シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

向日葵(ひまわり)のような人

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もう20数年前のこと。ドイツ人宣教師S先生が教会を訪ねて

きました。教会の主任宣教師だったB先生と神学校時代の同期で、

親友でもあったことから、二人はいつも協力関係にあり、よく

教会を訪ねていたのを覚えています。明るく、フレンドリーな

S先生とは、皆、すぐ仲良くなりました。

 

B先生はすでに、上手に日本語を話されていましたが、もう少し

基礎を教えてほしいという要望があり、週に一回程度の

レッスンを引き受けていたことがありました。B先生から伝え

聞いたのか、しばらくするとS先生からも、「変な日本語が

あったら直してください」という依頼のメールがあり、以来、

問答形式のメールをやり取りするようになりました。

「いくつか説教題を考えました。どれが内容にふさわしいと

思いますか」という問いかけもあり、これは責任重大と

一生懸命に聖書を読んで答えたのを思い出します。今日の

タイトルもそうだったと記憶しています。

 

他教会で働く宣教師さんと、こうして親しいメル友になるのは、

めったにないケースかもしれません。神さまも粋なプレゼントを

用意してくださるものです。

 

S先生とは、他の件でも深い関わりを持つことになりました。

生まれ故郷の気仙沼市は、ご承知の通り、東日本大震災

よる大津波で甚大な被害を受けました。姉の家も倒壊し、

仙台への転居を余儀なくされました。

 

喪失感と、虚無感、絶望感が漂う港町に、S先生は赴くことに

なりました。慰問で何度か訪れてはいたけれど、被災地支援は

一過性のものであってはならない、継続しなければ意味がない

というのが、S先生の持論だったようです。母国ドイツの宣教団の

協力により、一つのチームが編成されて派遣され、支援活動も、

より充実したものに整っていきました。一関市に居を構え、

車での移動カフェ、バイブルクラス、仮設住宅訪問などなど。

被災地の人々と共に重荷を負い、復興に尽力し、傷ついた人の

心に寄り添ってくれたS宣教師とクリスチャン・チーム。彼らの

尊い働きには感謝の言葉しかありません。

 

そのS宣教師、志半ばにして病に倒れ、2017年12月に天に

召されました。53歳という若さでした。召される8日前に届いた

メールに書いてあった最後の言葉は「シャローム」でした。

その意味は、「さようなら、平和があるように」。

 

2003年8月31日。S先生の礼拝説教題は「向日葵のような人」

でした。自分の力では解決できない困難な状況があっても、

光である神さまへ心を向けることの大切さを歌った、ダビデ王の

祈りの詩篇です。ダビデがそうであったように、S先生もまさに

向日葵のような人でした。光に向かって顔を上げ、歩む生き方。

私もそうありたいと心から思います。

 

私の目はいつも主に向かう。

主が私の足を罠から引き出してくださるから。

          詩篇25篇15節

 

※写真は指で描いたパステル画の早描き。下手です(-_-;)