「祝う気半々」「復帰あってこそ」 県民の思いさまざま 沖縄復帰50年(Yahoo News

石垣市から式典に駆け付けた元県議の女性(78)は「いろいろ問題はあったが、沖縄がここまで発展したのは復帰があったからこそ」と振り返った。

と記事には書かれています。

琉球王朝の日本帰属と戦争に翻弄された民族の真実の歴史は、語られる事なく影でひっそりとしています。

そこで、スポットライトを当てるのは・・・・・政治家 中川虎之助翁

1859~1926(安政6.1.3~大正15.3.16) 徳島の製糖業家。1891年に石垣島名蔵開墾に着手し、95年に八重山糖業(株)を設立した。しかし2年続きの台風で再起不能となる。1901年に台湾で製糖所を開設、08年衆議院議員に当選。

(琉球新報社 転載)

徳島県上板町生まれで、徳島から沖縄に移住その後石垣島に移り、最後は台湾に渡り生涯を閉じました。

石垣島で、募集者三百人と開墾を行い、製糖業を行うが、病気などで挫折して、台湾に渡り

そこでも製糖を営む、実家の製糖業が彼の生涯を助けたのですか、それとも沖縄の製糖の礎を作ったのです。

黒砂糖と和三盆糖の知られざる歴史です!?

和三盆糖は、サトウキビから生まれる上品な味わいの和菓子の必需品ですが。

その技術を持って、沖縄に渡り開墾と栽培を手掛けた中川虎之助翁

沖縄に伝わる黒砂糖と徳島県に伝わる和三盆糖との繋がりは、彼の手によってなされたのです。知られざる沖縄の歴史の陰で、偉業を成し遂げながら、その功績は歴史の片隅の隠れているのです。

沖縄県さえも、その真実に行き着いていませんかね。それとも本土嫌いが招く歴史の歪曲(笑

まぁ、いずれにしても、

中川虎之助翁は、沖縄の歴史の一ページを作った事は間違いない事実です。

今の政治家たちに彼の爪の垢でも飲んで欲しいかな〜(笑)

戦争に翻弄され、歴史的要所としての沖縄、日本の一部ですが。そんな沖縄を盛り上げた一人に、徳島県人がいる事に誇りと自己啓発を感じるのは、自分だけでしょうか!?

画像は、阿南市に入港投錨している帆船<みらいへ>です。

昨日、イベントの為に、橘湾へ入港していました。<みらいへ推進事業>

中には、訓練生7名と乗員が載ってますが、昨日は一般公開が有りました。

6月には神戸港でのイベントが予定されています。(詳しくはここをクリックしてね。)

6/4,5 神戸発着1泊2日 帆船でスナメリを探そう!

毎年、この季節には、阿南市でのイベントが行われるので、気になる方はカレンダーにチェック入れておきますかね。

あなたの子供達も、歴史を作る一人に育つかも知れません。

如何ですが???

大海原に飛び出す子供を育てましょう!?

チンケなオレオレ詐欺やネット詐欺で、稼ぐ奴等を育てちゃいけませんよね。

犯罪の一端は親の育て方に有ります!?

 

 

 

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