昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦/桑田佳祐/狂レビューその①


矢沢永吉、長渕剛、桑田佳祐はよく比較される。それぞれ国民的カリスマだが、特に長渕と桑田については因縁もありよく書かれていた時期もあった。だが、正直僕はどうでもよかったので、それぞれを自分なりに楽しんだのだが、桑田佳祐=サザンオールスターズ(以降サザン)については、初期の頃ほど聞いてはいなくなっていた。

サザンのデビューはそれは衝撃的で、僕は中坊ど真ん中だったしドはまりした。と言っても1980年のアルバム「タイニイ・バブルス」までで、それ以降は特にレコードを買ったりエアチェックするということもなくなっていた。洗練され過ぎて全国民のものになったというありがちな感傷もあっただろうか。

矢沢や長渕は、音楽的にはある意味「わが道」的で(もっとも長渕は「GOODBYE青春」以前と以降では別物と思うが)あるのに対して、桑田の音楽性は「やりたいことは全部やる」的で、「(自分が)楽しんでいる」という観点から言えばダントツなんだろうと思う。

逆に言えばそれが一部の(僕を含めた)ファンが離れた要因でもあるかもしれないけど、それでも大ヒットを続けるから繰り出す新曲はだいたいどこからともなく耳に入ってくるので、ほとんどのシングルは知っている。

もうひとつ、歌詞の詰め込み方が当時は(よく言えば)斬新で、逆に言えば譜割を大切にする人からすれば邪道とも思えるスタイルは、後の日本のポピュラーミュージックではほぼ当たり前の状況になったことを思えばある意味で発端になった人であるのだろう。一時期、僕はそこが嫌いになっていた。学生時代はあまりに衝撃的なデビューをしたことにおされてハマっていたが、自分が曲作りをするようになると、嫌悪感を持ち出したのだ。「忘れられようか」を「忘らりょか」と表現するのは、「そんなんアリかよ、ずりィ」と思ったものだ。作詞家の苦労をあざ笑うかのようなすり抜けに思えたのだ。

桑田が「ひとり紅白」という企画をやっているのは知っていたし、ハードロックから演歌、シャンソンンまで悪く言えば「節操のない」スタイルについて、徐々に好感を持つようになっていった僕自身の変化もあった。

僕自身もバンドや弾き語りでまさに「節操のない」選曲を好んでやり始めていたこともあって、ここにきて「桑田佳祐に興味がある(今かよ!)」的になったのでした。

そんな時にあるサザン大好きの知人がこの「昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦」のDVDを貸してくれたのである。

元々はAct Against AIDS/AAA(アクト・アゲインスト・エイズ)の一環で1993年から行われていたチャリティで、このDVDは2008年の模様が収められている。収録曲は実に61曲、権利問題もあっただろうに、それをすべてクリアしているのもチャリティならではだし、本人や事務所の力も大きいのだろう。

ま、そんなことはどうでもいいのだが、それにしてもやはり、「本当にこの人、歌が好きなんだな」とマジマジと思ってしまうのである。けして歌唱力を評価されるタイプではないだろうが、よく聞くと「上手い」というより「じょうず」なのだ(同じだろ!というつっこみはナシ、ニュアンスね)。それ以上に体力と喉には感服する。

そして歌手である前にエンターテイナーだな、とも思わせる。演出はかなり凝っているし面白い。時事ネタや特定の個人を揶揄すること(個人的にはそこが好き)もあるが、昭和歌謡に対してのリスペクトは半端ないものがあることがわかる。しかも自分の解釈でアレンジをするということではなく、オリジナルにほぼ忠実に展開するという点でも、その曲の流行ったその当時を尊重している感もある。

もし彼を理解したいと思う人がいたなら、おすすめの記事があるので最後に貼っておく。
「僕自身は空っぽの容れ物」――世の中の空気を歌に込め続ける桑田佳祐の今(Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)