●天空の城3 七尾城凄し!独吟するも… | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

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熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

来たぞ! 能登七尾城!

初めてはスイスイ登った20年前、2度目は本丸駐車場にて撤退(泣)。

今回は発奮、鬼の形相、膝痛おして本丸まで駆けあがる!

人影なし、誰もいない。

眼下に向かって詩吟を、唄うというか怒鳴るわめく!

叫ぶは、モチこの漢詩。

霜は軍営に満ちてぇ~~~ 秋気清しぃ~ぃ~…
数行の過雁~~ 月三更~~

越山 併せ得たり能州の景
遮莫(さもあらばあれ)家郷 遠征を憶う

 

かつて完璧な謙信オタクだった私は、謙信が七尾城で詠んだというこの漢詩をいたく気に入り、小学校ころから暗誦していた。

 

上杉神社(米沢市)には、この漢詩の堂々たる石碑が立っているが、残念ながら七尾城にはない。

信玄領国に塩を送り、信玄本陣に単騎斬りこみ、唐沢山城の戦いではわずか40騎にて北条大軍に突撃!

血湧き肉躍る、猛将謙信が、こんなゆかしい詩を詠うとは!

 

半世紀前、新入社員歓迎会の折、いきなり上司が「なにか芸やれ!」

よって(当時カラオケなどない)、なんとこの漢詩をデタラメにとうとうと吟じたバカカ。

 

本丸駐車場まで簡単にクルマで、さらに展望台まで。

七尾城本丸より高い地、おお、眼下に能登島、七尾湾が。

 

謙信さんもいたく満足だったというこの景色、晴れててよかった。

 

そして七尾城本丸、四段石垣も眼下に。

本丸駐車場に戻って、本丸を目指していく。

まったく人影なし。

 

本丸を見上げる。一帯は標高300㍍、よくぞここまで石を人力で持ち上げたものだ。

 

次々と野面積みの石垣が現れる。

すばらしい!

 

そしてこの四段の石垣の上が本丸。

 

着いた!

 

 

黄金色の稲田、蒼い海と空、濃い緑の山並み、そして白雲。

 

長州・津和野城を思い出す。

あそこも天空の城だった。サウンドオブミュージックを熱唱?したなぁチョキムハハハ。

よって七尾城では、謙信漢詩を吟じる、詩吟なんて全く知らんのじゃが…。

「霜は軍営に満ちて 秋気清し 数行の過雁 月三更」

 

天守台から直下を見る。

天守台の城山神社。

 

あちこちに石垣、櫓や城塀などが復元されるとさらに、いい城跡になりそう。

 

能登島から七尾湾越しに七尾城を望んだが、逆光もあってどの山か分らんかった。

 

室町幕府管領職だった畠山氏が170年もの間支配した能登および七尾城を、謙信は天正5(1577年)、畠山家重臣の内応などもあってついに落とした。

 

当時、七尾城は「天宮」と称されるほどの巨大な城郭で、城下は「千門万戸」と呼ばれるほどの賑わいをみせていたという。

だが謙信支配の半年後に謙信は死去してしまう。

 

七尾市作成の七尾城CGを見た。

七つの尾根を台地にして作られた家臣たちの居館、そして広大な城下町、思わず息をのんだ。

簡単にyoutubeで見られる。

 

七尾を訪ねた貴族の日記などには、こう記されているという。

 

「御殿は鳥が翼を張り広げたよう に建っていて、華やかに朱や藍が塗り重ねられ、 まるで空や雲に梯子を架けたようだ。

御殿や家臣団の館が立ち並び、「千 門 万 戸 せんもんばんこ 」の城下町七尾は、港付近の能登府中まで、家並みは一里(約 4km) 余り続き…」

 

信長の安土よりも、謙信の春日山よりも、ずっと巨大な城郭・城下町だったというのだろうか。

朝倉の一乗谷館をもしのぐ立派さ。

北陸の地は私の想像を絶する発展を示していたのである。

七尾城跡は、石垣が残るのみではあるが、往時の栄華を彷彿とさせるまさに「天空の城」だった。

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