義父の死①(2021年6月22日)

同居していた義父

最初は同居生活がうまくいかず

生活費のお金を持って、家出されたり

夫との喧嘩もあって、機嫌とりで間に入ることもあったり

一緒に住んでいた甥っ子も思春期で

いらんこと言って思春期の火に油をそそぐようなことをして

また喧嘩になったり

いろいろ大変なこともあったけど

子供たちにおこづかいとして

少ない年金から小銭を渡したり

電車好きの長男を連れて、大阪から京都まで新幹線往復の旅をしたり

次女をつれて近所の散歩に出かけたり

長女の習い事の送り迎えをしてくれたり

私が夜勤のときは子供たちのお風呂を入れてくれたり

いつもはあまり口数少ない義父だけど

お酒が入ると陽気で明るくおしゃべりになる義父

夫が普段家にいない分、男一人家にいてくれるだけで心強いときもあった

本当に私の生活の一部としてなくてはならない存在だった義父

そんな義父が急死した・・・

死因は

大動脈解離だった・・・

死ぬ数日前に、久しぶりの警備の仕事をして疲れていたのは知っていた

いつもの肩こりがひどい感じで、マッサージもした。

でも死ぬ当日、早朝にいつものタバコをふかしていた義父

そして、朝「おはよう」とあいさつすると

「MAKKOちゃん。なんか昨日はほんまに寝れんかったわ」

その言葉が私との最後の言葉だった

そして、その日の昼、突然倒れた。

私は次女の参観のあと、久しぶりの友達からのランチの誘いがあって

義母に了解を得て、出かけていた

その間に、義母から連絡があったのに気づかなかった

気づいたのは30分後。

夫のメールも入っていて、急いで病院に向かった

「どうして?なんで?どうか間に合いますように・・・」

病院に行くと、義母が憔悴しきった顔で待っていた

「ごめんねおばあちゃん、気づかなくて、ほんとうにごめん!」

家から救急車に運ばれるまでの状況を聞きながら

私も動揺していた

やがて医師がやってきて

「全力を尽くしましたが、もう助からないです」と言われた

救命センターの部屋に案内されると

義父は機械で心臓マッサージをされていた

まるで人形のようだった・・・

現実に起こってないかのような感じで

その後にとてつもない後悔と

夫への懺悔の気持ちでいっぱいになった

泣きながら夫に電話して

「間に合わなかった。ごめんなさい。ごめんなさい。」

何度も謝った

夫が病院について、今までの経緯と、義父のことを話した

夫も今朝義父に車で駅まで送ってもたったのが最後だった

「なんも話してなかったな、普通に行ってきますっていうて行ったから。」

夫は涙を少しこらえながらも

「でも苦しまずに逝けてよかったんちゃうかな

コロッって逝きたいって言うてたしな。いい死に方ちゃうか。」

涙する私の前で、自分に言い聞かせるように言った。

そして、これからの準備について話し合った。

子供たちも帰ってくる。どうやって話そうか。

葬儀屋を決めないと。

いくらぐらい用意したらいいのかな。

親戚とか連絡しないといけない。

いろいろ悲しんではいられない・・・現実が待っていた。

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