アルコールを飲み始めたきっかけも、飲むことをやめられなくなった習慣も、全ては後付けである。
自分自身でどんなに真剣に考えたとしても、全ては後付けである。
とても残念なことだけれど、アルコールを浴びるほど飲み続けた後、アルコールについての全ては、アルコールからもたらされる、アルコールにより洗脳されていることから来る、後付けである。
僕の兄がこの世からいなくなり、両親が荒れ、その時僕を支えてくれていたと思っていた人に何度も裏切られ、孤独のどん底にひとりぼっちだったとしても、アルコールを飲むことは後付けである。
兄がいなくなったことも、両親が荒れたことも、大切だと思っていた人に何度も裏切られたことも、だからアルコールを飲む、ということとは全く、全く関係がない。
お腹が空いても、腹のたつことがあっても、疲れていても孤独でも、アルコールを飲むこととは全く関係はない。
もちろん楽しい時も、おめでたいときも。
カンカン照りの、蝉がけたたましくなき続ける夏の昼下がりも。
仕事の区切りが見えてきた、爽やかな風を感じる夕暮れ時も。
なんの予定もない、休日の朝も。
例え何があっても、どんな時でも、誰と一緒でも、今日くらいと思っても、明日からと思っても、死んでもいいと思っても、あなたが思い付く限りのどんなこととも、
アルコールを飲むこととは、一切関係がない。
それは、体が、脳が、仮にアルコールを欲したとしても、本当は関係のない事なんだ。
関係のないこととの関係性を絶ち切らなければならない、この矛盾したことこそが、物事をややこしくさせ、そのややこしさがあなたから全てを奪い去る液体の正体。
でもその液体は、幸いなことに自ら動くことはできない。その液体を口に含むかどうかは、あなたの意識次第。
ただあなたの事を一定期間、洗脳することしかできない、ただの液体。
子供の頃、臭いと思った、ただの液体。
あなたから自信と気力とやる気と思考と健康とお金と家族と命を奪い去るただの液体。