例えば昨今の❝猛暑❞、❝酷暑❞。いわく、「昭和の時代より確実に夏の気温が上がっている。今年も熱中症に気を付けなければならない」の声。多くの人は、昭和の頃の夏が今より涼しかったなんてことは忘れてしまっている。そもそも、暑い、寒い、暖かい、涼しいなんて実際の温度で計れるものではない。温度は目安でしかない。確かに、昭和より平成以降の方が夏の気温は上がっていることは事実だろう。気温が40℃近くなるなんてことはなかったと自分も記憶している。因みに私の年齢は50ちょっと過ぎです。昨今は、夏が涼しく避暑地になると言われている札幌でも夏場はヒートアイランドになることがあるらしく、熱帯夜も珍しいことではないらしい。

何が言いたいかというと、「昭和の夏もやっぱり暑かった」ということである。今より気温は低かったけど、体感的には暑かったということ。麦わら帽子をかぶり、アイスをかじり、日焼けして、水撒きし、縁側で風鈴の音を聞きながら涼んでいたのである。「あつい、あつい」と汗をかき団扇を扇ぎながら。問題は、文明の利器の問題である。今は当たり前にエアコンが普及しているからエアコンを切った時、あるいは外に出た時の暑さが殊更こたえるのである(つまり人間は寒暖等の差異でしか体感できない)。

何が言いたいかというと、結局、ビジネスとつながる吹聴、煽りでしかない。いわく「熱中症に気をつけましょう」。危険なのは、買い物中、50℃以上にもなろう車の中に赤ちゃんを置いていて最悪死なせてしまうということであって、そういう事例は例外中の例外なのだ。しかしながら、昨今は何でもかんでも「熱中症、熱中症」。高校球児が猛暑の夏のグランドで野球できなくなったら終わりなのである。ところが、最近は「こんなクソ熱い炎天下の中、野球をやるなんて酷過ぎる」なんて声も吹聴されるからいけない。この、夏が来れば連呼される「熱中症、熱中症」の吹聴は、アホみたいに連呼する「エコ、エコ」に近いものがある。熱中症なんて言葉はマスゴミが作り出した言葉に違いなく、医学における疾患の専門名称ではない(❝熱中症❞を利用して金儲けする性質(たち)の悪い医者も少なくないが)。

結局のところ、「熱中症が危険だ」→「こまめに水分を摂ろう」→「飲料会社が荒稼ぎする」という構図である。本当にこの国は物事すべてビジネスつながりでしかない。

 

 

 

 

 

 

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