◆ 《長編・青春ホラー》 “ 影、つどう ” 9 | 黒瀬 珪 の 《 影 法 師 》 亭 

黒瀬 珪 の 《 影 法 師 》 亭 

オリジナル怪奇・ホラー小説など
古今東西怪奇傑作の感想
幻想音楽の紹介など


長編・青春ホラー “ 影、つどう ”

 9 回  “ 夜のなごり ”( その 3 )

登 場 人 物  (クリックして下さい)



  雨雲に(かげ)る山並みに向かって牧堀街道を西に進むと、宇賀神川の巨大な暗渠に行き当たる。そのやや手前に、この辺りにしては妙にきっちりと整地されたした丁字路があった。
 そこから道を折れてなだらかな坂を下って行くと、坂はそのまま昨年開通したばかりの新道に連なり、宇賀神川の堤に沿ってまっすぐ北へ延びて行く。
 スロープの曲線がちょうど終わるところに、坂越三高の校門があった。
 外来者が見落としてしまいそうなほど地味で目立たぬこの校門は、ある意味この学校のあり方を象徴しているのかも知れない。柳並木を背にして聳える水銀灯に見まもられるようにして、一組の小づくりな校門は開校以来の風雪にひっそり耐えてきた。

   ―― あたしが結婚する少し前ぐれェまではな、澄江。
  澄江の生まれるずっと前から日本生命の外交員として、牧堀村の東半分を自転車で回っていた母は、よく彼女と主婦同士がするような世間話をする。
  ――あったな村の()の方じゃなくったってハァ、たどえば坂越駅の裏の方どが、市場のあだりにはな、大っきな道ッコ一本隔てただけで世界が違うなんて場所、いぐらでもあったもんだァ。国道で考えでみ、すぐ分がるでしょ? まして線路のこっち側と向こう側だば今だってよく見でごらん、考え方がら何がら、全部ちがってっから。
 彼女の母は大した教育も受けていないが、あらゆることを人生から嬉々として学び、学ぶという意識なしにさまざまな知識を自然に吸収しては自分のものとしてきた。母のそういうところは澄江もひそかに尊敬している。
  ――あ、(スミ)。これこごだけの話な。人さ言ったらわがねぇぞ、……んでさぁ、昔はねえ、4号線はともかぐ東北線越えるったらハァ、毎度ちょっとした覚悟がいりようだったんだよ。母さんなんかな、ここば越したらもうハ何起ごっても不思議でねえ、って毎度根性ば据えで踏切渡ったもんだったァ……
  道の両側に関するこの話はとても分かりやすい。説明しろと言われても無理だが、母の言いたいことを自分はほぼ完全に理解しているだろう。
  澄江は今しがた下ってきたなだらかな坂と、その上を通るまだ車の行き来もまばらな牧堀街道を見やった。
 ならば、村を東西に縦貫するこの街道は、遠い昔からいったい何と何を隔ててきたのだ?
  一度、母さんに聞いてみようか。

 時に自分の語彙力の足りなさに悩むような所があったが、母には自分で思っている以上に内省的なところがある。―― “ 内省的 ”、と言う言葉は、澄江にかかれば “ 無駄に悩むことが多い ”、という表現に変わるのだが。
 澄江は母のした奇妙な話をどれも良く覚えていた。他にはこんなのもある。

 牧堀村に限らず東北線の西側では、時折こちら側の常識が通用しなくなる。
 大口の新規契約を結ぼうとしていた相手が、踏切で上りの急行はつかりの通過を見送ってから、線路を石動町側へ渡ったとたんに考えを変えてしまい、話がいっぺんに振り出しに戻ったこともあるそうだ。
  時間の経過も尋常ではない。市の人間が約束時間に間に合いそうもない、と思っても、目的地が牧堀村なら大概まにあう。逆に市の人間が村人の訪問を待つ際には、例外なしに予定時刻から30分は余裕を見る。(〝 牧堀時間 〟というやつだ。)
 市の人間が村で時間を過ごすと、村の奥まった場所に居る時はちょっとの間だと思っても、帰りのタクシーが見竹町の消防署前にさしかかったあたりで、往々にしてとんでもなく時間が過ぎているのに気づく。村の人間が市で過ごした時はこれと逆の現象が起こる―― 澄江にはこれが不思議でならない。浦島太郎や他の童話でも、華やかな場所で過ごした時の方が時間は早く過ぎ去るのに。しかし澄江自身が中学のころ、正にそのような経験をしたことがあった。
  さらに市の人間からすると村の人間は、昔から伝わることを全て覚えているくせに、往々にしてごく最近の出来事をまったく覚えていない。 むろん村の人びとにとってはこの逆で、町の人間は最近の細々した出来事ばかり必要もないのにしっかり覚えていて、肝心な古くからの伝統など何一つ覚えていない、と言う事になる。
 閑話休題。

 そのころ郡部を回る保険外交員たちが当然のように行っていたように、澄江の母もまた宣伝代わりの奉仕活動(・・・・)として、顧客たちにいろんな世話を焼いていた。
 交通が不便で近所にろくな商店もない僻地の家庭には、ちょっとした買い物を代行してやったり、届け物をしたり、さらには愚痴の聞き役に毛の生えたような、人生相談の真似ごとまでやっていた時期もある。
  最近は澄江の二人の兄が家計をまかなっており、母は病に倒れた夫の世話をするようになって仕事には出なくなった。

  しかしかつて足と気配りで作った郡部の人脈は健在で、仕事と関係なくなった今でも都市部より遙かに濃密で錯綜した牧堀村の、血縁やら人間関係に関する詳細な生き字引として、村の年配者たちからのさまざまな相談を受けている。
 
時には村議会と市の商工会の、こまごまとした調停役までこなすらしい。
  実を言うと澄江は三高で一緒になるよりかなり以前から、二本柳螢と進藤裕のことを知っていた。
  営業用、と称する母の長電話を立ち聞いてるうちに、将来は牧堀村で最も毛並みのいい夫婦となるやもしれぬ優秀な若い二人、二本柳農園の次女とシンドー電気の次男坊にまつわる噂を、澄江は自然と耳にしてきた。
 年頃になった宮さまのゴシップでも話すように、母が二人に関してどんなことを電話で吹聴していたかはもちろん、そもそもそんな話を母が営業トークの種にしていることさえ澄江はいっさい他言していない。
 仕事上知り得た個人情報と噂話のたぐいはきっちり区別しているようだったが、噂の当人たちの耳に母のそんな話が入ったらどうなることか、澄江には恐ろしすぎて考える勇気さえなかった。
  ―― のちに女子バレー部の運営を通じ、生徒会役員となっていた二人と親しくなった澄江は、噂以上に非凡なその人柄に驚いた。だが一方で何とも牧歌的で時代遅れなこの牧堀村版ロイヤルカップルの、気が遠くなるほど長閑
のどか)
ともだち(・・・・)関係に、呆れかえりつつもひそかに感動したものだ。
  まるで石坂洋次郎の小説である。
  これも母の言う 〝東北線の向こう側でしか起こらないこと〟 の一つなのかもしれないが……  



  コの字型の校舎に囲まれた中庭はイチョウの枯れ葉のモザイクに彩られ、足早に歩くと濡れた砂がざりざりと鳴った。時折校舎の外周に沿って植えられた柳が突風にあおられて、驚くほど大きな水滴が飛ばされて来ては、澄江のほほや唇に散弾のように弾けた。
  花壇の側まで来た時、不意に目の前に栗鼠が一匹飛び出して来た。
 栗鼠は澄江の前で立ち止まり、ちょっと首を傾げて彼女の顔をしげしげと見詰めると、再びちょこまかした足取りで枯れ草の中へ走り去った。
  しかめっ面を崩してくっくっとあどけなく笑いながら、水銀灯の下にスポーツバッグを下ろすと、澄江は風の中で両腕を伸ばし思い切り欠伸(あくび)をした。

                 
 管理棟の角を曲がった途端、澄江は声高に話しながらやってきた娘たちと鉢合わせた。澄江は学生鞄を取り落としそうになり、肩先に鼻をぶっつけた少女は短い悲鳴とともに立ちすくんだ。
 あとから来た二人の少女は、つんのめるようにして立ち止まり、しばらくのあいだ四人は無言のままその姿勢で硬直していた。
 ぽかん、と口を開けていた澄江が一番先にわれにかえった。
  「アイヤ、お前達(めだづ)がァ」
  「あ。ぶ、部長。お早うございます! あー、びっくりした!」
  澄江の前でおたおたしているのは、女子バレー部の仲のいい一年生三人組だった。みな一様に小柄で、お仕着せの臙脂のジャージを着、白く粉をふいたような頬を寒風に染めている。                
  「びっくりしたのハァこっちだァ。何やってらのよ。お前達(めだづ)ハァ、こったな朝も早ぐがら」
  まだろくに口もきけないでいる佐々崎千香を無視し、澄江はその背後で顔を見合わせている長尾みどりと和田純子をにらんだ。
  「(ほが)の連中は?」
  「まだですけど。――あの、先輩」
 純子とみどりは同時に体育館の入り口を指さした。
  「ん?」
  よく発達した上体を前に突き出し目を細めてから、澄江は背後の後輩たちに聞こえないよう小さく舌打ちした。それは自分でも嫌でしょうがない、寝たきりの父親ゆずりのくせだった。
  「なにか、中にいるようですよ」
  和田純子が進み出て、来客を告げる秘書のような口調で言った。
  「もしかすると野良犬さんが迷い込んだのかも知れませんね。でも、野良犬さんってドア開けられるのかな? 猫ちゃんが障子戸開けたなんて話は聞いた事はありますけど。うーむ」  
  「いいから和田」
  はい、と素直に頭を下げ、その上ご丁寧に和田純子は後へ一歩退いた。その慇懃無礼なしぐさに澄江はかっ、とした。怒鳴りつけようと思ったが、何を言いたいのか自分にも分からず、結局もう一つ舌打ちをするにとどめた。
  純子は恐ろしく生真面目な娘だ。考えてみると、このやたらごつい黒縁眼鏡をかけた貧相な少女が笑うところを、澄江はまだ一度も目にした覚えがない。
 「音でもしてらのが?」
 「いいえ、してません!」
  千香とみどりがせわしなく首をふり、一拍おいて純子が深々と頷いた。
  ―― なんでチビ二人が首振ってるのに、おまえだけ頷くんだバカ!
  渡り廊下でスニーカーに履きかえると、澄江は一年生三人を従え体育館へ向かった。
  正面玄関につくと、澄江は嵌め込まれた大きな硝子窓から中を覗いた。窓の内側には黄ばんだ木綿のカーテンが引かれている。
  パーカーの前を開くと、澄江は赤い紐で首に下げた鍵を取り出した。
  ノブに鍵を差し込もうとすると、把手(とって)は金属的な弾力を伴ってぐるり、と回った。
  鍵はかかっていなかった。
  ここの合鍵を持っているのは、自分とあともうひとり。
  二本柳螢だ。演劇部長の。
  きっと自分は今、生まれてこの方なかったくらい険悪な目つきになっているだろう、と思いながら、澄江はしばらくの間ドアノブを握りしめていた。
  やがて澄江はゆっくりと、わずかに汗ばんだ手をノブからはなした。
  死にかけた仔猫が啼くように、微かな音を立てて把手はもとに戻った。

【 続 く 】

 

目 次 へ