湧き上がる不安への処方箋②授業中での恐怖 | 中卒ひきこもりニートから始める介護士(9年目)

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高校中退後、ひきこもりを経験し20代後半で介護士になりました。
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(介護福祉士・一児の父)

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 幼少期に覚えた初めての不安「死ぬことへの不安」こそ無事に解消しましたが、小学校高学年になると別の不安が出てきました。
 
それが「授業中に手を挙げることへの不安」です。
 
正確に言うと、授業中に手を挙げて当てられて発表する。ということが怖かったのです。
 
挙手のドット絵
 
別に問題が分からなかったわけでなく、特別からかわれた記憶もなく、吃音や滑舌が悪いということもなかったのですが、大勢の前での発表がどうしてもできませんでした。
家や、友だち数人の前では話せたのですが…
 
調べてみると「場面緘黙症」というみたいですね。
 
デジタル大辞泉には「話す能力があるにもかかわらず、ある特定の場面では発言や会話ができなくなる状態。」と書いてありました。(一部抜粋)
 
発表したいという気持ちと、手を挙げるのが怖いという気持ちがせめぎ合って、当時は本当に苦しかったです。
 
 
学校での話さない時間が増えていき、次第に話さないのが普通になっていきます。
 
すると「皆の前で話せない」が変化して「家以外では話さない」子になってしまいました。
 
抜け出すきっかけはある実験でした。
 
「一日中黙っていたら、誰かに話しかけられるのか?」という疑問がふと浮かび試してみたのです。
 
沈黙のイメージ画像
 
結果は…誰からも話しかけられませんでした。
 
今思えば自分のこととはいえ可哀想ですが、当時は悲しいとか寂しいとかはなく、ただ単に「自分から話さなければ居ないのと一緒だ。」「きっと一生このままだ。」そう思いました。
 
どちらかと言えば悔しかったです。
 
そこから徐々に学校でも話すようになり、三十代のおっさんとなった今では人前での発表や会議の司会もするようになりました。
 
小学校の方は、話すようになってクラスメイトと関わりができ、ケンカをきっかけにイジメられるという暗黒時代 に突入してしまいますが…
 
それでもあの時の実験のお陰で今の自分がいます。
誰かが話しかけてくれたら、今でも人前で話せないままだったかもしれません。
 
話しかけられなくて逆に良かったのかもとさえ思います。
 
次回は人生で一番長く苛まれた不安についてです。
 
 
今回の処方箋
「不安で出来ないことがある場合は、一生出来なければどうなるか真剣に考えてみる。」
 
次パートへ続きます。
 
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駄文失礼しました。
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