この記事を見て頂きありがとうございます。
皆さまに読んで頂くことがモチベーションです(^^)
私は子供の頃からずっと何かに怯えながら生きてきました。
そして恐怖の対象が見つかるたびに、克服しようと努力もしてきました。
しかし何回も何回も恐怖に敗北した結果、いじめや高校中退、ひきこもり、長年のフリーター生活、こども部屋おじさんなどの、世間的に挫折と言われるような状態に陥りました。
それでも今は「幸せ」だと言えます。
言えるようになりました。
今回からはシリーズものとして、不安や恐怖に対する私の敗北の歴史と、妥協や克服や自己変革などのもがきの日々を「不安への処方箋」という記事にしていきます。
何か不安や恐怖を持って生きておられる方の助けになればと思います。
その前にあんた誰?という方もおられると思いますので、自己紹介記事はコチラから。
私が3歳とか4歳くらいの頃、母が出かける度に「おかーさん死なないで。」と泣きながら言っていたらしいです。
自分でも何となくは覚えていますが、今思えば物心ついてから、それが最初の恐怖でした。
とにかく大好きな母がこの世からいなくなるかもしれないと不安だった。
その「死」への恐怖はやがて自分に向き、小学校低学年中はずっと「死んだらどうしよう」そういう不安ばっかりでした。
もちろん子供らしく誕生日会ではしゃいだり、友達の家で遊んだり、兄弟とケンカしたりもしていました。
それでもどこかで「結局みんな死ぬし、死んだら終わり。」
そう思っていました。
酷いときは何もする気になれず、一日中寝転んでいたことを覚えています。
我ながら捻くれた子供だったと思います。
この「死」に対する恐怖ですが、いつの間にか薄くなっていました。
当然今でも死ぬのは怖いですが、恐怖に支配されるという感じではなくなりました。
おそらく成長するにつれて色々な楽しいことや辛いことを知っていき、死ぬことにとらわれてる余裕がなくなったのでしょう。
当時の不安の一つだった、世界滅亡を暗示する「ノストラダムスの大予言」結局何も起きませんでしたしね。
次回は小学校高学年の時、自分の世界観が広がって、他の人との関係性を築き出した頃に起こる不安についてです。
今回の処方箋
「不安を上回る色々な体験をして、相対的に不安を薄める」
次パートへ続きます。