四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第七十六章(子罕第九)

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○日曜日の午後、2月26日、ウオーキング

 

「子曰く、鳳鳥至らず、河、図を出ださず。吾已んぬるかな。子罕九」

 

「孔夫子はいわれた、この乱れた世の中を正す聖王の誕生を示す吉兆の象徴である鳳凰は現われず、この世の叡智が記された書をもたらす黄河にいる龍の頭を持つ馬も現われない。もはや、私に何が出来ようか」

 

「孔夫子も老いられた。聖王を補佐して天下を道徳で治める、民を苦しみから救うことは終に叶わなかった。そして、自らの天命とは現世で救世を補佐することではなく、教育により後世の聖王を補佐する人材を遺す、育むことであることを受け入れられたのだ」

 

#三行詩 #論語

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○日曜日の午後、自宅

 

「子と大グラウンドにてラグビーの練習、のち筋トレ、劈拳を練習する」

 

「帰宅のち小腹空く、簡単コーン焼きそばをつくる、妻と子より好評なり」

 

「良き四連休であった今夜は早めに寝て明日に備えよう、体調も戻った」

 

#三行詩

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○日曜日の夜、自宅

 

「仏教とは、有神論ありきか無神論ありきかと問う人あり」

 

「仏とは、不仁の存在であり、有り無しとは違うと答える人あり」

 

「唯一無二の存在、故に言葉に表すのは難しい、世界とか、或は汎神論とか」

 

#三行詩

「汎神論(はんしんろん、英:pantheism)万有神論とは、現実は神性と同一である、あるいは、すべてのものはすべてを包含する内在的な神を構成しているという信条。 神を擬人化した人格神を認めず、一切全てを神と同一視する神学的・宗教的・哲学的立場」❖Wikipediaより引用

 

○月曜日の朝、通勤

 

「子、斉衰の者と冕衣裳の者と瞽者とを見れば、これを見て少しと雖も必ず作つ。これを過ぐれば必ず趨る。子罕十」

 

「孔夫子は、三ヶ月以上の喪に服している時に用いる麻布を着ている人、国の高官である証である立派な大礼服を着ている人、学識のある薬師である盲目の人に会った時は、たとえ自分より歳が若くても席から立ち、相手を追い越す時には礼節に則って小走りになられた」

 

「礼とは根本に相手を尊ぶ気持ちがなければならない。孔夫子が日常においても、相手の気持ちを推し量り尊んでおられたことが伝わってくる」

 

#三行詩 #論語

 

○月曜日の朝、電車内

 

「子難しい顔は止めて、今日は朗らかな笑顔を浮かべて過ごそうと思う」

 

「別に難しいことではい、そもそもわざと子難しい顔をしている訳ではない、時に演出は必要だ」

 

「トイレが凄い行列だ、眉間にしわ、せめてマスクの下で口角を上げた」

 

#三行詩

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○月曜日の夕方、通勤

 

「顔淵、喟然として歎じて曰く、これを仰げば弥高く、これを鑽れば弥堅く、これを瞻るに前に在れば、忽焉として後に在り。夫子、循循然として善く人を誘う。我を博むるに文を以てし、我を約するに礼を以てす。罷まんと欲すれども能わず。既に吾が才を竭くす。立つところありて卓爾たるが如し。これに従わんと欲すと雖も由る末きのみ。子罕十一」

 

「弟子の顔回がため息をついていう、孔夫子とは、仰ぎ見れば遥か彼方に見える巨大な山脈のようでもあり、その誠は金剛石のように斬ろうとすればするほど硬く斬れるはずもない。孔夫子の歩まれる道を共にせんと追いかけても、前に居られたと思えば、いつの間にか後ろに居られる有り様だ。孔夫子が教えられる時は、順序よく、私たちが理解出来るように一つ一つ誘われる。私たちの知識を高める為に経書をもって導かれ、私たちの行いを礼節をもって正された。孔夫子の教え方が素晴らしい為に、自らの限界を感じても学ぶことを止められず、ひたすら学問に励む毎日であるが、私の才能はもはや尽きようとしている。ここまで頑張ってみたが、孔夫子は依然として遥か彼方にそびえ立って居られる。なんとか後ろを付いて行こうと思うが、どうしたら良いか、もはや分からない」

 

「天才顔回を以ってしてこの言葉とは、孔夫子とはやはり聖人なのだと改めて思う。孔夫子の教え方に関しても精神論などは一切なく、テキストをもとに一つ一つ論理的思考を積み重ねる様が文体から読み取れて興味深い」

 

#三行詩 #論語

 

○月曜日の夜、自宅

 

「ふと、久方ぶりに伊藤仁斎先生の『語孟字義』を読み返す」

 

「衝撃を受けた、仁斎先生こそ世紀の孟子好きだ、これほどの孟子好きの書とは気付かなかった」

 

「さらに伊藤東涯先生の『古今学変』は儒学思想史の白眉だ、時間が足らない」

 

#三行詩

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○火曜日の朝、通勤

 

「子、疾、病なり。子路、門人をして臣たらしむ。病、間あるとき曰く、久しいかな、由の詐りを行うや。臣なきに臣ありと為す。吾誰をか欺かん、天を欺かんか。且つ予その臣の手に死せんよりは、無寧二三子の手に死せんか。且つ予縦い大葬を得ざるも、予道路に死なんや。子罕十二」

 

「孔夫子が病を患い、今はの際となった時、弟子の子路は自らの家来を用いて師の為に大夫(大臣)の礼をもって葬式をしようと企んだ。病が回復したのち孔夫子は子路にいわれた。子路の偽善は相変わらずだな。もはや大夫(大臣)でもない私が大夫のように弔われるとは。いったい誰を欺こうとしているのか、まさか天をも欺こうとしているのか。私は(世間体を気にして)偽者の家臣たちに頭を垂れさせて弔われるよりは、弟子の二、三人の手で弔ってほしいのだ。私はそのような偽者の家臣に囲まれて弔われなくても、道で野垂れ死にするようなことはあるまい」

 

子路のうっかりエピソード。どう考えても孔夫子が喜ぶ訳がない偽者の家臣団での葬儀を真面目に考えていたのであれば、子路は気が動転していたか、師匠を思う気持ちが深すぎて周囲が見えなくなっていたに違いない。愛弟子の気持ちを理解した孔夫子は、子路らしいと苦笑されたに違いない」

 

#三行詩 #論語

 

○火曜日の朝、乗り換え

 

「今朝は寝不足で眠たい、夜半から思考が途切れずクラッシュしてしまった」

 

「未だ無信仰、無神論者故に、信仰とは何かを考えるも結局は結論に至らない」

 

「なんとなく答えも見えている、論理的判断ではなく直観だ、故に理解らない」

 

#三行詩

 

○火曜日の夕方、乗り換え

 

「心がざわついている、自らのことは処せる、しかし身内は無防備だ」

 

「ふと、内弁慶で外面が良かった亡父を思い出す、違う、ああではない」

 

「いつも通りにすれば良い、経験を活かして自分の土俵で負けない形、行ける」

 

#三行詩

 

○火曜日の夕方、通勤

 

「子貢曰く、斯に美玉あり、賣に薀めて諸を蔵せんか。善賈を求めて諸を沽らんか。子曰く、沽らんかな、沽らんかな、我は賈を待つ者なり。子罕十三」

 

「弟子の子貢はいう、ここに美しい玉があります。箱に入れて蔵に収めましょうか、或は高値で取り引きする上客を探して売りましょうか。孔夫子はいわれた、売ろう、売ろう、但し私は上客を待つとしよう」

 

「この句、弟子たちを美玉に例えて、仕官に関する孔夫子のお考えを述べている。あちこちの君主に自らを売込んで仕官さえ出来れば良いのではなく、仁徳のある優秀な君主を見極めること、その上で先方から仕官を求められることを理想とされた」

 

#三行詩 #論語

 

○水曜日の朝、通勤

 

「子、九夷に居らんことを欲す。或るひと曰く、陋しきことこれを如何せん。子曰く、君子これに居らば、何の陋しきことやあらん。子罕十四」

 

「孔夫子、東の海を越えた先にある九夷という国に移ろうかと思案された。それを聞いたある人がいう、未開の野蛮な社会に行かれてどうされるのだろう。孔夫子はいわれた、君子さえいれば例え未開で野蛮な社会であろうと、瞬く間に民は教化されるのだ、どうして問題があろうか」

 

「後の後漢書に九夷の記載があり、中国から東の海を渡った島に九つの国があったらしい」

 

#三行詩 #論語

 

○水曜日の朝、乗り換え

 

「電車内は乗客のくしゃみ鼻水咳、そしてアルコール臭、駅の階段にはゲロ、ほぼ素敵とは程遠い」

 

「今週は低調だ、楽しくないし本を読んでも心に響かない」

 

「血圧も下が高く87、仕事をする気にもならない、終日デスクワークとして三行詩でも捻ろうか」

 

#三行詩

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○水曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、吾衛より魯に反り、然る後に楽正しく、雅頌各その所を得たり。子罕十五」

 

「孔夫子はいわれた、私が衛の国から魯の国に帰ってのち、王宮で奏でる雅、祭祀にて奏でる頌は、本来の姿で(詩経に基づいた)正しい演奏をされるようになったのだ」

 

「諸国を遊説された孔夫子は、衛の国にて周王朝から伝わる本来の雅・頌の正しい演奏方法を学ばれた」

 

#三行詩 #論語

 

○水曜日の夕方、乗り換え

 

「毎日毎日僕らは鉄板の、上で焼かれて嫌になっちゃうよ」

 

「ある朝僕は店のおじさんと、喧嘩して海に逃げ込んだのさ」

 

「はじめて およいだ うみのそこ とっても きもちが いいもんだ おなかの あんこが おもいけど うみは ひろいぜ こころがはずむ」

 

#三行詩

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○水曜日の夜、自宅

 

明治書院論語を読み返し、意訳の答え合わせをしている」

 

明治書院論語は例えるなら青磁の陶器だ、私の意訳は泥団子と等しい」

 

「負けず嫌いなので、へこむも意訳は止めない、自ら考えた論語だ、大切に育てるのみ」

 

#三行詩

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○木曜日の朝、通勤

 

「子曰く、出でては則ち公卿に事え、入りては則ち父兄に事う。喪の事は敢えて勉めずんばあらず、酒の困れを為さず、我に於いて何かあらんや。子罕十六」

 

「世に出ては国の重臣に仕え、家庭では父母を敬う。葬儀のしきたりは守り、酒を飲んで乱れることもない。私にとって当たり前のことだ」

 

「忠孝と礼節、孔夫子の教えの基本であり、仁、義ではなく仁、礼がくることに着目すること」

 

#三行詩 #論語

 

○木曜日の朝、電車内

 

「電車内は乗客で混み合っているが、会話一つなく録音アナウンスが流れている」

 

「なんとなく一歩踏み外せば地獄かな、危ういな、とも思う」

 

星新一ショートショート風ならこうだ、A氏は低く呟いた『メロンライスにガムライス』やがてその声は度を越えて大きくなる一方で‥」

 

#三行詩

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○木曜日の朝、乗り換え

 

「腹痛、小走りでトイレに向かうも行列、忍耐はこの場合美徳ではなく切実な問題だ」

 

「順番がくる、開いた扉からは脂ぎった殿様蛙に似た人が出てきた、目線が合う」

 

「ようやく爽やかな朝を迎えて、定時通りの電車内で定位置に立つ、よし、行ける」

 

#三行詩

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○木曜日の夕方、通勤

 

「子、川の上に在して曰く、逝くものは斯くの如きか、昼夜を舎かず。子罕十七」

 

「行く川の流れを見て孔夫子はいわれた、あらゆることは、この川の流れの様に昼夜を問わず過ぎ去ってしまった」

 

「川上の嘆として世に知られる句」

 

#三行詩 #論語

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○木曜日の夕方、乗り換え

 

「一人は消える、一つは消えない」

 

「孔夫子の教えとは、紛れもなくこの世の中の一つだ」

 

「私はやがて消えていく、しかし私の学ぶ一つとは人が在る限り引き継がれる、学ぶとは一人を一つとすることだ」

 

#三行詩

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○金曜日の朝、電車内

 

「朝起きたら頭頂にコブ、頭痛、いつ打つけたのか記憶ない、流行りの転生でもしたのだろうか」

 

「乗り換え駅で人身事故とアナウンスあり、違う路線だが今らしい、南無阿弥陀仏

 

「人身事故が起きた駅だが、他の路線は止めないらしい、救急車のサイレンが響いている」

 

#三行詩 

#人身事故ではなくお騒がせ人が線路を歩いたとのこと、You Tubeで駅員さんが犯人を追いかける映像が流れた。

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○金曜日の朝、乗り換え

 

「何故か、ミュージカル、スウィニートッドの曲が脳裏に浮かぶ」

 

「全曲、アカペラ(鼻唄)で歌えるくらいに聴き込んだ、映画も良い出来だ」

 

「ロンドンを、クイーンズイングリッシュ風に、ロンズンと唄うのだ」

 

#三行詩

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○金曜日の午前、一休み

 

「久方ぶりの易経を読みたくなった、岩波文庫朝日新聞社平凡社の三冊と公田連太郎先生の周易講話は上経のみしか揃えていないが週末は読み返してみよう」

 

「占いに興味はない、儒学の経典として学んでいる」

 

伊藤仁斎先生の語孟字義でも頻繁に易経を用いた説明がある、易経をある程度理解せねば儒学の勉強も進まないのが儒家の現実だ」「風水も易経から発生しているとのこと、であれば『一陰一陽、之を道と謂う』の原則通りとなる」「風水も易経から発生しているとのこと、であれば『一陰一陽、之を道と謂う』の原則通りとなる」

 

#三行詩

 

易経は少し噛じっただけが、たいそう難解であることは理解る」

 

「六十四卦は一つの円環だ、六十四卦は一卦に繋がる、一卦は六十四卦に繋がる」

 

「少なくとも一卦のみを読んで占うなど易経の根本と異なる、易経で占える人とはもの凄い人か、或はその手の人では」

 

#三行詩

 

「例えば悪徳占い師に、良くない卦が出たからあと三日以内に数十万円振り込めば助けてあげる、と」

 

「良くない卦はある、しかしずっと良くないのは易経では有り得ない」

 

「一卦は前後の卦と必ず繋がっている、円環であり太極に通じる『一陰一陽、これを道と謂う』この原則から外れては易ではない」

 

#三行詩

 

「風水も易経から発生しているとのこと、であれば『一陰一陽、之を道と謂う』の原則通りとなる」

 

「一部高額な風水グッズなるものがあるが、当然ながら単体でどうかなるものではない」

 

「大きな円環、太極の内の一卦でなくてはならない、家に置くなら家全体、家全体を見るなら周囲の土地、そうなる」

 

#三行詩

 

「そもそも易占とは、古代、戦争や疫病、飢饉をどうすれば良いのか、占い師は文字通り命懸けで占う」

 

「命じたのが王であれば、当たれば莫大な報酬か、外れれば命を取られる」

 

「科学のなかった時代の疑似科学なのだ、難解極まりないのが当たり前、もはやロストテクノロジーに近い」

 

#三行詩

 

「別に易占を否定しない、動物占いとか、血液型性格分析とか、小金を払って楽しむのに是非もない」

 

「ただ凄く勿体無い、易経とは東洋思想の形而上学的な部分を担う、巨大な思想・哲学の集合体だ」

 

「今や少数の儒家道家、或は占い師や東洋思想を学ぶ学生さんが読む程度の資料本と化している」

 

#三行詩

 

○金曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、譬えば山を為るが如し、未だ一簣を成さざるも、止むるは吾は止むなり。譬えば地を平らにするが如し、一簣を覆すと雖も、進むは吾往くなり。子罕十九」

 

「孔夫子はいわれた、学問の道とは、例えるなら山を造るようなものだ。あとひと山で完成するが、そのひと山を積み重ねることが出来ないのであれば失敗で終わり、その原因は自分に帰する。同様に平地を造るのに、まずひと山を掘り進めたのであれば、その行動に対する成果は自分のものだ」

 

「諦めない、一つ一つを積み重ねることこそ学問の道の王道といえる」

 

#三行詩 #論語

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○金曜日の夜、自宅

 

儒家とは一つを持つ、孔夫子の笑顔だ、とっておきの笑顔だ」

 

儒家とは幸せだ、究極には天と同一化し、少なくとも自ら考え、行い、結果を受け入れることを学ぶ」

 

「人の根本とは父母の思いを引き継ぐこと、自らを誠にして仁と義に恥じなき一生を過ごすことにある」

 

#三行詩

 

「何故、孔夫子の笑顔なのか、論語を学ぶとわかる、夫子は厳しくとも常に弟子たちに微笑んでおられる」

 

論語は読むものではない、一句一句、時間をかけて考えるものだ」

 

「向き合うのは孔夫子、論語の白文、書き下し文だ、後世の偉大な儒家たちとは自らの論語を完成させてから対話したい」

 

#三行詩

 

「私の論語は泥団子のようだ、しかし自ら考えた論語は少なくとも嘘はない、今の自分そのものだ」

 

「故に学問をして自らを磨く」

 

「世の中には優れた人がいる、眩しく思う、だが私には関係ない、私は私の泥団子が大好きだ、捏ねて焼いて磨き続けたい」

 

#三行詩

 

○土曜日の夜、自宅

 

「親元を離れて孤独だった若い頃、真夜中に放送されていた新スタートレックシリーズを必ず観ていた」

 

ジャン・リュック・ピカード艦長は男の中の男だ、観る度に勇気が心に灯る」

 

「自らの家庭を築いて、老いを感じる今でも変わらない、ピカード艦長とは男の中の男だ、その勇気は自らに灯っている」

 

#三行詩

 

所感)

松屋

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水曜日の夜、久方ぶりに子と松屋へ。

牛丼特盛、半熟卵、豚汁、美味かった。

 

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新機能が出来たらしい。新しいもの好きなので、いつ登録したのか記憶がない所属しているグループのアドレスを貼ってみた。

前のブログにも貼ってみた。

貼るという興味を満足させてしまった今、なんとなく消したくなったが様子を見ている。

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