失うものが増える

今日の更新より

米内総理親任式のタイミングで盛岡市民旗行列大会(昭和15年1月16日)
米内総理就任を祝し、岩手県知事が銘酒「岩手川」を贈る(昭和15年1月16日)
米内邸では祝電の山で3分の1は女性から(昭和15年1月16日)
釜石港ではイワシが豊漁(昭和15年1月19日)
スケートリンクの乙女(昭和15年1月19日)
住宅メーカーの「ホームイン・セール」(昭和61年8月10日)

今日の朝飯前はここまで。

さよなら蒸気機関車「D62」(昭和41年9月30日)
盛岡からも大阪万博へ行こう!(昭和45年4月29日)
さよなら奥中山のD51三重連(昭和43年9月27日)
オイルショックと岩手(昭和48年11月16日)
石川啄木記念館が開館(昭和45年4月13日)
釜石大観音が完成(昭和45年4月8日)
電話料金が3分10円に(昭和45年3月25日)
岩手公園内に岩手県立図書館の新館が開館(昭和43年2月10日)
土用の丑のうなぎ(昭和47年7月21日)

主だった新聞がパブリックドメインにならない昭和43年以降はIBC頼みするしかない。

東京大歌舞伎の沢村茂美次・市川鯉三郎合同大一座が盛岡劇場・水沢劇場に来る(昭和25年9月28日)
GHQ東北民事部オースチン教育課長が盛岡に来て県教育長と会談(昭和25年9月26日)
全専売労組の中央委員会が盛岡で開催される(昭和25年9月26日)
国勢調査にご協力ください!(昭和25年9月28日)
山のボンペイ街のチャコ(360)お魚が真っ黒焦げ(昭和25年9月28日)
国鉄バス久慈自動車営業所の新ダイヤ(昭和25年10月1日)
東北の一級酒審査の合格率は岩手が筆頭(昭和25年9月27日)
花巻で電話が磁石式から共電式に(昭和25年9月28日)
豊作なのに精米所の能力が足りず配給が遅滞(昭和25年9月28日)
県営グランド宝くじ抽選会(昭和25年10月1日)

昭和25年を10記事の大台に乗せるために搾り取るだけ搾り取ってみた。

都合、今日は25記事。

昨日のブログ村・ブログランキング

ブログ村はPVポイント430、順位は5966位。

限りなく6000位台に近くなっている。
あの4000位台は藤圭子バブルだったのだろうか。

今日のGoogle search consoleより

カバレッジの有効数は32に増えている。
少しずつではあるが増加トレンドに転じつつある。

岩手民声新聞は今どこへ?

「頑張りガンさん」の江刺のローカル紙「岩手民声新聞」は現存しない。

現存しない団体であれば著作権も消滅しているのではないか。
でももしかしたら、相続人がいるかもしれない。

とりあえず、現状を調べるだけでも調べてみよう。
それで、登記簿があるかどうか、盛岡地方法務局水沢支局に問い合わせることにした。

結果いわく「閉鎖した法人については盛岡地方法務局に聞いて下さい」と。

では、ということで盛岡地方法務局に電話してみる。

「株式会社ですか?有限会社ですか?」
「それが『岩手民声新聞社』とだけあって、株式会社とも有限会社とも書いてないんですよね」
「では調べてみます」

数時間調べてもらうことになったが「そのような法人は存在しない」ということだった。

してみれば「新聞社」といいつつ、実は個人商店のようなものだったということ?

こうした場合、まさか代表者の死後50年経たないと権利保護期間が満了しないとか、そんなことになる?
いずれにしても、どれだけネットで探しても、最後の活動実績が昭和57年頃となると、著作権を主張してくる人がいるのかどうか・・・。

そう思って調べているうちに、こんな論文にぶち当たった。

ニュースの伝わり方(マス・コンのチ々ネル)1954年江刺調査中間報告(昭和30年10月 統計数理研究所)

これはこれで面白い。
岩谷堂~土沢なんてバスがあったのね。

今日のとど鉄

大阪では既に過去最大の感染者数になったと言う。東京でもそれに迫っている。
このような状況では、井上ひさし「吉里吉里人」の冒頭のように、「十和田3号」を一ノ関の手前でトレインジャックして「あんたワクチンパスポートば持って居だが」と検問でもするしかない。


showa
  • showa

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