碓氷峠 廃線ウォークを上下線堪能してきたpart6 軽井沢⇒熊ノ平信号場

関東

では、最後に上り線ツアーに参加した際の様子をご紹介しましょう。
碓氷峠の詳細な説明は、part1~5の下り線ツアーの方で紹介しましたので、こちらは鉄道好きというより

ちょっと変わったハイキングに出かけてみたい

と思われている方向けに書いてみたいと思います。

碓氷峠概略

本ツアーが開催される碓氷峠の位置はこちら。

碓氷峠位置

国土地理院標準地図を用いて筆者作成

関東と信州・日本海方面のちょうど中間に位置します。

地形上、両地点を結ぶ交通手段は碓氷峠を避けては通れません。
江戸期の五街道 中山道にはじまり、明治以降に敷かれた在来線、平成に入ってからの新幹線、さらには高速道路までが通過します。しかし、その高低差は約1,000m。険しい峠を越えるべき、先人たちは知恵を絞り、道をくねらせ、3本目のレールを使い、専用の機関車も駆り出すなどして峠に挑んできました。そんなことから、交通の要衝 碓氷峠には、人の営みが詰まっているのです。

そして今回歩く廃線は、1963年から97年までの34年間(東京五輪の開催前から長野五輪の開催前までと言い換えれば分かりやすいでしょうか。)存在した信越本線新線の群馬県横川駅から長野県軽井沢駅までの区間です。

ルートは以下のようになっています。

国土地理院標準地図を用いて筆者作成

 

また、新線ということは、旧線も存在するわけなのですが、イメージは以下のとおり。

新線下り線は旧線の一部を転用して運用されていた。

旧線は1893年から1963年まで新線と同区間を寄り添いながらも若干異なるルートで結んでいました。

詳細な解説は公式さんなど譲りますが、技術の進歩で可能となった運行の簡素化と輸送量の増強のため新線が敷設されたということです。そして、その新線もまた、輸送の高速化の波に飲まれ、1997年に北陸新幹線に置き換えられて廃止となったのでした。

往年の様子は、特にこの方の動画をご覧いただけるとイメージが付くかこともいます。

これらを踏まえ、本廃線ツアーの魅力を挙げますと

 

①有史来の歴史に触れられる

②主要幹線かつ平成の廃線上を歩けるのは国内唯一ここだけ

③終了後の峠の湯が至高

 

では実際に様子をご紹介していましょう。
服装など気になる方は当ブログのこちらでご確認くださいまし。

2021.2.13 冬晴れの軽井沢へ

おはようございます。
予約表どおり、8:45 軽井沢へやってきました。本日は日曜日、朝早く動くと得した気分になりますね。

申込時に届く予約表

軽井沢駅前で、ガイドの方や他の参加者と合流し、いざ廃線に参ります。

これから向かう横川方面を望む

旧矢ケ崎踏切

旧矢ケ崎踏切

近くには保線員さんの事務所跡?

この後、レンタルのヘルメットと懐中電灯も受け取り、本格的に廃線上を歩き始めます。

信越本線上り線軽井沢付近

軽井沢方面を振り返る

既に下り勾配がはじまっているのが分かります。

66.7‰勾配標

勾配を示す標識

66.7‰(1㎞の間に66.7mを下る勾配)は、当時JR線内で最も厳しい勾配でした。
ここから全長637mの第11トンネルに入っていきます。

廃線のためトンネル内は真っ暗

手元の懐中電灯を頼りに一行は進みます。

「冬のトンネルは暖かい」
と言いますが、碓氷峠は勾配になっているためか風が吹きおろし肌に刺さります。

トンネル壁面の県境案内

入口から少しのところで県境を越え、群馬県へ入ります。県境は同時に関東と信州を分かつ大きな境界でもありますね。

信越本線廃線の非常用電話

トンネル内には一定間隔で非常用通話装置

冬の碓氷峠

断続的にトンネルは続きます

2月中旬でしたので、まだ雪が残っていました。
トンネル内で人工物の上を歩き続けてましたから、途端に足元が悪くなるので用心せねばなりません。

気温は10℃

再びトンネルへ入ります。

バラストとスラブ軌道の境目

区間で枕木の構造が変化しているんですね

左手は一般的に見かけるバラスト軌道
右側は、高架線や新幹線などで見られるスラブ軌道という構造です。

バラスト=線路に敷かれた砂利

で、これがあることで列車の走行で生じる騒音・振動が軽減され、線路上の雨水の廃止や雑草防止に役立ちます。一方で、バラスト軌道は管理が大変であるため、沿線への騒音の心配がないトンネル内では、スラブ軌道が良く用いられています。

探検にはご覧のような高ルーメンの懐中電灯がおススメ

トンネル壁面には、出口までの距離が示されている

暗闇で進捗、ゴールが分からないと不安になるわけですが、そんなころに現れるのがこの看板。ごっつい錆ですが、まだまだ現役

漏水が氷柱化していたり

トンネル内で風景に乏しい中でもこのような見どころがあったりします。
ふと我に返り

「暗闇を延々と歩いて何をしているんだ俺は」

となる瞬間も無きにしも非ずですが笑

特に上り線は、下り線よりもトンネルが本少なく距離の長いトンネルが多いので、このような小さな楽しみを発見していくと良いかもしれません。

久方ぶりの日の光

太陽のありがたみを知る旅でもあります。

10:30 下り線と旧線を眺めながら休憩

第8・第9トンネル間はちょっとした広場に

場所はこの★印のあたり

国土地理院標準地図を用いて筆者作成

ここで下り線にも遊びに出かけてみますと

浮いてしまった下り線レール

あらららら

このようになった原因は令和元年の台風19号(新幹線の車両基地が水没したあの台風です。)の大雨。雨水が激流となってこのトンネル内をかけ下り、路盤をえぐりとってしまったんだそう。

激流に耐えた枕木とレール

旧線の第十三橋梁は明治期のレンガ造り

小休憩。栄養・水分補給をしますよ

どこでも寝られそうなほど心地良い日差しです。たまりません。

20分ほど休憩し、ウォーキング再開です。

レールの繋ぎ目は木の枕木が使われている

枕「木」といってもコンクリート製のものが主流ですが、写真中央部のように木製のものも使われています。
ガイド氏によれば、耐久性を高めるため、繋ぎ目付近では枕木の間隔が狭くなっているのだとか。
第7トンネルを抜け、再び下り線に目をやりますと

右手から来た線路が鉄橋を渡っていますが

鉄橋手前にガレキが散らばっています

ちょっと見にくくて恐縮ですが、このガレキが先述した台風で押し流されてしまったものです。水流とともにトンネルを抜けてきたんですね。

大きなガレキが濁流の激しさを物語っています。恐ろしい。

標高が下がるにつれて残雪が減ってきました。

トンネル壁面の60。これはコンクリートの厚さを表している。

今にも列車が来そうな雰囲気

勾配が一定ですので、一般的な山登りよりはだいぶ歩きやすい印象です。
日によっては沿線に猿やら鹿やらも見られるようで、この日は

かもしか君が登場してくれました。

上下線がだいぶ近づいてきました

このトンネルを抜けると

12:15 熊ノ平信号場に到着

熊ノ平信号場

ウォーキングのだいたい中間地点である熊ノ平信号場へやってきました。
標高は687m。開始から3時間。軽井沢から5kmで250mの高さを下ってきました。

場所はこのあたり

国土地理院標準地図を用いて筆者作成

軽井沢方面を振り返る

左から 旧線の突っ込み線、新線下り線・旧線、新線上り線

旧線の突っ込み線、こちらも煉瓦でできています。これは信号場内では収まらない車両を入れ込むためのトンネル。
旧線の本線は、新線の下り線に転用されましたので存在しません。

鉄道ファンであるタモリ。彼はこの分岐器を愛してやまない。

一行はここでお昼休憩

別のガイドの方に車でお持ちいただいた釜めしを食べ、午後に備えます。

後半へつづく

碓氷峠 廃線ウォークを上下線堪能してきたpart7 熊ノ平信号場⇒峠の湯
軽井沢・熊ノ平信号場はこちら 12:40 熊ノ平信号場を出発 釜めしを食べ終えた一行は再び歩き始めます。 この先では どこへ向かえば良いんだ笑 横川方面へ向かう旧線本線が、アプトの道遊歩道として一般開放されています。 峠...

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