以前もこのブログで記しておりますが、最近は仕事が忙しく、記事の書き貯めがなかなかできない状態になっております。7月に一日二回記事を追加したのがここにきて痛手となったか…。

 

それではお参りした神社を紹介します。今回紹介する神社は群馬県伊勢崎市境の瑳珂比神社です。東武伊勢崎線 境駅の南側に鎮座しております。

御祭神は倉稲魂命、火産霊命、素盞嗚命、菅原道真命、誉田別命、建御名方命、大物主命、鎮西八郎為朝命、大日孁命。

大永年間(1521年~1527年)に能登半島より来た小此木左衛門尉長光により能登国の石動明神の御分霊を奉斎したのが瑳珂比神社の始まりとされております。
元亀3年(1572年)、長光の子である左衛門次郎が武運長久を祈って稲荷の神像と石製の剣を奉納し、石剣権現と称しました。
天正8年(1590年)に小此木氏が当地を去った後は石剣稲荷大明神と改められました。
明治7年(1874年)、村社に列せられ、明治40年(1907年)に町内の諏訪神社と境内社の菅原神社、八幡宮疱瘡神社、八坂神社、稲荷神社、神明宮、琴平宮、秋葉神社を合祀し、現在の社名である瑳珂比神社と改称されました。

 

前回紹介した境稲荷神社から自転車を走らせ、瑳珂比神社の社頭に到着しました。

 

一の鳥居をくぐると右手に手水舎があります。

 

水口の蛇口をひねると手水が出てきました。

 

参道を先に進むと二の鳥居が建っております。

 

二の鳥居をくぐり、先に進むと右手に瑳珂比神社の拝殿が鎮座しております。

 

拝殿前には小さな神狐がありました。

 

こちらは瑳珂比神社の本殿です。

 

瑳珂比神社の拝殿左手に鳥居が建っております。

 

先に進むと境内社が鎮座しております。鳥居が並んで建っており、覆殿内には神狐があったので、こちらは稲荷神社になります。

 

稲荷神社の右手には石碑や小さな祠が多数ありました。

 

こちらの境内社は隣にあった例幣使道と六斉市の由緒書きから、天王宮でしょうか!?

 

手前にある水盤には安永四年乙未年九月吉日と書かれておりました。安永四年は西暦1775年である為、今から約250年近く前に奉納されたものとなります。

 

こちらは招魂殿です。

 

招魂殿の隣には日露戦役記念碑が建っております。

 

招魂殿の鳥居のそばにも小さな水盤がありましたが、こちらは昭和三年十一月三日に奉納されたもので、先ほどの水盤に比べると新しいものとなります。と言ってもこちらも奉納されてから100年近く経つんですけどね。

 

こちらは招魂殿の鳥居左手にある贈従五位村上君碑です。

 

こちらは一の鳥居右手、招魂殿の右手にある瑳珂比神社の社務所です。中にはどなたもいらっしゃいませんでした。

 

御朱印を頂けないか電話を掛けてみるも、電話の電源が切れているかコードが抜けている事により繋がらなかった為、確認する術がなく、御朱印を頂く事は出来ませんでした。

 

 

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