彼女は、イエスのことを耳にして、群集の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。
「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と考えていたからである。
すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。
イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群集の中を振り向いて、「だれがわたしの着物にさわったのですか」と言われた。マルコ5:27-30
先日、2025年シーズン開幕戦の為
アメリカからドジャーズとカブスが来ていました。
私は、殆ど見ていなかったのですが、
夫はその試合を見ており、
私は通りすがりに大谷選手がホームランを打つのを見ました。
凄い歓声があがっていました。
その球場にいた大勢の人が1人の人に集中していました。
観衆が「もっと見たい…近くで大谷選手を見たい…」と思ってるのを感じました。
私は丁度その時、長血を患った女性の話の部分を読んでいて、
大谷選手を見つめる観衆が
イエスさまを一目見たいと近寄ってきている聖書の中の観衆と重なって感じたのです。
多分、本能的に凄い人に出会ったら、
私たちは「見て見たい!」「近くで見て見たい」
「声を聞きたい」「話して見たい」
「触ってみたい」と思うのではないか?と思いました。
この時も、イエスさまの周りには群衆が集まり、
破茶滅茶な状態だったのです。
この話はマタイ、マルコ、ルカに記録されています。
これらを読むと「群衆が押し迫まり、ひしめき合っていた状態」だったのが分かります。
多くの人が一目見ようと、近づきたいと思って集まったのです。
イエスさまに触れた人は多かったはず。
イエスさまが「誰が私の着物に触ったのですか」という問いに対して
弟子は「群集があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、
それでもそんな事を言われるですか」と答えています。
イエスさまに癒された多くの人たちは、
イエスさまから「癒してあげよう」と触って下さったり
言葉をかけられたのです。
しかし、この長血を患った女性は
彼女の方から近寄ったのです。信仰を持って。
イエスさまに触った人は数えきれないほどいたはず。
しかし癒しを体験したのは、彼女だけ。
聖書の中には「自分の内から力が外に出て行ったことに気づいて」
群集の中を振り向かれたのです。
私は、今日、この個所を読み、
信仰が主を動かす事が出来るんだ…と思いました。
沢山の人が同じようにイエスさまに触ったのに、
信仰を持つものだけが、イエスさまの中にある力を
自分に引き寄せ事が出来たのです。
イエスさまにとっては、ご自分の意思と反し、
お体から力が出て行ったので、
驚き、振り返り、誰なんだと探されたのです。
この女性は凄く積極的な性格ではなかったんだと思います。
大胆に「主よ!癒して下さい‼」と御前に出る事をしなかった。
「群衆に紛れ込み」イエスさまに近付いたと聖書に書かれています。
人の目には、小さな信仰に見れるかもしれません。
しかし、誰よりも強い信仰だったのです。
はぁ… 私も彼女のような信仰が欲しい…‼
信仰の力って本当に凄い…。
信仰をもって、聖書を読もう❗
信仰をもって、賛美しよう❗
信仰をもって、祈ろう❗
今日も、信仰をもって、礼拝しよう‼️
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)