ジャム・セッション 
石橋財団コレクション × 毛利悠子 — ピュシスについて
アーティゾン美術館
2024月11月23日(土)

 

アーティゾン美術館の恒例企画、ジャム・セッション。アーティストがアーティゾン美術館の所蔵作品にインスパイアされて企画する展覧会です。
 
毛利悠子は繊細なインスタレーションを制作するアーティスト。これまで見たことがあったのでイメージはありました。相互に干渉しあう微弱なはたらきを作品にしています。
 
タイトルのピュシス(physis)とは、ギリシャ語で自然を意味する単語です。宗教的アプローチから離れて、世界の全ての源となるものとして考察されました。現代科学とは別のものです。
 
アートの視点で世界を見た時、現代の文明では説明できない見落とされている何かとも言えます。
 
 

01  Decomposition

 

レモン電池を覚えていますか。小学校の理科の実験、自由研究によく出てきます。その原理で動作する作品です。

 

中央の家具の上の果物に電極が刺してあり、そこから発生する微弱な電流をアンプで増幅して、スピーカーのような楽器から音を出す仕組みです。背後の照明も明るさも合わせて変化します。

 

02  Decomposition

 

こちらも同じ仕組みです。ここで発生する電流を展示室内の照明に接続しています。

 

 

電球はゆっくりと明滅を繰り返し、展示室の作品を照します。

 

03  ジョルジュ・ブラック 梨と桃

 

実物の果物の働きによって浮かび上がる果物の絵画。絵画を元にインスタレーションを制作したのか、今までに制作した作品に合う作品を見つけたのか。

 

両方のようですが、いずれにしてもうまくハマっています。2つの離れた何かが作品という枠組みを通してひとつのイメージとして繋がりを持っています。物理的な繋がり、イメージの繋がり、そこから生じる何か。

 

それは何でしょう?それがピュシスかもしれません。

 
 

07 パウル・クレー 数学的なヴィジョン

 

このミロの作品を設計図に制作したような作品がこちら。

 

08 Magnetic Organ

 

アンテナから発生する電磁波を受けて、コイルに電流が流れモビールが動く。そういう仕組みと思いますが、あまりに微弱でほとんと動かない。館内の空調の風に当てられ少し揺らぐ程度です。
 

10  クロード・モネ 雨のベリール

 

ベリールはフランスのブルターニュ半島の島です。モネはここに滞在し、海の景色を何点も描いています。荒々しい波が磯の岩に打ちつけています。波の音が聞こえるようです。

 

09 Piaono-Solo:Belle-lle

 

海岸で撮影した海の映像。その波の音を大型のスピーカーから再生。その前に設置したマイクで音を拾い、その音をベースに電子ピアノを弾く作品です。波の音の音域ごとに鍵盤を割り当ててあり、波の音に合わせて音を鳴らします。

 

波の絵画が人の心に波の音のイメージを響かせらように、波の映像がピアノの調べを響かせます。この映像がベリールの海かは定かではありませんが同じテーマを油絵とミックスメディアという違う手法で作品にしています。 

 

 

12   めくる装置、3つのヴェール

 

フタのないイメージスキャナーの上に布がかけられています。そばにサーキュレーターがあり、スキャナーが動作し始めるのに合わせて風を送ります。宙で揺らぐ布の画像が、天井に吊られているモニタに映される仕組みです。


この作品の動作するタイミングは、向かい側に設置されている別の作品です。

 

 

台の上に取り付けられた幾何学模様の電極を、ゆっくりと円を描いて動くホウキのようなものが撫でてると電気が流れる仕組みです。

 

この作品の設計図になったものはこの作品。

 

11 マルセル・デュシャン

マルセル・デュシャンあるいはローズ・セラヴィの、または、によるトランクの箱(シリーズB)

 

マルセル・デュシャンのややこしい作品から制作すると、ややこしいものができますね。

 

 

19 I/O

 

これはもとの作品は無かったような。仕掛けが込み入っていて、すべて理解はできなかったです。 



作品の一部です。モーターで動くスプーンが中央の金具に触れると電流が流れ、離れた場所のブラインドを動かします。



吊り下げられたランプがゆっくり明滅しています。その明かりを受けた太陽電池パネルが発電する電流で奥に仕掛けられた蝶が動きます。


タイトルの「I/O」とは、Input/Output の意味だと思います。毛利悠子の作品はどれも動くインスタレーションです。何かをきっかけに動き出すとそれがカタチを変えて伝わっていきます。それは電気であったり、音であったり、風であったり、光であったり。物理学で説明できる仕組みではありますが、伝わったもの、この作品を見た私たちの印象はその限りではありません。


そこにある何か、そこを伝わる何か、日常生活では意識することもない何かを、静かに心と知性を働かせて見つめる。そのような瞬間も大切だと私は思います。ありきたりに感じる世界が全く違うものに見えるようになるかもしれません。



毛利悠子については、以前に坂本龍一とのコラボ作品でも触れていますので、こちらもどうぞ。





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