たいていのことはタイトルの逆です。


いきなりなんですが、私は笑いには貪欲です。

その昔、そういう道に進みたいなと憧れて、少しある方(かた)に師事したこともありました。

画面に出る方(ほう)ではなくて、ライターとしてですね。


最近テレビをまったくと言っていいくらい見なくなったのはお笑いがあまりにも面白くなくなったことですかね。あ、スポーツとドキュメンタリー(あれもかなり芝居じみていますが)くらいはたまーに見ます。


「最近の若いヤツは…」なんて言うのは、爺になった証拠なのですが、若い芸人(と呼びたくもない)の学芸会レベルのコント、漫才、新作落語…目も当てられない。そして、テレビ番組は楽屋ネタで伏せ字(伏せセリフ?)の連続でしょう?ピーピーピーみたいな。で、視聴者に想像させて笑いを取る。あんなのならば、楽屋にはりついていれば番組書けてしまう…私でもできると思ってしまうのですよね。


と、かなり脱線してしまいましたが、職場や取引先で笑いを取ることは容易いレベルなのですね。下ネタもケーシー高峰並み(わかんないか?)にきれいに纏めるようにして笑いを取るワケです。


職場や取引先の女性はそのジェンダーとしてまったく意識していないので、そういうことができるのです。


そして、セフレならばギリ、それができてしまう。

だって、それくらい演じないと好意は持ってもらえないからなのですね。 


自らの「楽屋ネタ」、特に異性との面白ネタを話せば、ラブホの個室は笑いに包まれるのです。


しかし、彼女さんとなるとそれがなかなかできないのです。それは至極単純に言うとカッコつけたいから。

自虐ネタが一番笑えるのですが、それを言いたくないというプライドがあるからなんですよね。


後は…愛してる人を前にして演じている自分を出したくないと言いますか…本当の自分はそんなに面白くないのです。むしろ、物事悲観的に考えることが多いのですね。


享楽的なことだけでいいセフレには笑いが出せる。

一方でそれだけに留まらない恋人には真の自分を知って欲しいということが、無意識のままに働くのだと思います。


ごめんね、と言いたいです。

特に一人目の(不倫相手の)恋人は笑いに精通していたので、もう少し笑わせてあげれば良かったのになぁと今さらながらに思うのです。


そうした道化の自分を見せたくなかったのですよ、貴女には。

いつでもカッコいい(いや、実際には全然カッコよくないのですが)自分でいたかったのです。


私の考えが狭いところだったのかもしれないですね。


「ごめんなさい。」