マリの朗読と作詞作曲

古典や小説などの朗読と自作曲を紹介するブログです。
写真やイラストはフリー素材を拝借しています。

余命宣告⑤から⑫

2022年11月11日 | 余命宣告

 

その⑤  病室の歌

 

昼も夜も、

病棟のナースステーションは休むことがありません

 

 

下記は1週間ほど入院していた時の歌です。

 

電子音

飛び交う詰所の

騒ぎ遠く   

我が余命の灯

静かに揺れぬ  

 

 

 

 

入院した病院や緩和ケアなどで

私に関わってくれた医療関係者は、

皆さん若く優秀な女性が多く、

施術でも本当によくやっていただきました。

 

考えてみれば、

出産以外に入院の経験がなくて

「白い巨塔(何それ?! ふっるー❗️)」の

イメージ止まりの私には、

それはそれは新鮮でした!笑

 

 

医師 シルエット

 

どんな現場でも、 

若く優秀なひとが

バリバリ働くのを目の当たりにするのは

心はずむことです。

私は人生の最後に

いいものを見ることができたと思います。

 

 

その6 夢  

 

こんな夢を見た。

 

私が立っていたのは広大な火山の山麓だった。

殺風景な一面の砂地には草木一本見当たらない。

とそこへ、

老人と一匹の小さな小さなポメラニアンが現れた。

こちらへ向かって小走りにやってくる。

そしてこの毛並みの良いポメラニアンが

どれぐらい小さいかと言うと、

なんと割り箸の先に乗る位なのだ。

真っ赤な鳳仙花の花びらを1枚くわえている。

花びらはすぐに犬の口を離れると、

風に舞って先へ先へと犬を導き、

追いかける犬の口にまた入る。

 

  ポメラニアン  鳳仙花

 

 

犬は老人が好きで好きでたまらない。

老人が持つ割り箸の先に舞う花びら以外に

興味はない。

割り箸に乗ったり降りたりしながら、

砂の大地を転がるようにしてじゃれている。

 

遠近感のせいか、老人と犬は、こちらから見ると

妙に大きさのバランスが取れているから不思議だ。

他のことなど目に入らない一人と一匹は、

ただただ夢中になって戯れている。

 

心惹かれて思わず近づこうとしたが、

わたしが入り込む隙などこれっぽっちもないと

すぐに気がついた。

だが寂しさは無く、

不意に心の温かさだけが湧き上がってきた。

 

それだけの夢である

 

一面の火山性大地、

老人の服のくすんだ色

鳳仙花の目に染みる真紅。

犬の生き生きした愛くるしさ

 

いい夢であった。

 

さてこの夢、どこに携帯しよう。

 

 

 

 

その7 直葬

一昔前は

葬儀にかなりのお金を

かけるのが普通でしたが、

高齢化やコロナ禍などで

状況はどんどんと変わってきています。

 

わたしは直葬を選びました。

斎場に死者と関係者が集まり、

短時間の対面の後に火葬、

お骨を持って解散します。

 

この直葬は参列者が少ない場合や、

葬儀費用を抑えたい場合に

よく選ばれる葬儀の形式で、

最近とみに多くなっているようです。

 

葬儀 

 

多くの葬儀社が直葬を扱っていますが、

どこも火葬直前の斎場での対面(お別れ時間)は

5分程度とあわだたしい。

かと言って、葬儀に丸一日かける必要も

ないように思われる。

 

で、いろいろ探した結果、

30分のお別れ時間のあるコースを

展開する葬儀社を見つけ、

そこに決めました。

葬儀社の遺体安置所で30分のお別れをし、

それから斎場へ移動して火葬をするとのこと。

(当然、費用はその分高くなりますが)

 

 

その8戯れ歌 花の色

唇に置く最後の紅(べに)の、

色は何色?コーラルピンク

棺に溢れる花ならローズ

顔を縁取り胸を飾って

ピンク 白 紫 赤

ピンク 白 紫 赤

 

葬儀は白だろ菊だろが

純白こそがしめやかな色

いい歳をしてピンクだなんて

聞いて呆れるスットコドッコイ!

おまけにバラとは笑止千万

ちっとは常識持ち給え

 

いいでしょ いいでしょ、

したいようにさせてちょうだい、

私の葬儀なんだから。

私自身のことだから。

あなたもいっそ楽しんで。

そうすりゃ笑顔のお葬式

 

まったくだ まったくだ

あれわいさぁの ヨッコラセ ♪

 

 

 

 

その9

尊厳死協会という組織を

ご存知でしようか。

私は長らく尊厳死協会の会員です。

 

尊厳死について書く余力ないので

皆さまは尊厳死協会のサイトをご覧ください。

 

ここでは、

不治で末期の高齢者についてのみ

話を進めていきます。

 

 

 

下記の表明書は、

余命宣告がでてから

わたしが新たに書いたものです。

終末期にやってほしい、

またはやってほしくない措置の一覧です。

 

私の認識では、

高齢者が自分で食べられなくなったら

生物として終わり、です。

これ以上何をしても戻れない地点であり、

非情と言えば非情だけど、

万人平等でいっそ清々しいかも・・・。

 

 

怖いですか?こういう考え方は、

 

 

そ10

尊厳死2

 

不治で末期の高齢者を

最後まであれこれ治療するという場合、

その期に及んで

いったい何を長引かせようというのか、

私には理解ができません。

本人の強い意志があれば別ですが、

そうでないなら

穏やかに命を終わらせる方が大事ではと

思われてなりません。

 

 

 

今日はいい天気だ。

 

生きるにしても

死ぬるにしても

とてもとてもいい天気だ

 

 

二十数年前、親ががんで末期を迎えました。

尊厳死協会の会員だったので、

当然、意思表明書を書いていましたが、

それを医師に認めてもらうのは

なかなかに大変でした。

そこには親自身の覚悟が今ひとつ、

という困った事情があったのです。

 

そう、結局は

本人の覚悟が一番大事

 

 

そんな親の轍だけは踏みたくないと

余命宣告に臨んだ私でしたが、

病院であっさりと希望はかなえられ、

尊厳死協会を持ち出すまでのことも

ありませんでした。

主治医が過剰な終末医療を嫌う人物であったのが

幸運とも言えますし

時代の変化もありがたい限りです。

 

その11戯れ歌  無題

たいして飲めない口ではあるけど

どうかなみなみ注いでおくれ

あなたのようには痛飲できずと

共に香りは楽しめる

こういう時こそ酒の価値

酒の意味もあろうというもの

盃ならば夜光杯

弦の美音が、そら聞こえるよ

 

 

充分に歳を重ねたわたし

笑って送ってほしいもの

思い出したくなったらば

声の記録がたくさんあるでしょ

古典も童話も詩も小説も

どれもわたしのお気に入り

古今の名作 心の糧

それじゃあ いくね

いつかどこかでまた会えるかも

それまでしばしのサヨウナラ

 

 

その12最後の挨拶

「大循環の塵(チリ)になる」  なんと素晴らしい発想だろう

 


余命宣告③家族ふたたび

2022年11月08日 | 余命宣告

余命宣告③ 家族再び

 

私はもともとが

サバッと割り切った性格なので、

自分の死が近づいても

湿っぽいことには全くなっていません。

その点、家族も同様なのがとてもラッキー。

 

 

わたしが癌だとわかった時、

家族の一人が

すぐに救いの手を差し伸べてくれ、

生活、医療、介護など

面倒な手続きや実務を

一手に引き受けてくれました。

さらに家族のグループLINEも

構築してくれました。

そのほかのメンバーも

やれることをやってくれました。

 

 

なんというか、

ながらく離れて暮らして来た家族が、

「プロジェクト・マリの死」を

滞りなく遂行しようとして

結束してる感が半端ない。

 

わたしがそこに

ある種の絆を感じてしまうのは

やはり特殊なケースではありますね、、、笑

 

私の最後で最愛の家族に幸あれ!

 

余命宣告④に続く

 

朗読はこちら↓

童話・飴だま(新美南吉)

小説・おいてけ堀(田中貢太郎)

古典・平家物語(祇園精舎)

古典・方丈記(鴨長明)

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余命宣告②房総の山寺

2022年11月07日 | 余命宣告

余命宣告② 房総の山寺

 

たしはもうすぐ72歳になります。

これまでもう充分に生きて来ました。

自ら死のうと思ったことはないけれど、

人生百年?

うわ、それは勘弁して、

というのが正直なところです。

 

 

十年くらい前、房総の山寺に

自分用の樹木葬用地を買いました。

 

海に囲まれた千葉県にすんでいても、

海は潮風がべたついていやだから

土に戻りたいの。

 

樹々や草を渡る風の音や小鳥の声が好きで、

飽きることがありません。

春には命が芽生え、

夏は雲の峰が湧き、

秋は木の実や紅葉が照り映え、

冬は寒さに身を固くし、

春にまた命の季節が巡って来る。

そしてそうこうするうちに

私は完全に土に戻っている。

 

冷たい墓石の下よりも

ずっといいと思ってのことです。

 

余命宣告③に続く

 

 

エッセイもどうぞ ↓

エッセイ・うどんや

エッセイ・井上ひさし氏の講演

エッセイ・メダカを拾った話

 

 


余命宣告①あれは四月

2022年11月06日 | 余命宣告

余命宣告その①

 

今回からしばらくは、

私に出された余命宣告と、

それに関するシリーズになります

 

座れ歌や見た夢なども交えながら軽く、

ときに楽しく書いていきますので

どうかおつきあいくださいませ。

 

 

 

 

今年の4月なかば、医師から

「大腸S状結腸癌ステージ4で、

リンパ節に転移しているために

手術は出来ません」と告げられました。

それを聞いたわたしの第一声は

「このままにしておくとどうなりますか」

でした。

前から癌にかかったら(ことに末期だったら)

手術や治療をするつもりは全くなかったのです。

 

 

師は驚いた顔をして、

取りうる措置や経過について

詳しく説明をしてくれました。

抗がん剤を使えば

副作用に耐えながら数年を生き、

抗がん剤を使わなければ

緩和ケアをうけながら余命半年ほど。

わたしは後者を選択しました。

そして即座に

緩和ケアの手配を頼んだのでした。

 

癌のよいところは、

必ず死ねるので先の予定がたつことなのですが、

さすがに私のように、ここまで

あっけらかんとしてるケースは珍しいようで、

医師をとても驚かせてしまいました。(笑)

 

 

そして宣告から半年が過ぎ、

今、何とかこのブログを書いてます。

余命というのはどれくらい確かなものなのか。

宣告通りのこともあれば、

それより長く生きるケースもある。

 

わたしに近々急変があるのかないのか、

もうしばらくは生きるのかどうか、

なってみないとわからない♪、

というのが現状です。

 

余命宣告②に続く

 

朗読もどうぞ ↓

 童話・ざしき童子のはなし(宮沢賢治)

 随筆・おにぎりの味(中谷宇吉郎)

 古典・枕草子 五月ばかり

 古典・謡曲「鉢の木」

 

 

 


ぎっくり背中でもうちょっとお休み

2022年10月19日 | 余命宣告

ぎっくり背中のため、

もうちょっとおやすみします。