Years ago…。過ぎた恋へのリグレット。
湯川れい子のノスタルジックな歌詞を、稲垣が軽やかに歌唱!
「ドラムを叩きながら歌うのは面白いんじゃないかと、事務所もレコード会社も共通した認識でした。」
稲垣潤一は「リズム&ドラムマガジン」2022年7月号で、デビュー当時を振り返ってそう語っている。
中学時代にドラムを叩き始めた稲垣は、仙台でのバンド活動中、ドラムを叩きながら歌うスタイルが評判を呼びスカウト。1982年、シングル「雨のリグレット」でデビュー。
前年に大瀧詠一「ロングバケーション」と寺尾聰「Reflections」が大ヒット。シティポップが大きく注目され始め、稲垣も大手レコード会社から「シティポップのニュースター」として大々的に売り出された。
「雨のリグレット」は、雨の日に別れた恋人に電話する男性を主人公にした、センチメンタルなミディアム曲。湯川れい子の歌詞には「電話のボックス」「乾いた交換の声」「盛り場のホテルの窓」と、オールドシネマ的な雰囲気が漂う。
サビの「Why Oh why」というポップなフレーズのインパクトが強いため、直後に「心は乱れる」「むせび泣く」「孤独は闇の中」というシリアスな言葉が続きながらも、楽曲にはさほどの深刻さが宿らない。
この「悲しい出来事を明るく」「深刻さよりも軽快さ」「懐かしくお洒落な雰囲気」という味わいは、まさに80年代シティポップの特性。
それを歌う稲垣の「酸っぱい物を食べた後に、口をすぼめて」歌ってるような独特な声質。朗々と歌い上げることなく軽やかに…でも的確に歌詞をリスナーに伝える、新しいタイプのボーカリストの登場だった。
デビュー後の稲垣は、82年に「ドラマティックレイン」、92年に「クリスマスキャロルの頃には」が大ヒット。どちらもマイナー系メロのシリアスな曲。
だが、稲垣のボーカルの特性が真に生かされた曲は、この2つのヒットの間にリリースされ、あまりヒットしなかった「思い出のビーチクラブ」「1ダースの言い訳」「1969の片思い」などの明るく軽快な楽曲群の方である。
「雨のリグレット」
作詞:湯川れい子
作曲:松尾一彦
編曲:井上艦