同士では「問題や悩みを一時忘れて心から楽しんだり、笑ったりすること」の方が大切です。
ただ、昔の僕もそうだったのですが、抱えている問題や悩みが深いとなかなかその事には気づけないのですが...。

居場所Bのように当事者同士で問題や悩みに向き合おうとすると、変な方向に話が進んだり、余計に傷つけることになるので、僕は自分の問題や悩みは他の支援などを受けて対処した方が良いと思います。

ひきこもり当事者の抱える問題や悩みは、なかなか一般論では解決しませんからね...。

強制ではなく、自発的な参加

次は「強制ではなく、自発的な参加」を見ていきます。


こちらは言い換えると「誰かに言われたわけではなく、自分の意志で参加している」という意味にもなりますね。

居場所AもBもみんな自発的に自分から参加していますが「目的があって」というよりは「なんとなく」参加している人が多いと思います。
でもこれもひきこもり的には立派な自発的ですよね。

ここではもう少し突っ込んで「居場所で自発的に行動できているか」という視点から見ていきます。

居場所Aの場合(居場所で自発的に行動できているか)

居場所Aでは自発的に行動している人と、そうでない人がはっきりと分かれています。
それは居場所Aの方針が放任主義で自由だからです。

だから勝手に自発的に動く人もいれば、受け身でボーッとしている人もいるわけです。
それぞれが自由に過ごせるのはとても良いことだと思います。

ただ、気になるのは居場所Bではボランティア活動などのみんなでやる事の枠組みをスタッフとボランティアだけで決めてしまうことです。
エヴァのゼーレのように上の委員会で勝手に決めてしまうようなイメージです。

「当事者を子ども扱いしているの?」
「当時者に負担をかけないようにしているの?」

運営団体には何か考えがあるのかもしれませんが、当事者も巻き込んで考えた方が良いものが生まれると思うんですけどね。
当事者だって色んな知識や技術がある人がいるのに勿体ない...。

そしてこのやり方をしている限り、自発的な当事者が活きることもないし、受け身の当事者が自発的になることもないと思います。

居場所Bの場合(居場所で自発的に行動できているか)

居場所Bは当事者だけで運営しているので、基本的には自発的に行動していると思います。
でも何かを決める時(集まる場所や日程)や意見を出し合う時には、自発的になれず誰かに意見を聞かれるを待っている人が多いです。

つまり本当の意味で自発的にはなれてはいません。

なんというか、みんなから「誰かに決めて欲しい」という雰囲気を感じます。
自分の意見を言ったり、何かを決めるのを避けている気さえします。
せっかく当事者だけでやっているから自由な意見を言えて、何でもできる可能性があるのに勿体ないです。

少し厳しいことを書きましたが、当事者だけでやっていると、ひとりひとりが自発的にならないと何も決まらないし、何もできなくなってしまいます。

まとめ(居場所で自発的に行動できているか)

あらためて考えてみると「自発的になる」というのは難しいな...と思いました。

居場所Aでは、もう少し当事者が自発的になれるように委ねて欲しいけど、居場所Bでは自発的になれる状況なのに上手くいかなかったりする。

当事者だけで運営している居場所Bの場合はみんなが自発的になる必要はありますが、スタッフやボランティアがいる居場所Aでは受け身でもいいのでは?と思います。

実際に居場所Aで受け身で参加していても就職が決まって卒業していく人もいれば、居場所の中では自発的に行動しているのに長くいる人もいますから

つまり、ひきこもりの居場所では自発的にならなくてもいいのかもしれませんね。

相互支援と相互扶助

次に「相互支援と相互扶助」について見ていきます。


こちらも少し難しい言葉なので、ここでは「当事者同士でお互いに助け合う」という言葉に言い換えて見ていきます。

僕のイメージはひきこもり当事者は誰もが自分の苦手や出来ない事を抱えているので、お互いの苦手を補い合い「自分が誰かを助ける代わりに自分も助けてもらう」という感じです。

居場所Aの場合(当事者同士でお互いに助け合う)

居場所Aでは当事者同士の助け合いは「助ける側と助けられる側の役割が固定されていて」相互ではなくて一方的になっています。

例を挙げると、自発的な人が受け身の人をひたすら一方的に助けているイメージです。

弱い立場の人に手を差し伸べるのは人としては立派な行為ですが、居場所に参加している人はみんな自分の問題や悩みを抱えているので、本当は自発的な人も誰かから助けを得たいはずです。

それなのに一方的に助ける側になっているのは、良くない状況なのでは?と思ってしまいます。
僕の経験上、助ける側になる人の方が深刻な悩みや問題を抱えている場合も多いですからね...。

そして運営団体のスタッフが自発的な当事者に他の人を助けるように促しているのも、僕はどうなのかな?と疑問に思います。
完全に回復していない当事者に支援者の真似事をさせるのはおかしくないですか?

助ける側の役割になってしまう当事者はどこでケアを受ければいいのか...。
受け身の人が無理に助ける側になる必要もないですが、もっとバランス良く一方的にならないようにしたいですね。

居場所Bの場合(当事者同士でお互いに助け合う)

居場所Bは当事者だけで運営しているので、より一部の人が一方的に助ける側になっている状況が深刻です。

居場所Bでは最初はリーダーを決めていました。
そのリーダーは他の人よりも何かと経験が豊富だったので、立ち上げたばかりの時期はすごく助かりました。
でも、みんなそのリーダーに頼り切りになってしまい、その人の負担はどんどん大きくなり、その結果、リーダーがプライベートを優先したいので卒業するという事態になってしまいました。

その後は新しいリーダーを決めず、なんとなくまとめ役になる人が出てきて運営をしていました。
僕も一時期まとめ役をやっている時期があって、その時に「色んな役割を当番制にしてみんなで順番にやることしよう」と提案しました。
そうすれば特定の人に負担を集中させずにみんなで分け合って、それぞれがやったことがない経験をできる、そう思ったのです。

でもその方法は上手くいきませんでした。
「できる人にやってもらいたい」
「自分には色んな役割をやるのは難しい」
「運営に関わらず楽しく参加だけしたい」
みんなのこのような意識が強すぎて、最初のリーダーに頼っていた時の状態が抜けなかったからです。
当事者だけで運営しているのに「できる人」頼りたいというはよく考えるとおかしな話なんですけどね。

結局、居場所Bでは「自発的な人がまとめ役になり一方的にみんなを助けるという状態が続いていくことになりました。

まとめ(当事者同士でお互い助け合う)

「お互いに助け合う」というのはなかなか難しいのかもしれないですね。
僕も一方的に「誰かを助けたり、誰かに助けられたり」という経験はあっても「相互に助け合う」というのはあまり経験がないです。

居場所AとB共に「自発的で他の人ために頑張れる人」が結果的に搾取されたり、損な役回りになってしまうのは悲しいですね

互いに対等であること

最後に「互いに対等であること」を見ていきます。


互いに対等、つまり当事者同士の立場に差があったり上下関係がないということです。

当たり前ですが、表面的には「互いに対等」は成り立っていると思います。
でも、実情はどうなのか?ということを見ていきます。

居場所Aの場合(互いに対等であること)

居場所Aでは以前は男女の当事者が一緒に参加していました。
でも女性に乱暴な言葉を浴びせる男性がいたり、女性のことを変に意識したり・変な目で見る男性がいるので女性は参加しにくくなってしまいました
その後、女性が安心安全に参加できるように女子会が作られました。

性別以外でもどうしても当事者の年齢層が20~40代と幅広いので、40代の人が20代の人にマウントを取るようなことが起きています。
たとえば、20代の人が一生懸命取り組んでいることを40代の人が「そんなのやっていても意味がないのに」などと言ったりします。

居場所Aはスタッフやボランティアもいるので、大事に至る事はないですが、やっぱり性別や年齢の違いによる問題は起きてしまいます。

居場所Bの場合(互いに対等であること)

居場所Bは当事者で運営してるのと、男女が共存しているので居場所A以上に色んな事が起きます。

詳細を書けないような男性から女性へのセクハラ行為が何度もありました。
セクハラは仲間同士の距離が離れていた最初の頃は起きなかったのですが、時間がたって距離が近くなるとたびたび起こるようになりました。

また居場所Aと同じく年上から年下へのお説教的なことも起きています。
居場所に参加している人は過去に辛い思いをしていて、同じ経験を若い人にして欲しくないからなのか、つい言ってしまうのかもしれないです。

居場所Bでは最初はお互いに対等に上手くやっていたのですが、仲間の距離が近くなってくると人間関係の問題が頻発するようになりました

まとめ(互いに対等であること)

驚くのは居場所AもBも最初はみんなで仲良くやろうと思ってスタートしているところです。

つまり誰もセクハラやマウントを取ったりすることは望んではいないはずなんですが、関係が深まる中で性別や年齢の違いなどが元でトラブルが起きています。

互いに対等であることを目指すのならば、女子会のようなジャンル分けは必要なのかもしれないですね。特に「安心安全」を大事にするのならば。

まとめ

長くなったのでシンプルにまとめて終わります。


自助グループと居場所AとBの比較結果まとめ
  • 体験の共有、分かち合い
    →無理に共有、分かち合いをしなくてもいい(特に過去は)
  • 「治療者 - 被治療者(医師と患者)」の関係ではなく「仲間」
    →居場所には支援者などの第3者が居てもいい(立場は仲間として)
  • 自分の抱える問題や悩みをしっかりと直視すること
    →居場所の中では悩みや問題は忘れてもいい
  • 強制ではなく、自発的な参加
    →自分の意志で参加していれば、あとは受け身でもいい
  • 相互支援と相互扶助
    →一番大事したい価値観、でも実現は難しい
  • 互いに対等であること
    →対等にするためには女子会などジャンル分けをする

比較の結果は「一部は満たしている」でした。

実際に他の自助グループでもこの「主要な特徴」を全部満たしているわけではないのでしょうけど、ひきこもりの居場所に関しては特徴から外れていてもいいのでは?と思いました。

ひきこもり当事者に合ってなかったり、望んでいなければ意味がないからです。

でも、このWikipediaの自助グループの主要な特徴は、とても大事な価値観が書いてあることを記事を書きながら実感しました。



今回も最後まで読んでくださって、ありがとうございました!

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