ツイッターで、フォゼ尾のぬいぐるみを紛失してしまったという人のツイートを見ました。
タイムラインにたまたま流れてきたのを見かけたんですが、そのツイートがほんとに悲しそうですごく気になってしまった。
その人のアカウントを見にいったら、普段からフォゼ尾や自作の小さなぬいぐるみでぬい撮りをしていて、すごくフォゼ尾を可愛がっている様子が見て取れました。
そんなに大切にしていたものをなくしてしまうなんて、どんなにつらいだろうと思うと、その人の気持ちに共感して私もつらくなってしまった。
「フォゼ尾」というのはゴールデンカムイに出てくる尾形百之助というキャラクターを動物(オオヤマネコ)に変身させたぬいぐるみのこと。
(アニメイトのサイトから)
かわいー。
一時期、私もすごく欲しくて、買おうかどうかものすごく悩んだんですが我慢しました。
「ぬい撮り」はぬいぐるみを被写体にして写真をとること
大きな施設内で写真を撮ったのがぬいぐるみを見た最後で、施設を出てしばらくしてから紛失したことに気が付いたようです。
気が付いてからすぐに来た道を戻って探したけれど見当たらなかったようです。
店員さんにも届け出て、数日してから警察にも届け出たそうです。
自分の管理が甘かったことをすごく後悔していることがツイートから読み取れてました。
フォゼ尾は「もの」なのに、寒空のしたで凍えていないかとか、踏んだり蹴ったりされてないかとか、「もの」以上のように心配してしまう。
その気持ち、わかるって思いました。
このことを見かけたのが、11月の下旬くらい。
私が婦人科予約のことでストレスマックスの頃でした。
自分のことでだいぶ弱っていたのに、このツイートを見かけてさらに辛くなってしまった。
2週間くらい前のことなのにもうずいぶん前のように感じます。
私もこれまでの人生でいくつか紛失してしまったものがあります。
鍵とそれにつけていたキーホルダー、定期とそれを入れていたお気に入りの定期入れとか。
探しても見つからず、なくしたものがどこでどうなっているのかすごく気になって、しばらく頭から離れなくてそのことばかり考えてしまいつらかった。
この気持ちはどうすることもできません。
時間が解決してくれるのを待つしかないんです。
時間がたつと、だんだん「なくした」ということを受け入れることができるようになるんです。
なくしてつらいという気持ち自体がなくなることはありません。
でも、時間がたつとつらい気持ちを自然と少しづつ受け入れていく。
このアカウントの人のことが気になってしまい、毎日のようにツイートを見にいっていました。
始めは自分の行動を後悔し嘆き悲しんでいて、この人大丈夫かなって勝手に心配していました。
でも、施設の人に電話したり、警察に届けたり、休みの日は1日かけて探したりと自分ができる限りのことをして、なくしたことを少しづつ受け入れるようなツイートに変化していくのがわかりました。
フォゼ尾に戻って欲しいと思う気持ちは変わらないけれど、できることは全てやって見つからなかったということを受け入れたようです。
今は思い出とともに前向きな気持ちになったみたい。
それを見て私もなんだか安心しました。