母の四回目の月命日を迎えました。
母が亡くなってもう五カ月
あっという間のようで、
あの暑かった夏の日は
もう随分前のことのような気がします。
花よりダンゴ ^^
母の好きだったみたらし団子(醤油味)を飛騨の友達が送ってくれました
当ブログ
『それでも実家は売れました』は
<シーズン1>
2022年9月~2022年3月まで
(実際は2019年3月~2022年3月までの
振り返りを書いています)
・2019年4月に母を富山の実家から
私の住む関西へ呼び寄せたこと
・たった一人で6時間かけて実家へ通い
溢れる「もの」を片付け続けたこと
・問題を抱えた「実家」を売却したこと
を中心に綴ってきました。
なんせ大変だった「実家の片づけ」
・なぜ実家を一人で片付けようと思ったのか
・片付けながら何を感じていたのか
・大変だったことは何なのか
・そこをどう乗り切ったのか
・数々の失敗談・後悔 など
を出来るだけ詳しく書いて
同じように親の介護をしながら
(または介護を終えられて)
実家の片づけに取り組まれている方に
少しでもお役にたてればという想いでした。
※シーズン1を最初からお読み頂くときはこちらからどうぞ ↓
<シーズン2>は
2022年9月~2022年12月まで
(実際は2022年3月~2022年12月までの
ことを書いています)
・コロナ禍の施設での母の看取り
・実家から遠い地での家族だけの見送り
・亡くなった後の手続き・届け出
について
自分の気持ちの整理のためと
母とのたくさんの思い出を
忘れないように心の中に刻むために
書き綴りました。
「私なりの寄り添い方」
「私なりの送り方」で
常識的でないこともあったと思います。
ただ、
母が最後に身をもって教えてくれた
・誰もが年をとっていくということ
・最後まで生き抜いていくということ
・死ぬのも簡単じゃないということ
を、どうしても
書き残しておきたいと思いました。
そして
亡くなった後の手続きもまた大変
母が生きている間に
実家を片付けることができたことに
あらためて母・家族に感謝しています。
*シーズン2を最初からお読み頂くときはこちらからどうぞ ↓
ここで私はまた
ちょっと休憩してから
次に進みたいと思います。
少しずつ、
実家と母の施設の部屋から持ち帰った
遺品整理をしながら
ブログはまた書きたいことが出てきたら
こっそり たまーに書くかも、、
まだ決めておりません
またどこかでお会いできますように
さーて、そろそろ
自分の部屋も片付けないと、お母ちゃんたち見てるで
うき