こんにちは、ロイヤル麦茶です。

 

出勤するとコンビニや自販機で飲み物を買う事が多くなりますが、スーパーマーケットに比べて値段が高くなるので、最近はAmazonでよく飲むお茶を箱買いして、職場に持っていくようにしております。箱でまとめて買った方が安くていいのですが、うちの台所は狭いので、置き場所に困りますね…。

それではお参りした神社を紹介します。今回紹介するのは鹿児島県薩摩川内市宮内町の新田神社です。枚聞神社とならび薩摩国一宮の神社で、川内駅の北西にある亀の形をした神亀山の山頂に鎮座しております。

御祭神は天津日高彦火瓊瓊杵尊、天照皇大御神、正哉吾勝々速日天忍穂耳尊。

新田神社の名前が古文書で初めて出てくるのは平安時代で、当時は「新田宮」と称しておりました。
承安3年(1173年)に火災があり、神亀山の中腹にあった社殿が焼失しましたが、その後、山頂となる現在地に再興されました。
新田の名は、瓊瓊杵尊が川内川から水を引いて新しく田んぼを作った意味が込められているそうです。

 

宿泊しているホテル近くにある天文館通停留所から鹿児島市電に乗車して、鹿児島中央駅へ向かいます。

 

乗車する列車がやってきましたが、可愛らしい車両となっておりました。

 

鹿児島中央駅に到着しました。

 

鹿児島本線の普通列車に乗車して川内駅へ向かおうと思いましたが、この日は平日で、通勤・通学のお客さんが多かった事から、一駅だけですが、九州新幹線に乗車する事としました。

 

ホームに上がると、乗車するつばめ310号の車両がすでに入線しておりました。

 

余談ですが、800系の車両に乗車するのは今回が初めてです。

 

800系の座席後面にはテーブルが無いんですね。ひじ掛けに小さなテーブルが収納されておりますが、弁当を食べる場合はちょっと不便かも…?

 

鹿児島中央駅から普通列車で移動すると、50分強で川内駅に到着しますが、新幹線だと10分強で、物凄く速いです。あまりの速さに九州新幹線を満喫する間もありませんでした。

 

乗車したつばめ310号が川内駅を発車した後、反対側のホームには鹿児島中央行きのN700系車両が入線してきました。

 

川内駅から南国交通のバスに乗車し、大小路バス停で下車しました。

 

川内川沿いを西へ進みます。

 

しばらく進むと工場が見えてきました。パルプ工場だそうです。

 

パルプ工場の隣に、新田神社の参道が伸びております。

 

参道入口に建つ鳥居です。

 

新田神社に向けて、数百メートル参道がまっすぐ伸びております。

 

参道を進まず、参道入口から更に川内川沿いを西へ進みます。

 

新田神社の参道入口からく西へ進むと、新田神社の末社、九樓神社と守公神社の合殿があります。

 

更に西へ進むと新田神社の末社、大己貴神社があります。

 

大己貴神社の北西には新田神社の末社、武内神社があります。

 

こちらは武内神社の境内にありました水盤です。

 

こちらも武内神社の境内にありました常夜燈ですが、竿から上は崩れ落ちてました。

 

武内神社をお参りした後、新田神社の参道に戻りました。

 

新田神社の参道には桜の木が植えられており、春には多くの花見客が訪れるそうです。

 

参道を進むと新田八幡宮と書かれた常夜燈が建っておりました。かつては石清水八幡宮から勧請した八幡五所別宮の一つとされていた事から、新田八幡宮と呼ばれていたそうです。

 

一の鳥居から長い参道を進み、二の鳥居前に到着しました。

 

二の鳥居をくぐると、新降来橋が架かっております。

 

新降来橋の先には降来橋が架かっております。

 

降来橋は明治25年(1892年)に、新降来橋は昭和61年(1986年)に架けられたそうです。

 

尚、二の鳥居の前には次郎作橋と呼ばれる橋が架かっておりましたが、昭和43年(1868年)の都市計画街路工事により撤去されました

 

こちらは新降来橋の左手に建っていた国幣中社昇格五十年記念碑です。書かれている文字は島津忠重によるものです。

 

 

降来橋を渡った先に新田神社の社殿へ続く石段が伸びております。

 

石段の下には、遥拝用の賽銭箱が設置されておりました。

 

石段の左手には社号標が建っております。

 

石段の右手奥には新田神社の御神田があるので行ってみます。

 

御神田へ向かう途中、新田神社の末社、保食神社がありました。

 

保食神社はそばにある幼稚園・保育園の園庭の奥にあり、この日は平日からか、中に入る事はできない状態となっておりました。

 

こちらが新田神社の御神田です。幼稚園・保育園の隣にあります。まだ御田植祭は行われていないので、雑草が生えている状態でした。

 

参道に戻り、石段を上ります。

 


石段を上ってすぐの所に、門守神社があります。石段右手にあるのが東門守神社で、左手にあるのが西門守神社です。

 

神亀山の中腹まで上りました。尚、中腹には駐車場があります。

 

石段の右手にはイザナギ河童とイザナミ河童の像がありました。

 

石段の左手には末社が三社並んで鎮座しておりました。

 

一番奥には早風神社があります。

 

真ん中にあるのは中央神社です。

 

一番手前にあるのが高良神社です。

 

三社の末社の前には旧社殿の礎石があります。最初にも記したように、承安3年の火災で焼失するまで、こちらに新田神社の社殿がありました。

 

続いて、社殿へと続く石段を上ります。

 

石段の下には狛犬がおりました。

 

中腹から社殿前へと続く石段の途中にも駐車場があるので、足腰が弱い方や体力に自信が無い方は車でこちらまで上がってくると良いでしょう。

 

石段の終わりが見えてきました。

 

石段の頂上手前には御神木となる大楠がそびえ立っております。樹齢2000年と伝えられておりますが、実際は650年~800年と推定されております。

 

地上2メートルの所に大穴牟遅神の木像が彫刻されているそうですが、どのあたりにあるのでしょうか?

 

石段を上り切った所に子だき狛犬がおります。特徴的な顔をしております。

 

神亀山の頂上まで上り切り、勅使殿の前に到着しました。

 

手水舎は勅使殿の右手にあります。

 

水盤が二つありました。

 

勅使殿左手奥に現在は使用されていない水盤がありました。

 

 

玉垣内に境内社がありますが、近くまで立ち入る事はできませんでした。

 

勅使殿でお参りした後、新田神社の社殿裏手にある、可愛山陵へ行ってみました。

 

社務所の横を通り抜けます。

 

新田神社の社殿右手には宝物庫らしきものがありましたが、中に入る事はできないようです。

 

先へ進むと参道が二手に分かれておりますが、可愛山陵は左手にあります。

 

可愛山陵の前に到着しました。可愛山陵は神代三陵の一つとなりますが、神代三陵はすべて鹿児島県内にあります。

 

可愛山陵から戻り、授与所で御朱印をお願いしました。

 

頂いた御朱印です。

 

帰りは可愛山陵へと続く参道とは反対側にある石段を下ってみました。

 

下ってすぐの所に木の根元が石段にせり出しておりました。

 

こちらの石段は新田神社の社殿へと続く石段と違い、途中に休みが無く、延々と石段が続いております。

 

石段の終わりが見えてきました。

 

可愛山陵の石段下り切りました。

 

石段を下った所には可愛山陵の標が建っておりました。

 

尚、今回紹介していない新田神社の御陵社や境外末社(神亀山の頭部部分にある端陵神社や首部分にある中陵神社、薩摩川内市五代町の川合陵神社と大将軍神社、薩摩川内市小倉町の八尾神社、薩摩川内市港町の船間島神社)はお参りしておりません。

 

 

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