【続】発達障害だっていいじゃない  ~鬱な私と4人の子供達~

発達障害の子供達も成人したので、これまでのことも書きつつ、50代からの奮闘の毎日をつづります。

小学校高学年から中学校へ発達障害の双子の息子達の話③

5年生の5月から、隣町に引っ越した長男次男。三男の特別支援学級の学区の関係で隣の小学校に通うことになった。単学級だったので二人は同じクラスになった。

 

そこで例の自分の子が大好きなマッチョ先生が担任になった。その先生はよく見てくれる先生で大きなイジメはそれほどなかった。マッチョ先生に情緒障害の通級学級を勧められ週1回通うことになった。

 

情緒障害等支援学級では、SSTと運動機能訓練をした。6年生の時には後輩も入り3人で障害物スプーンボールリレーとか、スイートポテト作りをしたり楽しく通わせてもらった。

 

心配だったのは中学校について。うちの近所はかなりガラが悪い。同じ都営に住んでいる子達とも同じ小学校にはいかなかったので知り合いがいない。小学校の教育相談係になっていた毎度登場するレジェンドS先生に相談して、都立の中高一貫校をダメもとで受験したが、応用力を問われるテストに歯が立たず失敗に終わった。

 

そして中学入学前に気をつけて欲しいことなどを相談にいった。でも入学してみると様子ががらりと変わる。3月と4月では先生の異動が多くクラス替えもあり、前もって相談に行ってもまったく意味がない。

 

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子供会で辛うじて知り合いになった同じ都営に住む男の子二人が、うちの双子それぞれとおなじクラスになった。入学後、身体の小さな二人はあっという間にイジメのターゲットになってしまう。ADHDの方の息子がからかわれると、大人しい方の息子まで一緒にからかわれる。ベランダで二人の帰ってくる様子を待っていると大勢の子に追い掛け回され大声で叫びながら逃げ帰ってくる様子が見えた。ゴミ箱に頭を突っ込まれるようなこともあった。都営の子もひとりは加担していた。もう一人は最後までかばってくれた。(1年後かばってくれた子も別のきっかけでイジメにあい不登校になってしまった。)

 

そんなある日、大人しい息子がADHDの息子のクラスの子に休み時間にトイレに閉じ込められた。授業が始まっても出してもらえず、その間何があったのか、不明なままだ。その日から息子はベッドから起き上がれなくなった。PTSDと診断され、2人とも学校に通えなくなった。

 

市役所の学務課に相談し身体障害者手帳を持っていたので、特別支援学校への転校を希望した。

 

特別支援学校は都立なので、市の教育委員会から都の教育委員会に申し込みをしてもらう必要がある。そう簡単には入れない。6月に申し込んで入れたのは10月だった。

 

その間、レジェンドS先生のいる教育支援室と週1回の情緒障害等特別支援学級に通った。勉強は教えてくれないが、学校の教材で自習するのを手伝ってくれた。

 

つづきは次回以降に書きたいと思います。小学校高学年くらいから発達障害の子は特に苦労する時期に突入すると思う。親が介入できないし、本当に辛い。イジメがあまりひどい場合は学校に無理して行かせなくても良いと思う。そうでなくても、世間では物騒な事件が起きている。あの報道をきいただけで、気持ちが悪くなってくる。私はいさかいが大嫌いだ!子供の心の傷は非常に大きい。

 

 

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