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コロナ感染・家族全滅…その時のメンタルは…

ただ言いたいこと
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筆者がコロナウイルスの情報を認識したのは2020年の2月頃だったと思う。

それから約2年と半年が過ぎた2022年秋。

家族全員がコロナウイルス感染、症状が出た。

そのときの心の動きについて語ろうと思う。

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コロナウイルス感染に対する考え方の差

はじめに、コロナウイルスに対する考え方について記す。

得体のしれないウイルスとして世に出たコロナウイルス。

変異を繰り返し続け、感染力を増大させている。

2年以上、地球はこの掴みどころのないウイルスと戦っているけど、数年後には何事もなかったように共存していたりするのだろうか。

発生当初から、「ただの風邪の一種」だとか「なぞの恐ろしいウイルス」だとか両極の意見が出て、世の中がカオス化している。

コロナウイルスによる有名人の死や、医療体制の逼迫などでさらに人々を恐怖や混乱に陥れた。

漠然としたものに対して、人は不安になる。

そして情報が飛び交う中、錯綜し、何が本当なのかも分からなくなっている。

人それぞれの価値観が全然違うことが、大きく露呈した有事だと思う。

どんな考え方も強要は出来ない、一つのやり方に固定できない。

このように、人それぞれの価値観が違うからこそ余計に不安に駆り立てられるように思うのだ。

感染予防に対する気を付け方や方法が人によって全然違っていてるから何が正解なのかわからない。

変異株の感染力が増した今、そもそも、その予防対策自体、どこまで価値があるのか分からない。

ワクチン接種も、賛否両論で、絶対反対の人も存在する。

国それぞれでも見解や価値観が異なる。

海外では、強烈なロックダウンもあるけど、日本ではそれは出来ない。

不確定要素が多すぎて、それは不安感を拭えなくて当然である。

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家庭内感染で全滅。心の動き

それでも、自分達は大丈夫だと、漠然とした自信があったのも確かだった。

自信というか、どこか他人事と捉えていたのだと思う。

しかし、自分の夫が感染したことで、とうとう自分事として向き合わなければならないことだと思い知った。

夫とは、隔離生活が3日ほど続いた。

同じ家には居るものの、部屋を隔てて何も出来ない。

そして、子供と私も濃厚接触者として、外出が憚られた。

そのうち、我が子に発症、最後に筆者が発症した。

物質的な援助は、国や自治体、親戚、知人から十分すぎるくらいあったので、とても感謝している。

一番キツかったのは、体調も去ることながら、部屋の中に閉じこもりきりで、家族全員体調が悪く、家内雰囲気が恐ろしく荒んだことだ。

外に出て、気兼ねなく遊ぶことは、コロナ禍になってから難しくなったけれど、

それの比ではない。

外に出るかどうかの判断を自由に出来るのとのありがたさを痛感していた。

毎日の報道で見ないことはないコロナウイルスを保持し、重症化しないか、誰かに移してしまわないか、後遺症はどうか、

明確なものがない病気が、こんなにも苦しいものなのかということを知った。

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未知のものへの不安や恐怖が最もツラい

コロナに対して、人によっての捉え方で全然違うとは思うが、まだまだ分からないことが多くいのが、不安を強くさせる。

どんなことも、未知のものに人間は不安感を覚える。

自己防衛のための反応で、必要なものではあるが、このコロナ禍では、恐怖感も入り交じり、人間の醜い部分が露呈した現実は否めない。

インフルエンザも、風邪も、こじらせたら重症化はするけれど、ある程度の対処法が長い歴史の中で分かっている。

しかしコロナウイルスは、変異もするし、たまに若くて持病がない人も重症化したり、症状が軽くても後遺症に長く苦しむ人もいる。

研究が徐々に進んでいるとはいえ、変異株のスピードにはついていけてない感が強い。

一刻も早く、治療薬の普及を切に願う。

コロナ禍で私たちを救ってくれているもの

コロナ禍で、どんよりとした雰囲気が続く中、明るい光を与えてくれているのは、エンターテイメントではないかと筆者は思う。

物理的に私達を救ってくれているのは医療であり、開発や現場の医療従事者の方々には、多大なご苦労と救いを受けている。

そんな中、心の部分を癒してくれるのは、束の間の娯楽なんじゃないかと思っている。

重症患者さんや、重い後遺症で苦しむ人達にとっては、もしかしたらエンタメの力は微力かもしれない。

でも、少し笑えたり、音楽で癒されたり、涙を流したり、瞬間的なものでもちょっと救いがあるんじゃないかって思ったりするのだ。

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