目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀こと池本哲晃(いけもとてつこう)の独り言です。

小説でも書いてみるか。

2024-04-19 20:16:30 | いけてつオタク話
何を書こうかほいさっさ。
人間、未来に希望が持てなくなると、過去の栄光にすがる。
私のようにすがるべき過去のない人間は、過去のいやなことに焦点を当てて、当時の敵対者を罵る。

そんなことが通俗心理学の本に書いてあって、ギョッとした。

うーん、言い得て妙だ。

だが、そんな生き方はかっこ悪い。

やっぱり前を向いて、一瞬一瞬を大事に生きるしかない。
その大事に生きた一瞬の積み重ねが、私の生きてきた証になるのだ。

貯金をするとしよう。
いま一ヶ月千円を積めば、十年後には十万二千円の貯金になる。

そうそう、元本保証のない、積み立てなんとかにはだまされないでね。
あれは元本保証がないから、元本を割るかもしれないからね。

なぜ私がこんなことを書いたかといったら、私がテレビを見て文句を言っていたら、「てつこう。おまえ、俺が死んだ後も、そうやってテレビに向かって文句をいって暮らすのか。情けない。」と、叱られたからであります。

そう、そんな生き方をしていたら、一年で三百六十五回、四年に一度は一年で三百六十六回、テレビに小文句をたれて日がな一日を過ごす老人になってしまいます。

だったら、今を生きる若者たちに、教訓がてらの小説を書いた方がためになります。

そんな話を親や妹と、晩ご飯を食べながらしていました。

そうですね。
小人閑居して不善を為すといいますから、一つ暇つぶしに小説でも書いて、頭と指の体操をしたいと思います。

以上、ικμτ。

ικμτの 館近くの 桜かな

2024-04-17 20:30:00 | 写真付きブログ
ικμτの
館近くの
桜かな




以上ικμτ。


微笑み忘れた顔など、見たくはないさ。

2024-04-10 23:10:02 | ふつブロたまには咆哮
笑いを忘れたικμτ。
いつの頃からか、ικμτは笑っていない。
微笑むことはあっても、笑ってはいない。
ま、いいか。
微笑みは忘れていないんだから。
うん。
大好きな人たちへの贈り物である、微笑みをまだικμτは忘れてはいない。
よかった。


昨日は新月だった。

2024-04-10 00:29:43 | ふつブロたまには咆哮
昨日は新月だった。
アメリカ東海岸では皆既日食だったらしい。
ικμτはのどごし生500ミリを二本飲んで、酩酊中。
とはいえ、ικμτはアル中ではないよ。

良い酔い☺のつまみはかっぱえびせん。
そしてワイヤレスイヤホンから流れるのは、若原一郎さんのおーい中村君。

最近思うことは、誰がικμτの良い隣人だったかではなく、それとは逆に、ικμτは誰それ君や誰それさんの良い隣人でったかということである。

思い返すに、それなりにできる限りのことはしたが、それでもまだ足りないんだろうなと思う今日この頃である。

と、ここまで書いて、ικμτが八方美人であることに気がついた。

こんにち、プロの八方美人であるアイドルでさえ、八方美人になりきれなくて、世人に叩かれるのが世の常である。

そう。
ικμτはただ叩かれるのが嫌なだけ。

根底に隣人愛のかけらすらありゃしない。

それじゃだめだな、ホトトギス。

そんなことを泥酔した頭で考えた、ικμτであった。

ちょっとメルヘン。

2024-04-08 13:39:39 | はぐれざる独り言
窓の外で春の鳥がさえずっている。
表の世界は春。
外の世界は春。
でも、私の心は冬。

水晶玉子先生の占いでは、今が私の春らしい。
でも、私の心は冬。

厚い雲が立ちこめ、冷たい風が吹きすさび、
木々は枯れ、川には氷が張っている寒い冬。

一体いつになったら、私の心に春が来るんだろう?

今は冬将軍が私の心に居座っているけれど、きっと優しい春が来る。

春風の精霊さんが、東風と南風を吹かせてくれれば、きっと優しい春が来る。

確か十二月物語で、春の精霊さんは少年たち。
私の十二月物語では、きっとかわいい美少女たちなんだろうなあ。

とはいえ、私はロリコンではないけれど(笑い)。

あ~、なんか心の憂いを書いたら、涙がこぼれ、そして笑う元気も出てきた。

優しい春風の精霊さん。
私の心から、怖い冬将軍を追い払っておくれ。

あのいかついおっさんも、君のようなかわいい美少女には、歯が立たないから。