アルコールと孤独。
この二つは僕にとって、切っても切り離せない関係にある。
遠い昔の学生時代、回りの誰かでは決して埋めることができないと感じていた当時の僕にとっては絶望的な孤独を、アルコールによって埋め続け、そしていつの間にかアルコールに溺れる為に、自ら孤独に身を置き、気づかぬうちにどんな大量のアルコールを飲んでも決して埋められることのない、深い孤独から抜け出せなくなっている。
もはや孤独だからアルコールを飲んでいるのか、アルコールを飲んでいるから孤独になるのかはどうでもよく、欲するまま、ひたすら飲み続ける。
回りなど、どうでもいいと思いながら、一方で過剰な程に回りの言葉や視線や態度や感情や思いを気にし、いつも何かに怯えている。
そんな自分のことを自ら嫌い、自己を否定し続け、それをまぎらわすためにまたアルコールに手を伸ばす。
孤独、アルコール、孤独、アルコール。
このいつ尽きるともわからない負のスパイラルはアルコールをやめるまで、もしくは人生が終わるまで繰り返される。
その事にいつか気づき、アルコールから身を遠ざけようと思っても気づけばアルコールを口にしている自分がいて、そしてまた深い自己嫌悪の渦に飲み込まれていく。
僕がアルコールによって、身も心もズタズタになり、やめたいと本気で思ってもやめられなかったそんな当時の頃を思い出してみる。
『アルコールを飲み続けても、良いことはない。』
頭ではわかっているけれどやめることができない。
いつもその繰り返しだった。
休み明け、とてつもない自己嫌悪の中で、もう飲むのはやめようと、自分に言い聞かせる。
飲み続けている自分に、もたらされているアルコールによる悪影響と、やめることで得られるメリットをノートに書き連ねて、飲みたくなったら見返そうと決める。
そこからなんとか4日程は、シラフの生活を送り、徐々に改善が見られてくる。
しかし休みの前日になると、アルコールを渇望し、どこからか飲むための言い訳を引っ張り出して飲むことしか考えられなくなり、1ダースのビールを買っている自分がいる。
数日飲まなかったことで、いつもより幾分かゆとりのある財布の中身に対するご褒美であると勝手に解釈しながら。
時には仕事でのストレスを言い訳にしながら。
自分のこれまでの人生に同情しながら。
回りの誰かのせいにしながら。
一方で明日からの休みに飲むためのビールが足りるかどうかを真剣に考え、いつしか飲まないという思考回路から、どれくらい買えば足りるのか?という思考回路に切り替わっている。
そして休み中は朝からブラックアウトするまで飲み続け、また最悪な週明けを迎える。
今度こそやめたい。
その思いの先にまた同じ負のスパイラルが待っている。
でも、今の僕はその負のスパイラルのなかにはいない。
その理由を正しく伝えることができたなら、僕は未だ残されているいくつかの鎖から自分自身を解放することができると思う。