2021年09月29日
相撲の歴史に残る宿禰(すくね)と蹶速(けはや)の力くらべ
「日本書紀」にでてくる宿禰(すくね)と蹶速(けはや)の力くらべ
日本のお相撲の起源は、「出雲の神話」に出てくる神様二人の力比べ書かれています。文筆で書かれた最古の相撲ですが、これはあくまでも神話になります。
史実として最古のものは、「日本書紀」にでてくる、野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹶速(とうまのけはや)の力くらべと言われています。
日本書紀には
昔々、大和の国 當麻(とうま)の邑に大変怪力の持ち主當麻蹶速(とうまのけはや)という人物がおりました。角をさいて、カギをまっすぐに伸ばすこともたやすく出来ました。
広い世の中で、私と戦えるものはいないのか、いたら戦ってみたいものだと常日頃から言っておりました。
天皇がその話を聞き、家臣に互角に戦えるようなものはいないのか、と尋ねたそうです。
家臣の一人が、出雲の国に優れた力を持つという野見宿禰(のみのすくね)という者おります。試しに呼んで一緒に戦わせてはいかがでしょうか、と進言しました。天皇は大いに賛成しました。
直ちに祖長尾市を使者に立てて出雲に向かわせ、野見宿禰を呼び寄せました。
そして、力くらべが行われることになったのです。
力くらべと言っても生半可なものではなく、天皇を前にしての七夕の決闘でした。
時 :垂仁七年(300年)7月7日
場所:今の奈良県、磯城郡纏向
足を上げて蹴りあい、抱えては投げ、最後には宿禰が蹶速の脇腹を蹴り折り、さらに踏み砕いてとどめをさす。という悲惨なものでありました。七日間をかけた長い戦いでした。
そして、垂仁天皇は勝者の宿禰には褒美として、蹶速の所有の地をすべて与えました。
大蘇芳年『芳年武者无類 野見宿称・当麻蹴速』(国立国会図書館所蔵)
「国立国会図書館デジタルコレクション」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/dignl-1302751)
野見宿禰神社
東京両国国技館の本場所前々日に野見宿禰神社(東京都墨田区)で日本相撲協会の幹部、審判部の幹部、相撲茶屋等関係者が集まり、出雲大社教神官の神事が執り行われています。
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