どうもくろですᐠ( ᐛ )ᐟ


前回までは仕事の話メインで書かせて頂きましたね


だめだめ人間だった私ががむしゃらに頑張ったら周りが評価してくれて、仕事への責任感をもてるように



そんな風に真面目に働いていたら父にもそれが伝わったのか年々関係性は良くなっていった(二人での会話はめったになかったけど)



そんな私達の関係性が更に大きく変わる出来事がこの後おきました



それは父方の祖母の子宮がん発覚でした




すでに末期の状態で

祖母は足が痛くて歩けないという理由で最初は病院に向かったのですがそのまま即入院




私は驚き慌てて病院へと向かいました


私と祖母の実家は県外なので普段はあまり会う機会もなく、会うのはお盆と年末の帰省の年2回



しかしこの頃は今の彼と遠距離恋愛だった事もあり(今は同居)彼優先になってしまっていた私は数年祖母に会っておらず



久々に病室で会う祖母が



『…○○ちゃん(私)が来てくれた』



と泣く姿を見た時は本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした




その後すでに末期のガンだと発覚した祖母は緩和ケアの病院にうつりました




父は大変ショックを受け

でも祖母を勇気づけようと時間の許す限り祖母の病院へ足を運んでおりました



なので私も今まで彼との時間を優先して祖母との時間をないがしろにしていたという事もあり

出来るだけ祖母のそばにいたいという思いもあった試し週末は父と共に祖母の病院へ行く事に




それが私と父の関係が大きく好転するきっかけに



祖母の病院へは父の車で向かっていた為往復2時間は父と二人の時間になります



だから自然と二人での会話になりました



はじめはぎこちない会話な私達でしたが共に祖母を勇気づけようとして気持ちを合わせていたのもありどんどん私と父は仲良くなりました





正直私はすごく複雑な気持ちでした


父と仲良くなれるのは嬉しい


でもこんな事をきっかけにはしたくはなかった




祖母は日に日に弱っていったんです



あんなに元気だったのに


ガンの転移のせいでどんどん激痛が身体を襲い


その痛みがあまりにも酷すぎるが故にモルヒネを打つようになり


モルヒネを打つようになってからはどんどん食欲がなくなり


食べ物を食べられなくなって点滴頼りになりどんどん衰弱する祖母




そんな祖母を見ていたらてばなしには喜べなかった




父と昔のような関係に戻っても構わない


祖母をどうか救ってほしい



そんな考えすらよぎった





それほど祖母の姿は痛ましかったんです




そして父はどこまでも祖母を助けようと必死だった



YouTubeで流れてるガン細胞を壊すという音波を転移している部分に必死で当てたり


ガン細胞に良いという特性ジュースを作って祖母に飲ませたり



他にも色々たくさんの事を調べ祖母を救おうととにかく必死でした



祖母は助かる


絶対助かる


そう信じよう 必ず救おうと



そう息巻く事で自分自身を必死に奮い立たせていたんだと思います



私は遅かれ早かれ近いうちに祖母は必ず亡くなると分かってはおりましたが

父にそんな事が言えるはずもなく必死に助けようとする父に

必ず助かるよな!と何度も繰り返す父に必ず助かると言う事しか出来ませんでした






しかし祖母にこの後1度だけ奇跡が起きたんです






モルヒネを打つようになりほぼ会話もままならなかくなってしまった祖母でしたが



家に帰りたいと何度も何度もせがむので

どうにか家に帰してあげたいと思った父は医師に相談したところ

半日だけなら構わないと許可を頂きました




そうして半日だけ家に帰ったのですがここで奇跡が



あんなに意識朦朧としていた祖母がすらすらと会話が出来るようになったんです



家に帰れたのがよっぽど嬉しかったのか楽しそうに談笑する祖母



冗談をいったり笑ったりテレビを見て楽しんだり



それはまさしく入院する前の祖母でした




季節は秋の10月


年内には亡くなるだろうと思われた祖母でしたがあまりの回復に私達は共に年越しを過ごせるだろうと大喜びしました



この後病院へと祖母を見送った帰り道



父が嬉しそうに

『これなら今年は大丈夫そうだな☺️』


と言い私はそれに対して満面の笑みで返しました!





ですがその2日後

祖母は息を引き取りこの世を去りました



今回はここまでにさせて頂きます

お読み下さり有り難う御座いました