【アメリカ人とのパートナーシップ⑨】アメリカの出会い系アプリで出会った15歳年上の白人男性ー第二弾

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こんにちは。

オトメと申します。☺

今このページに辿り着いているあなたへ、貴重なお時間を割いていただき大変感謝しております。

プロフィールおよび連載ストーリーを読まれた方でもそうでない方でも、きっとこのサイトの何かにご興味を持たれてお越しくださったのだと信じております。

最近ようやくプロフィールおよびオトメのここ数年の激動のアメリカ人生を綴った連載ストーリーが完成し、

気づけば日本、アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパ、アジア、カナダなど方々からアクセスしていただけるようになりました。

オトメと一緒にこれからもアメリカのオトメ日常の疑似体験を楽しんでいただけることを願います😊。

さて今回のコラムは「アメリカの出会い系アプリで出会った15歳年上の白人男性ー第二弾」についてお話ししてみたいとおもいます。

 

 

気が付けば15歳年上の白人男性にハマる

私オトメはかれこれ2000年より20年間ちょっとアメリカで生き延びてきてしまったサバイバーです。

そして一応これでもバツイチ子持ちの40代半ばの女性です😊。

勉強ができず、勉強が大嫌いで、何か面白い生き方はないか、と就職大氷河期であった日本を2000年に脱出したあと、

勉強ができる → アメリカでの研究者キャリアを築く

のではなく、

生き延びるために仕方なく勉強して → 気が付いたらアメリカ政府に認められる研究者

になってしまっていたような人間です(詳しくは連載ストーリー参照)。

そして何をどう間違えたのか、今では女性に重きを置いた臨床系、公衆衛生系の医科学研究のプロとなってしまいました。

 

まあこんなめちゃくちゃなアメリカ人生を歩んできた私ですが、とまあどれだけ経験を積んでも人間って基本的に変わらないんだなって呆れてしまうくらい、今でさえ結構おっちょこちょいであったり、かなり人の好い側面があったりするのも事実ですね。

落ち着きがなく、それでいて一つのことに集中しだすと止まらない、などそういった性質はアメリカに来て随分してから

 

大人型の多動症

 

なんていう言葉と同時に、自分が今まで気が付いていなかった一面に気が付かされたりもしました。

こういった側面を持つ人間というのは、一つの目的が達成されてしまったり見失ってしまったりすると、オリンピックで金メダルを獲得した選手のように、受験で東大合格した生徒のように、または受験をあきらめてしまった浪人生のように、気が抜けて同時に軽い不安症やうつ状態に悩まされ、また落ち着かない日々を過ごすに至ったりもします。

だから目的を達成できないと、その歯がゆさとそれに対する執着心で時に苦しくなったりもしますが、逆に目的自体がないと不安やうつに悩まされたりもするわけです。

そういったいたちごっこのような終わりのない精神状態に疲れ切ってしまうと、生きていること自体が嫌になってしまったりしたことすらあります(詳しくは連載ストーリー参照)。

年齢とともに体力や気力が徐々に落ちていったことも関係していると思いますが、人生後半はせめてもう少し日々の生活を楽しむことも心掛けようと、2020年くらいから心身・生活態度とともに再調整をかけていきました。

2020年といえば、2000年にアメリカに来てからちょうど20周年記念でもありますね。

まるでそれを心身で感じ取っていたかのように、あらたなアメリカでのオトメ人生が調整され再開されていったようにも思えます。

 

そのうちの一つに、自分の心身の健康にもう少し十分な経費をかけて大事にしてやること、があります。

これまでも結構な健康オタクではあったのですが、40を過ぎて体力・気力が急激に衰えてきた、という実感がありそれとともに自分の力でアメリカでの人生を切り開いていくことに対して急に自信がなくなってきました。

やはり、心身の健康に自信あってこその自由な人生、なわけですからね。

もう一つは、今このようにブログを書いているのもその一環ということになりますが、同世代の日本の方々やアメリカに興味のある日本の方々と遠方からでも自分を知ってもらい発信をし続けることで徐々につながりを作り上げていくこと、です。

今まで自分はツイッターも含めブログなどから不特定多数を相手に発信をしたり自分を表現したりなんて全く縁のない人生を歩んできたわけですが、やはりオトメがよく訪れていた日本の男女関係についてのサイトを通じて、自分の力で想い通りに人生を歩む、というテーマでラインコミュニティを経営されている日本の同世代の方々とつながり、彼らの影響でこのようにインターネットを通じて日本とのつながりを築き上げていく時間を日々の中に少しずつ取り入れるようになりました。

※もしあれだけアナログに生きてきたオトメをこんな風にインターネットを通じて日本の方たちと繋がることを現実的に考えるように影響した人たちについて興味がある方は、ぜひこの記事の最後のラインに登録してみてくださいね。

 

そして、三つめはこの記事のタイトルともなっている、離婚後子育てを遠くからしながらも、女としての自分を満たすパートナーシップについてもっと真剣に向き合って、素敵な相手とその夢をかなえていく、ということですね。

オトメは2017年に見事離婚をしていますが、子供たちがまだ小さかったこともあり、経済的な理由からも実はその後2021年後半までいわゆる「離婚同居」ってやつをしていました(詳しくはコラム記事参照)。

今から考えるとよく四年間も…なんて自分自身にびっくりですが、その間もコロナ禍等いろいろあり、子供たちを東京の実家に疎開させるなど、また自分の研究キャリアを見直し立て直していくなど、飛ぶようにこの四年間は過ぎていきましたよ。

よく日本でも熟年離婚なんて言葉が出来たくらい、退職後に子育てを終え、夫婦で仲睦まじい時間を過ごすのかと思いきや、逆に離婚してしまうなんて話を結構聞きますが、その方たちの気持ちもわからないではないです。

時間って家庭や子育てや仕事で目いっぱいだと本当に飛ぶように過ぎていってしまい、あとから愕然としたりするものなんですね。

それでも徐々に女としてのオトメ自身を大事にしていく、という考えを離婚とともに少しずつでも育てていったせいか、離婚同居も四年で無事終わり、今ではワンベッドルームのアパートにひっそりと一人暮らしをし、

半年に一回くらい東京の実家に長期滞在して子供たちと母親との時間を満喫したりしています。

もちろん今の状態が永遠に続くとも思わないのですが、とりあえず今のところは全ての状態がそれぞれの場所に落ち着いてひと段落した感じですね。

不思議なことに、男女のパートナーシップに対して徐々に真剣にそして現実的に向き合うようになるにつれ、前は日本人じゃないとそのうち窮屈に感じるんじゃないかとか、あまり身近に新しいパートナーなる存在が出来たとしても、また前の夫と同じようなストレスを抱え込むようになるんじゃないかとか、そういった不安や恐れもなくなり、

なんと今ではアメリカの出会い系アプリを通じて声をかけてくださったアメリカ人の白人男性と

 

電撃的に

 

そして

 

ゆっくりと

 

人間関係をそして男女関係を築き始めるに至りました。

 

え、っていうことはオトメさんはまだ第一弾で語っていた15歳年上の白人男性とお付き合いしているの?なんてあなたはワクワクしてきていませんか。

そうなんです。まだまだ出会って一か月くらいしかたっていないので、まだまだ何がどうなるかなんてわかったものではありませんが。

何しろ、日本の方でもアメリカの方でも今のところ

 

半年以上

 

関係がまたは交流が続いたことなんてありませんからね💦。

大人型の多動症でもありますから、お互い惹かれあう相手と出会ってしまうと一種の盲目状態となり、一気に関係を深めてしまう傾向にあるのがオトメです。

まあ、よく言えば

 

効率的

 

ともいえるんですがね…

だから今度こそは~なんて出会い系アプリを通じて浅く広く時間を掛けてゆっくりといろんな人と関係を深めていこうかしら~なんて思っていた矢先、最初に声をかけてきてくれた今お付き合いしている15歳年上の白人男性とまたもやいつもの騒動を繰り返すに至ったんですね~(笑)

というのも、この男性も実はかなりの多動症であり、それは彼が子供の時からの話だそうです。

多動症用の薬も処方されていたくらいですから、おそらく私オトメよりも重症なんだろうとは予想しております。

まあそれでも、武術を10歳のころから続け、そのままその道で経営者ともなったくらいの方ですから、自分の心身をうまくコントロールしていく、という

 

精神力と生活習慣

 

を人生の早くから確立しており、そういった意味では逆に多動症が彼を規律正しい人間に育て上げた、ともいえるわけですね。

あまりにも健康的だとかえって自分自身の健康状態を過信してしまい、あとからガックリくる、みたいなこともありますから、一種の必要悪ともいえるわけですね。

 

 

気が付けば彼のペースに乗せられて

武術の世界では最高の武器は知性、という言葉がありますが、結局は自分や相手の心や体を不必要に傷つけずにいられるに越したことはないわけです。

自分に精神的に肉体的に無理がかからないように、そして同時に相手が嫌な思いをしないように、と健康的な人間関係を築くにはごく当たり前の気遣いの話をしているのですが、これって意外に親密な関係においては難しかったりするんですよね。

それは、相手が自分を傷つけるつもりじゃなかったとしても自分が勝手に傷ついてみたり、また自分が相手を傷つけるつもりじゃなかったとしても相手が勝手に傷ついていたり、ということが日常的に起きるからだと思います。

それでもお互いが本当に大切な存在ならば、そこは理性を働かせて二人で時間を作ってじっくり話し合うとか、すり合わせをしていけばいいだけの話なんですが、そこに行きつく前に多くの場合なんだかおかしな事態に至ってしまうことのほうが多いようです。

今お付き合いさせていただいている15歳年上の白人男性、足長おじさん、との関係に至っては、お互いに誤解をしてしまうよりも、まず話し合いをしようという姿勢を持つ方なので、私オトメもいろいろ感情的に否定的になってしまうことだって過去のトラウマからいろいろありましたが、こういった当たり前の健康的な男女関係作りに対する理解に至ったと思います。

 

じゃあどうしてこれまでのオトメはこういった当たり前に考えて健康的な男女関係を築くにいたらなかったの?ってこれを読んでいるあなたは首をかしげてしまったかもしれませんね。

一旦、健康的な男女関係もしくは人間関係って何?ってことが感覚的に腑に落ちてしまうと、簡単にそれが自分の中での基準となってしまいます、が、それが腑に落ちていない状態だと、一体どういった相手なら自分に合うのかとか、生き生きとした関係を一緒に築けるのかとか、そういうところでどこに向かえばいいのかわからずに悶々としてしまうのだと思います。

でも答えは簡単だったりします。

自分が好きな相手を扱うように相手が自分のことを扱ってくれるか、っていうところだけ見ていればいいんだと思うんですよね。

私オトメはアメリカに来てからかなり大変な思いをして今の状態にたどり着いていますから、多様性に富む人間関係を日常的に乗り切らねばならず、あまり自分の近しい人間関係においてストレスを感じたり嫌な思いをしたりしたくない、と強く願うようになりました。

その願いをかなえる一番の近道というのは、武術でもよく言われることですが、まず目の前にいる相手の利益や幸せを優先しろ、ってことなんですね。

え~、でもそんなことしたら自分ばっかり犠牲になって損してそれこそ漬け込まれたりして後から後味の悪い思いをするんじゃない?って普通だったら思うと思います。

私オトメもそんな一人でしたから。

そして実際に、10年間結婚していた元夫との関係も含め、それはそれは数えきれないほど付き合いが深くなった相手に逆に嫌な思いをさせられたり、利用されたり、さらに利用された後にいきなり嫌な奴に成り下がったり…とそれこそ

 

イワンの馬鹿

 

みたいだな、と何度も自分のことを今でも嘲笑してしまいます。

Classic, Colorful, Doll, Face, Figure, Figurine, Hang

 

こういった人の好さというのは、きっとキリスト教徒でもある母親譲りの性格でもあるでしょう。彼女も85歳になる今でさえ、同じような経験を何度も繰り返してきました。

つうか、じゃあやめればいいじゃん?目覚めせば?ってきっとこれを読んでいるあなたは思ったでしょうね。

従って私も母親も年月とともにあまり積極的に新しい人と出会って深入りするなんてことをしなくなってきました。

ハイ、一応こう見えても学んでいはいるのです<m(__)m>。

じゃあこういった人に尽くして都合よく利用されてしまう、人の好い性格というのは貧乏くじを引いたってことなんでしょうかね。

自分で自分の馬鹿さかげんを恨んだことはこれまで何度もあります。

一つだけ利点があるとすれば、これは男女関係にも当てはまることなんですが、自分と同じくらいのレベルでお人好しな人間に出会った時に気持ちの良い親密な関係を築くことができるってことですかね。

そしてもう一つ利点といえるのかはわかりませんが、相手が自分が相手に接するように自分に接しない場合、結構早くに関係のほつれが出てくるってことです。

相手が冷たい人間であることが早くに分かる、という言い方が正しいのかはわかりませんが、人間関係に対する考えとか姿勢の違いが割と早くに露骨になるってことでしょうか。

これは男女関係においても言えることのようです。一旦10年間にわたる結婚生活に終止符を打ってしまうと、もうああいった我慢をする必要性を感じなくなりますから、自分が居心地の悪いと思う関係を無理して続けようとも思わなくなりましたし、結局今お付き合いをしている足長おじさんとの関係を通してわかったのが、

 

居心地の良い関係というのは自分と相手がお互いに同じように接する関係

 

である、ってことだったんです。

私オトメは武術家といえるほどのトレーニングを積んでいませんが、アメリカ生活でサバイバルするうちに、10歳から武術を生業にしてきた足長おじさんのように

 

知性を使って相手と気持ちの良い関係を育てる

 

っていう精神が自然と育まれていったのだと思います。

ただ一つだけ、自分みたいに人間関係を築く相手といて初めて気が付いたことがあります。

それは自分が相手に接するときに、初めて相手の立場というものが経験できたってことです。

実は何度かオトメは周りに「何を意図しているのか。」とか「自分を利用しようとしているんじゃないのか。」とか「自分を操作して何が目的なんだ。」等の反応を受けたことが過去にあるのです。

当時は相手のためを思って尽くしていることに対してそういった反応が返ってきたことに面喰ったし、逆に悲しい思いになったりしました。

しかし、この足長おじさんは自分が傷つかないように、そして私への想いを大事にする人ですから、時には

 

私の好意に漬け込んで適度に私を喜ばせて都合よく私と付き合っている

 

ように見えないこともないわけです💦。

だから気が付けば彼のペースに乗せられて関係が進んでいることになっています。

 

自分の闇が光に転じた日

じゃあ、一体何を基準に相手との関係の状態を判断していけばよいの?って思いませんか。

私オトメも随分とその辺は悩んだものですっていってもまだ一か月くらいのお付き合いですが、何しろいろいろ考えるのが好きなもんですから…

この判断基準を考えるにあたって、よい材料がこの足長おじさんとお付き合いする前に半年ほどマッチメーカーに紹介されてお付き合いしていた60代の大富豪の白人男性との関係でした。

お仕事がコロナ禍の関係で忙しくなり、あまり半年お付き合いしていたといっても、実際に会って時間を過ごしたのは、ここ一か月お付き合いさせていただいている足長おじさんよりも少なかったんじゃないかって思うくらいで、この足長おじさんとの関係のように精神的に密接ではなかったですね。

もちろん一緒に時間を過ごしたからと言って密接な関係になるわけでもないですが、足長おじさんはとにかくおしゃべりが大好きで、そのおしゃべりの内容もかなり思考が深かったり哲学的であったりするので、周りのことが見えなくなるくらい二人の時間に私オトメも没頭してしまうわけです。

ベッドインしている最中でさえも、完全に彼に全身全霊で集中していますから、彼との時間の密度の高さはトンデモナイレベルです💦。

なのでその密度の濃い時間をこれまでの男性との時間と比較するのはあまりフェアではないと思いますが、対称的だと思ったのは足長おじさんとの関係は

 

名前が付いていないはっきりしないけど密度が異常に濃い関係

 

であるのに対し、前の大富豪さんとの関係は

 

名前が付いているけれども中身がすっからかんな関係

 

なんですね。

前の大富豪さんとの関係のお陰で、彼氏彼女関係という名称がたとえついていたとしても、まったく中身のないすっからかんな関係において私オトメは全く満たされていませんでしたから、たとえまだあやふやではっきりしない、もしかしたら他でも似たような付き合いを他の女性としているかもしれない足長おじさんとの関係のほうがよっぽど幸せを感じられるんです。

人生で起きてくるすべての事象には意味がある、とかよく言われますが、まさに大富豪さんとの関係があったおかげで、わがままになったり欲深くならずにありのままの今の足長おじさんとの関係を大事にする気持ちが自然と生れてきたのだと思います。

そうなのです、彼といる時間が素晴らしいなら、そして彼との素晴らしい時間を求める私を大事にしてくれる彼がいる限り、彼が私といない時間でどこで誰と何をしようが私の知ったことではない、という考え方が自然と生れたんですね。

今この瞬間が全て、みたいな感じでしょうか。

もちろん例えばですが、彼が他の女性といい仲になっていてそれを私に知らせておらずに、いきなりその女性から私にちょっかい出されたとか、他の女性との性的行為から私に性病が移されたとか、そういったことが起きたら困ります。

しかし、自分を大事にそして自分が大事に思う相手を大事にする人って普通はそういった公害を生み出すような女性と危ない橋を渡ることもないですから、そういった基本的な信頼を足長おじさんにおいているのは確かです。

また、大富豪さんとの関係でも思い知らされたのですが、たとえほかの女性と付き合っていなかったとしても、仕事や他の古い友人との付き合いや家族との付き合いなど、結局ある程度人生を生きているだけで私といる以外の時間を占めるこれまで自分が築き上げてきたキャリアやネットワークというものは存在するのですから、逆に言えば私の心身に害が及ばなければ、足長おじさんが他でどこの誰と何をしていようとあまり関係ない、という話になります。

え、でもさオトメさん、他の女性とも行ったり来たりするなら、オトメさんと二人の人生を築くことに興味がないってことなんじゃない?ずっとそうやって中途半端な関係を続けるの?なんて思われたかもしれませんね。

もちろん、そんな考えも頭をよぎります。

でも、自然にしていてある程度以上に発展しない関係ならば、もともとそこまでの興味しかお互いにないってことになると思いませんか。

例えば、もしオトメがもっと二人で一緒に活動したい、とか、毎日のように会える距離に近づきたいって時とともに思うようになったとして、相手がそれに乗ってこなければその間の時間と心の隙間を埋めるべくしてオトメはまた違う人たちとの出会いとか違う環境に出向いていくようになるわけです。

そうすると、嫌でも自然と彼との距離は縮まらずに関係も停滞して、そのうち自然と発展していく環境、ネットワーク、出会いによっていつのまにか置き換えられていくでしょう。

だから結論から言うと、放っておけばいい、ってことなんだと思います。

またもしかしたら、オトメだってしばらくは中途半端な関係を続けて自分の時間や自由を確保したいって心の底では無意識に思っているかもしれないですし、要するに不安に駆られて何かまだ形になっていないものを無理やり形にしようとしたり名前を付けたりしようとすると逆に収まるものも収まらなくなってしまうようにも思います。

 

彼といる時間そして彼と離れているときのコミュニケーションさえ素晴らしければ良い、ということもしかりなんですけれども、足長おじさんとの関係においてもう一つ決定的な要因がじつはあるんです。

私オトメは研究者になるだけあって、昔から両親をはじめとして相手が辟易するほどとにかく

 

しつこい粘着質

 

な性格です。普段はどちらかといえばボケっとしているんですが、一旦スイッチが入り何かが引っ掛かるともう大変!

分析しまくってありとあらゆる方面から細かく同じような質問を何度も相手に対して繰り返し、一点の曇りもないほどに完全に話の対象を理解するまで相手との会話をやめません。

もうこれをやられた相手はたまったものではありません。

誰に対してもそうすることはもちろんないのですが、一緒に仕事をしている相手または親密になった相手に対してはもうそんなオトメが発動してしまうんですね。

大抵は「もうしつこい」「何度も同じ質問するんじゃねえよ」「疲れたよ」などというネガティブな反応が返ってきます。

父親にも何度もこれをやられたら相手がドン引きするから気を付けるように、と注意を受けましたし、要するに

 

この粘着気質は人間関係において決定的な短所である

 

という烙印を押されてきたわけです。

何かを追求し目的を達成していくには素晴らしい気質なのだと思うのですが、一対一の人間関係においては煙たがられる一面なんですね…って一般的には。

ところがです。

足長おじさんとの関係においては

 

この粘着気質が彼に大ウケ

 

だったんです。

え、なんで?ほんとうに?そのうちまたいつもの通り疲れちゃうんじゃない?って私の父親だったら絶対そういいますよね。それくらいオトメの粘着気質は筋金入りなんです<(`^´)>。

ところが、きっとそうはならないっていう自信があるんです。

それはなぜか?

足長おじさんも負けず劣らずの粘着気質の持ち主、なんですね~。

だから彼としてはやっと同志を見つけた、くらいのまさに

 

闇の部分を分かち合うツイン

 

てこのことか、っていう話です。

自分の中で最も相手との関係において足かせとなると思い込んできた罪悪感の根源となる部分、短所であるはずの部分が相手との関係をむしろ強化する絆、と化したわけです。

これをツインと言わずして何と言いますでしょうか。

二人の間を引き裂くものは何もない、これ以上くっつくとか離れるとか、いうんじゃなく

 

自分イコール相手

 

もう自分が自分であろうとすればするほど、相手と勝手に同化してしまう、なんとも不思議な関係でもあるんです。

人はだれかと関係を結ぶにつれ、どうしたって

 

自分か相手か

 

という線引きをする分かれ目にぶち当たるものです。

だって自分と相手は違う存在であって、二人の関係を邪魔するような自分を優先したら二人の関係は停滞してしまうわけで、それならば二人の関係をある程度優先させるには自分をある一定のレベルで制限する、究極的には自分か相手かを選ぶ瞬間というのが何度も訪れるわけですね。

しかし、愛とは理解、とはよく言ったもので、相手がまるで自分の鏡のように感覚的に理解できていたとしたら、相手が自由自在に生きたいように生きる姿を制限するということは、すなわち自分自身を制限する、ということになってしまうわけです。

そんな相手を見ていたら苦しくなってしまいます。

自分だってそんな風に制限されたら苦しくて罪悪感で一杯になってしまいますから。

そうなると、相手が自分自身のようであればあるほど、そもそも自分と相手の区別が精神的な意味であまりないというか、自分と相手はもうすでに一緒、っていう理解に達するのではないでしょうか。

 

 

 

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