◆ 《長編・青春ホラー》 “ 影、つどう ” 11 | 黒瀬 珪 の 《 影 法 師 》 亭 

黒瀬 珪 の 《 影 法 師 》 亭 

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長編・青春ホラー “ 影、つどう ”

 11 回  “ 夜のなごり ”( その 5 )

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 「佐々崎」 
 ドアノブに目を落としたまま、澄江は低く言った。
 「お()何故(なして)ここの鍵ッコあいでる、づぅ話ば先にしねェのよ?」
  背後で千香とみどりの体が硬直するのが分かった。潤子はあいかわらずたじろぐ様子もなく、重々しく幾度もうなづいている。
  「それどもお前達(めだづ)ハァ、すったな事も確かめねえで今まで騒いでらったのが?」
  「えーと、それはですね」
  「和田! おめはもういい黙れ!」
 純子を再度どなりつけ、澄江は渋面でカーテンの閉まったドアを睨んだ。
 扉が開いている。と言うことは。
 中にいるのは人だ。
 人ならば話は通じる。
 見解の相違はあるにせよ。

  ――ところで、あたしはなんでこんな妙なことを考えてる?

  澄江は小さく舌打ちするとドアから下がり、ポケットからゴムバンドを取り出した。
  首の後に手を回して髪をひっつめ(たば)ね終えると、澄江は無言で立っている一年生たちに向き直った。
 「最初に来たのハァ、あたしです」
  澄江が促すより先に、うって変わった深刻な口調で千香が語り出した。
 「ちょっと早く来すぎた、って思いました。誰もいないこんな暗い(どご)さ入るの嫌だなって思って、みんなば待ってらったんです。で、何気なくドア押したら―― 開いでだんです」
 「で?」
  澄江は男のような腕組みをした。今度は納得づくで。
  後輩に内心の不安を悟られたくなかったし、何よりこのしぐさには、たしかに心を落ち着ける効果がある。
  「あたし、てっきり主将が開けたもんだど思って中に入ろうとしたんです。そしたら……」
  かなりの量の唾液を飲み込んでから、唇をなめて一息ついて、千香はいった。
  「扉の向ごうっ(かだ)に―― 誰か、いました」
  「ドアば開げねェで、向こう側さ誰がいるの何故(なして)分がった? それもまだおがしぐねえが?」
 「分がったんです! ――何でかは分かりません」
 泣き声になるのを必死でこらえながら、千香は続けた。
  「確かに何か、いだったの! このドアのすぐ向こう側さ、何かが息殺してじっと立ってた……」
  「落ち着けって。佐々崎」
  澄江は苦々しげに溜息をつき、千香を手招きした。
  「お前、ちょっとここさ()」  
  子猫のように不器用な歩き方で千香は澄江のそばに来た。
  「どうだ」
  澄江はドアの前に千香を立たせると、その頭ひとつ低い娘の肩に両手をおいた。
  「いまは何かいっか? 中さ」
 千香は無言で首を横に振った。
  「何もいねえって、何故(なして)分がる?」
  澄江のてのひらの下で、千香の華奢な肩がふたたび強ばった。
  「どうして、だろう……?」
  千香はほとんど聞き取れぬ声で囁いた。ボブカットからは、日向のにおいと味噌汁の香りがしていた。

 ―― 東北線西側の常識、というやつか。これも。

  何もいわずに千香から体を離すと、澄江は重いとびらを押した。
  あたかもこの世に生まれた最初の音のごとく、蝶番のきしみは高い屋根の下いっぱいに響き渡った。



間をおかず深海底のような静寂がもどってきて、再びがらんとした体育館を満たした。
  天井高く張り渡された鉄骨の上やギャラリーの下の暗がりには、まだそこここに夜の残党が居座っていた。それはさきほど澄江が山の斜面に目にしたものと同じ、取り残された夜闇のなごりだった。
 ステージの緞帳が開いている。
 玄関の入り口から見ると、普段から陽の射さない舞台の上では、時間までもがまったく違うスピードで流れているように感じられた。
  澄江のいる場所から20メートルそこそこしか離れていないにもかかわらず、そこは紛れもなくまだ “ 夜 ” のままであった。
  ステージの隅に押しやられた演台の上には、しわくちゃの書類袋やマジックインキの入ったクッキー缶が放置されている。どうやら演劇部のものらしい。それをぼんやり見つめていると、説明のつかない淋しさが背筋に染み入ってくるようだった。

  ――あそこにあるがらくたは、昨夜一晩ああして闇の中に転がっていたんだ。そう言えば、昨夜は地震のあと、ひどい風になったっけ……。

  澄江は気を取り直し、後輩たちに向き直ろうとした。その瞬間。
 「……!」  
 澄江は鋭く息をつき、弾かれるように首をもどした。
 ステージから目をはなすと同時に、死角ぎりぎりの所でなにかが大きく動いたのだ。
  「ど、どうしたんです主将!」
  黙っていた長尾みどりがおびえた声を上げた。澄江は後を見ず囁いた。
  「見ねがったが? 今の」
  答えはなかった。 上手(かみて)側の舞台袖から何かが一瞬姿をあらわし、すばやく引っ込んだのを、澄江はたしかに目にしていた。
   澄江は息をととのえ肩から力を抜いた。入り口の安全灯の下でゆっくりと体のむきをかえ、澄江はふたたび薄暗がりと対峙した。
  舞台の両袖には、オータムピンクの緞帳が束ねてまとめてある。
  しばらくの間、息もつかず見つめていると、上手がわに畳まれた緞帳が、暗がりで微かに波打った。
  「主将――」
  「黙れ」
  澄江は朝まだきの薄闇に踏み出した。そして気づいた。 
  床が濡れている。 
  まるで夜露でも降りたように。
  一歩床を踏みしめるたびに、バスケット・シューズが甲高い音を立てた。
  さらに、空気もまた湿っていた。底にぬれた黒土のにおいが濃密に沈んでいる。
  ホールをゆっくりと突っ切りステージへ歩み寄ると、澄江は逞しい両腕を舞台に突いた。そのまま助走もなしにステージへ体を押し上げる。
  ステージに立つと澄江は腕組みをし、暗い舞台袖をのぞき込んだ。
  用具室に続く扉はぴったり閉じられている。誰もいた形跡はない。 
  落ち着いた足取りで澄江は、丸めて壁にとめられた緞帳へ歩み寄った。 
  糸のように目を細め、澄江はしばらくの間まとめられた分厚い引き幕を見つめていたが、やがて前触れもなしに右足で緞帳を激しく蹴った。 
  分厚く巻かれた大きな布が、天井まで震えた。 
  体育館はしん、と静まり返っている。 
  二度、三度と澄江は長い足を旋回させ、緞帳を蹴りつけた。
  緞帳はゆったりとした動きで揺れていたが、やがて動きを止めると、舞台の上で動く物はなくなった。
  うすあかりの中を、ゆっくりと無数の埃が舞いおりて来る。 
  澄江は早い息をついてしばらくその場に立っていたが、やがて逞しい肩をすくめ、上手へ歩き出した。むしょうに腹がたった。
  自分は一体何に怯えていたのか。せめてあそこに、どんな下らぬものでもいいから本当になにか(・・・)いてくれたなら、それなりに気持ちの整理もついたろうに。 
  ―― 瞬間。
 両足が凍りついた。 歩みが止まった。
 理由もなく確信した。 
  いる。 
  ―― 頭上(・・)に。 
  何かは分からない。いや、分かりたいと思わない絶対に。
 しかしそれ(・・)はいま、息一つせず自分を見つめていた。  ステージの天井に格子型に組み合わされた、長細い板材の上から。
 自分を疑う余地もなく澄江は、それ(・・)の存在を全身で確信していた。 
  ゆっくりと首を上にそらす。 舞台上に交差して張り渡された平板の上には、ただの一度も陽の光を浴びたことがない黴くさい空間があった。
 体育館の竣工以来10年あまりの間、そこに座を占めてきたひとかたまりの闇は、内側から見上げた空洞の塔となって遙か上方へ無限に連なっていた。
  ふわり、と上下の感覚が曖昧になり、足許がゆらいだ。

 


 その時、不意に入り口が騒がしくなった。バス通学組の部員たちがようやく到着したのだ。
  「あ、先輩。お早うございまあす!」
  「アイヤ悪ィ悪ィ。(おせ)ぐなったァ。ね、ね、澄さん。昨日の地震――」 
  たちまち淀んだ空気が変質した。空気は軽くなり、その密度が一気に低下する。
  「阿呆ったれ!」 
  一瞬で普段の自分を取りもどした澄江は、だらけた雰囲気になる前に思い切ってステージから一喝を浴びせた。  「(おせ)ぐなったでねェ馬鹿たれ! 何やってらったどいづもこいづも。お前達(めだづ)ハァ、やる気あんのが!」 
  「あいや澄さん知らねがったってがァ? 今朝っから県交通まだスト始めたんだぞ!」 
  「まったく参ったよねえ。予想通りバスは来ないしさ。来れば満員で乗れないし、国道はかのと橋の辺りから大渋滞してるしさあ!」
  「だがら()したァ? 予想してらったんなら何故(なして)もう30分(はえ)ぐ家出で来ねえのよ!―― おら! いいがらさっさど早ェどご支度せェっ! いいが? おめえら今日はハァ、徹底的に、死ぬまでしごぐがらな覚悟せぇ!」
  「それ言うなら今日()、だえんちぇ! 違うのスかァ。主将?」 
  「その通りだァ。やいのやいの言ってねえで、殺さんねェうちに早ぐせェ田吾作!」 
  「あーあ、もう!」
  (にわか)に館内は活気づいた。かすかに荒廃の気配をまとった静寂は跡形もなく消えすべての物が各々(おのおの)の場所で明確に存在し始めた。
 ヒステリックな叱責と掛け声の飛び交う中、澄江はたちまちつい今し方の、出来事とも言えぬ出来事を忘れ去っていった。
 しかし本格的に練習が始まってからも、どうしても薄暗いステージの奥に目が行ってしまい、そのたびに澄江の心の中で何かが居心地悪げに身じろぎをした。 

  ――だから、それが一体どうしたっていうのよ澄江。あんたらしくもない。 

  最後に一度だけ敵意のこもった目で舞台を睨みつけ、ねらいが外れて首筋へ飛んできたボールを無造作に手の甲で叩き返すと、澄江は右手を上げ大声で練習を中断させた。

 

 

【 続 く 】

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