貧乏な家庭に生まれ→美貌で超有名に→スカウト→国民的大スターとなったイ・ヒョリの生い立ち/韓国90年代デビュー秘話




みなさんこんにちは、こりあゆです!

今日の記事は、今までずっと書きたいと思っていた歌手のイ・ヒョリさんについての記事になります!

今から13年前くらいが丁度、イ・ヒョリさんがソロでゴリゴリ活動していた時期だったので私も当時の雰囲気を少しは知っていますが、

彼女のする行動が全て流行になってしまう、日本で言う安室奈美恵さんや浜崎あゆみさんのような存在が韓国ではイ・ヒョリさんだったように思います。

まずは一番活動を活発にしていた時期の写真をご覧いただきましょう…

現在彼女の年齢(日本)は、42歳。

こちらが現在の写真です…。。

 

まっっったく老けない。

 

 

 

雰囲気がヒョリ様。

 

 

 

 

ずーーーっとヒョリ様!!!!!!!

 

 

ヒョリ様の何が凄いかって、1990年代、2000年代、2010年代、2020年代、韓国で全ての年代でリリース曲ランキング1位を取った事のある唯一の歌手なんだそうな……

第二のイ・ヒョリは誕生しないだろう、と全ての時代のアイコンと呼ばれています。

結婚されてからはチェジュ島に住んでいるため、番組出演は減っていましたが「ヒョリの民泊」というチェジュで生活する様子を見せるリアリティ番組を通して姿を見せ、番組も大成功!

それからというものメディアにも少しずつ復帰していて、最近では今韓国で一番キテる「スウパのリーダー」メンバー達をバックにステージでコラボもし大きな話題となりました。

そして最近放映されたばかりのリアリティ番組「ソウルチェックイン」というヒョリの密着を見て、10年前に活発に活動していたTOP歌手だからこそ今若手を見ながら感じる感情だったり、

コンサートに出ても一緒の時代に活動していた歌手は誰もいなくて、もうあの時代ではないんだなと時代の変化を改めて感じたり…

一度TOPに立った事のある40代だからこそ感じる事を、50代歌手のオムジョンファと話している姿に、ジーン。

観ながら、そういえばずっとイ・ヒョリについての記事を書きたいと思っていたのに書けていなかったなぁと思って、今回書いてみる事にしました。

今のK-POPから好きになられた方はご存知ないかもしれませんが、今ではなかなかないデビュー秘話が個人的にすごく好きなので、これを機に是非皆さんに知って頂ければと思います!


イ・ヒョリ簡単プロフィール

生誕 1979年5月10日(42歳)
出身地 大韓民国・忠清北道
職業 歌手、女優、モデル
活動期間 1998年~Fin.K.L.デビュー、2003年~ソロデビュー
事務所 DSP Entertainment(1998年 – 2006年)
M.Net Media(2006年 – 2010年)
B2M Entertainment(2010年 – 現在)

生い立ち

6人家族、貧しい生活

1979年に韓国、忠清北道で4人兄妹の末っ子として生まれたイ・ヒョリ。

実家は小さな床屋さんをやっていて、床屋さんに繋がる部屋で6人家族で暮らしていて生活は結構苦しかったのだそうです。

もう10年くらい前の番組でですが、昔住んいた家に再度訪れていました。

椅子が3つほどしかない床屋の奥に狭い部屋が1つあって、そこに6人で暮らしていたとか。

(70年代の床屋がそのまま残っているってすごいですね!)

お金がないので基本的に肉、牛乳、卵のようなものは食べられず、2か月に1度だけ老いて安く売られている鶏肉を食べる事が出来たそうです。

そして寝る時は自分が末っ子だったので、皆の足のある方に横になって寝ていたんだとか…!

当時の兄妹の写真を見ると、なんと丸坊主のこの子がイ・ヒョリだそうです(笑)

なんでも髪がすごく少なく、もっと生えるように丸坊主にしたんだとか(笑)

そんなイ・ヒョリは昔から歌うのが好きで、中学生の時によく友達とカラオケに行っていましたが、当時の韓国では青少年のカラオケの入店が禁止されており、何度も中学にバレた結果、

通っていた中学に転校を勧められ、実質退学になったとの事。

イ・ヒョリのお父さんは特にとても厳しい人で、テレビは電気代のため1日10分しか見られず、ご飯のおかずを好きなものだけ選んで食べたりするとちゃぶ台をひっくり返すような人だったらしく怖すぎ

お母さんと相談し、お父さんには口裏を合わせて同じ中学をそのまま卒業した事にしたそうです大草原

地元では有名な美人に成長

どんどん綺麗になっていくイ・ヒョリ。

地元では知らない人のいないほど綺麗で有名で、芸能人でもないのにイ・ヒョリの写真を持ち歩いている学生がいたり、

隠れてついてくる子がいたり、声をかけられたりする事が日常だったそうです。

それもそのはず、この写真を見て私はたまげました。

ご覧ください。

 

もう既に美貌が完成していたんですね…!!!!!!!

 

こんなに綺麗なイ・ヒョリなので、あちこちでスカウトされる事になるのですが、エピソードが多すぎてこんがらがってまとめるのが大変()

今ではSNSでもアイドルのスカウトが行われるような時代ですが、

韓国では特に90年代~00年代といえば、一番길거리 캐스팅(外でスカウトされる事)からのデビューがすごく多かった時代。

ニュースのインタビューに答える学生時代のイ・ヒョリ

今ではスカウトをされた後、再度オーディションを行い→合格すると練習生に→そこから数年間練習をやり切って運が良ければデビュー出来るというシステムで、年々シビアになっていくな…と思いますが、

この時代は練習期間ほぼなしでスカウト=デビューメンバーになれる事が殆どで、イ・ヒョリの場合もそうでした。

とにかく引っ張りだこのデビュー前

スカウト①天下のSMでS.E.Sメンバー候補として練習生へ

あまりSMに所属していた頃の話については細かいところまで明かされていないのですが、情報をかき集めてみたところ。

当時大人気だったSM所属アイドルH.O.Tの大ファンだったというイ・ヒョリ。

たまたま友達の家がH.O.Tの住んでいるマンションの横にあったそうで、

(日本のホストをも超える噴水ヘアー)

友達の家で窓の外をチェックしながらH,O,Tの乗った車を待ち伏せし、車が来たら降りて会いに行くという事をよくしていたといいますすごい時代

なんとそこで、

イ・ヒョリを見たH.O.Tのマネージャーからスカウトされます(笑)

今でいう「追っかけ」をやっていた子を、マネージャー自らスカウトするんですから今だとほぼ有り得ない、90年代だから出来た事かもしれませんねw

初のガールズグループS.E.S

そしてSMに入所したヒョリは、なんと後に大韓民国初の国民的女性アイドルグループとなるS.E.Sのデビューメンバー候補として練習生となったのです

が、

あのS.E.Sのメンバーとしてデビュー出来そうだったのにも関わらず、理由は明かされていませんが、途中でイ・ヒョリが逃げ出してしまってSMとの縁は終わってしまいました。

 

スカウト②豪華メンバーとデビュー予定の事務所と契約

こちらも詳しい入所までの事情は明らかになっていないのですが。

SM退所後はワールドミュージックエンターテイメントに所属、アップタウンガールズというグループのデビューに向け、デビューメンバーとしてユン・ミレ等と一緒に練習をしていました。

今考えるとこの頃の練習生達は豪華メンバー勢揃い。ユンミレも後に成功しましたね

ただ事務所がありながらも、とにかく地元ではオルチャン()で有名だったので学校の前でスカウトマネージャーが待ち伏せている事もしょっちゅうあったそうです。

携帯もない時代、噂を聞きつけて探す以外の方法ってこの時代に確かにないですもんね…。

ヒョリは、このワールドミュージックでデビューをするはずだったのですが…!!!

 

スカウト③DSPの社長からFin.k.lのメンバー候補としてスカウト

SMのS.E.Sの成功で、ガールズグループをデビューさせようと準備する事務所が増える中、

今やKARA等のアーティストを輩出し有名ですが当時はまだまだ小さい事務所だったDSPの社長も、ガールズグループFin.K.L(以下ピンクル)をデビューさせるために最後のメンバーを探していました。

このDSPの社長と出会った経緯としてはいくつか言われている説が異なるのでどちらが本当かわからないのですが、

①ネットで紹介されている一番有名な話として、たまたまアルバイトを終え地下鉄に乗って帰ろうと江南駅にいたイ・ヒョリを見つけた社長は「この子だ!」と思いヒョリに駆け寄り事務所に連れていった説

②デビュー当時本人がテレビで「プリクラを撮っていたらスカウトされた」と言っていた映像が残っているため、プリクラでスカウト説

③数年前の番組で明かしていた説で、ヒョリの噂を聞きつけたDSPの社長からいきなり電話が来て「今すぐ会おう」と言われた説

この3つの説があって、②は本当に動画が残っていますがなんとなくデビュー当時のコンセプトだったような気がします。

①に関してはソースが見つけられず、結局一番最近明かしていた③が本人証言の番組も残っていて信憑性の高いエピソードなので、③が本当というテイで書いていきますね。

社長に会うためにヒョリはDSPに向かいましたが、本当に当時お金がなく、DSPに向かう時もバスに乗るお金がなくて

 

 

付けていた指輪を運賃入れるボックスに投げ入れて小銭を入れたような音を鳴らしたんだそう(90年代だからこそできた事wwwwww)(だいぶヤンキー)

 

 

社長に会ってすぐ、歌もダンスも見ず顔でピンクルの最後のメンバー入りが決まったんだそうです。

ただし、この時点でヒョリはワールドミュージックエンタで既にデビューメンバーとして録音まで終えていた状態。

それを知ると社長はワールドミュージックに掛け合い、そこで明らかになりましたがヒョリは違法レベルの条件で契約をしてしまっていて、契約破棄のための違約金も全てDSPで払いヒョリを譲り受けたそうです。

そこまでする価値を感じさせる事の出来たイ・ヒョリも、彼女のカリスマ性を一瞬で見抜いた社長も本当にすごいですね。

そしてすぐにメンバーに合流、ついにピンクルとしてデビューをします!

デビュー後、ソロで成功するまで

ピンクルはもう皆さんご存知の通り、S.E.Sに続きK-POPの歴史に残る第1次ガールズグループの1組となりました。

イ・ヒョリと他のメンバーは性格もスタイルもかなり違い、ヒョリの場合は男とも遊びたいしもっと遊びたい!やりたい事やりたい!というスタイルで、

スキャンダルも出るし、撮影前日にお酒飲みすぎて当日吐くし、インタビュー中に後ろで寝てるし(笑)今だと炎上案件かも

こんな感じなのでメンバーとは喧嘩をし、喧嘩後にステージに立つのが嫌になって新人なのにバックレた事もあるという事で、

今の時代にもしデビューしていたとしたら炎上要素がありまくりの彼女ですがw

それでもピンクルで5年程活動した後、ソロで出した10Minutesも爆発的な人気を誇り、ピンクルとしてではなく「イ・ヒョリ」としてどんどん歌謡界で登り詰めていきます。

このステージ本当に好きなんですよね~

スタイルも抜群で、ピンクルのメンバーもヒョリとの初顔合わせで、美貌とスタイルに驚いて「この子がいれば成功するかも」と思った程だったと言っていましたが納得です。

ちなみに、イ・ヒョリの鼻は当時韓国で大流行し、

整形外科では「イ・ヒョリの鼻にしてください!」というリクエストが絶えなかった、なんて話もあります(笑)

そしてソロで大成功し、イ・ヒョリが広告に出れば確実に商品が売れる。

当時携帯電話のCMに出演したらその携帯はヒットし「ヒョリPhone」と呼ばれ、当時一番使われていたショッピングサイトGMarketではイ・ヒョリの着ている服が一式買えるイ・ヒョリというカテゴリーを作り売り上げを伸ばし、

彼女が持っているもの、食べているもの、私生活、全てがニュースになる程でした。

トップスターのその後と、思う事

彼女のソロ活動はというと、とにかく彼女がブランド、ブームとなりもはや「イ・ヒョリ」が文化と化していました。

全盛期に作曲家だったかが曲をパクったとして騒ぎになり、イ・ヒョリも一時活動中断したりはしたものの、暫く音楽界と離れていても誰も忘れない存在となりました。

そして私生活で派手な彼女とは全く正反対の音楽家、イサンスンと出会って2013年に結婚。

遊んでいる、男にだらしない、と一時期散々言われていましたがwとても誠実そうな男性と出会ってゴールイン、

そして私生活が派手そうに見える彼女が、引き取った犬たちと旦那と素朴で幸せな田舎暮らし。

そんな様子をバラエティで扱う事になれば大ヒットし、イ・ヒョリはアーティストを超えて人間として国民に好かれる女性となりました。

さて、今やK-POPは世界的に有名となって毎年数えきれない程のアイドルが誕生していますが、イ・ヒョリのような女性がこれから果たしてどのくらい出てくるだろうか、と思うのです。

今やあちこちで情報が得られるような時代になって、芸能人だけでなくネットで活躍する有名人も増えて、

トップスターが誕生しテレビで初めて見た時の衝撃、それを友達同士共有してどんどん誰もが好きだから好きになる、みたいな連鎖が昔のようにないからなんでしょうかね。

日本でも韓国でも、私達の世代~もう少し上の世代は、どうしてもこの時代の印象ってすごく強いというか、ここまで国全体が1人に湧いて皆のアイコンになるってもうなかなかない事じゃないですか。

そんな、もう二度と誕生しないかもしれないトップスターのその後っていうのを、今の時代を生きているからこそ知る事が出来るっていう事がすごく光栄でなりません!

10代、20代、30代、40代と歳を重ねてもどんどん違った魅力を見せてくれるヒョリ様!今後もファンとして応援しています!


それでは長くなりましたが今日の記事はここまで。

次の記事&動画でお会いしましょう~!さらば!!!

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ABOUT US

こりあゆ
こりあゆ。1993年6月11日生まれ。海外生活7年目、韓国生活6年目。2009年冬16歳の頃、韓国語を独学で勉強し始め半年後高校の夏休みを利用し1カ月短期留学。それからも独学で中高級まで終わらせ、高校卒業後18歳で渡韓。2012年9カ月間延世大学語学堂に通い卒業、2013年キョンヒ大学に正規入学し文化コンテンツ学専攻、卒業後、2018年より韓国現地のIT企業に新卒就職、コンテンツマーケターとして働く。