ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

田中千穂子『ひきこもりの家族関係』2001・講談社-「ひきこもる」ことは、そんなに悪いことなのか!?

2024年04月26日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2018年のブログです

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 田中千穂子さんの『ひきこもりの家族関係』(2001・講談社+α新書)を再読しました。

 これもかなり久しぶりの再読です。

 田中さんは(じーじが勝手に尊敬し、大ファンである)本当に信頼できる力のある臨床家。

 子どもの遊戯療法などの本をこのブログでも何回かご紹介していますが、その臨床場面のていねいさと細やかさはすばらしいものがあります。

 その田中さんの「ひきこもり」論。

 本の帯には、「ひきこもる」ことは、そんなに悪いことなのか!?とあって、なかなか刺激的です。

 今回もいろいろと示唆を受けたのですが、その一つめは、ひきこもりは「対話する関係」の喪失、という視点。

 個人の病い、というとらえかたでなく、家族や友人らとの間で、対話をする関係が不十分なために、傷つき、人間関係から撤退している状態、ととらえます。

 二つめは、ひきこもったあとの親への試し。

 親からの安全感が十分でなかったという感情を抱きがちな人が多いので、親がどれくらい本気で心配をし、考えているのかを試す、といいます。

 これについては、田中さんは、無駄を承知で、無駄なことを繰り返して、行動で心配していることを示すのが大切、と述べます。

 三つめは、本人がひきこもりから脱出しようとする際に、うまくいけば吉、失敗すれば死、という極端さの傾向。

 そうではなくて、必要なことは、少しずつ徐々に成功と失敗をくり返していくことである、と説きます。

 田中さんは、本書では、ひきこもりの本人との心理療法ではなく、親ごさんとの心理療法をいくつも提示しています。

 いずれのケースでもその面接の中で細やかでていねいな関わりを示し、そのことが親子関係のありかたの見本やとらえ直しになって、回復に結びつく様子を見ることができます。

 難しい治療ですが、ていねいで確かな心理療法の一端を垣間見ることができると思います。    (2018 記)

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 2021年秋の追記です

 山中康裕さんが、お得意の「窓」論のほかに「内閉論」ということを述べられています。

 蝶が成長する時に、さなぎという、一見成長していないように見える時期があることに比して、人間も若い時に「内閉」の時期があり、実はそこでちからをたくわえているという視点で、ひきこもりにも有効な見方だと思います。    (2021.9 記)

 

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鳩沢佐美夫『コタンに死す-鳩沢佐美夫作品集』1973・新人物往来社-アイヌ民族からの叫びをきく

2024年04月26日 | 北海道を読む

 2020年春のブログです

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 アイヌ民族の作家である鳩沢佐美夫さんの『コタンに死す-鳩沢佐美夫作品集』(1973・新人物往来社)を再読しました。

 この本は20年くらい前に帯広の古本屋さんで購入したもので、一度読んだきりだったのですが(鳩沢さん、ごめんなさい)、今回、すごく久しぶりに読みました。

 1973年、じーじが大学に入った年の本ですが、内容は全く古くありません。

 それどころか、アイヌの人々への差別問題だけでなく、最近、問題になった知的障碍者の避妊手術事件などがすでに描かれていて、作者の問題意識の深さにびっくりさせられます。

 短編集ですが、じーじは作者の自伝的な小説である二つの小説が印象に残りました。

 一つはおばあちゃんとの思い出話を描いたもの。

 おばあちゃんのアイヌ民族の知恵がたくさん描かれていて、美しい小説です。

 もう一つは、戦時下での小学生の姿を描いた小説。

 アイヌ民族ゆえにだんだんと差別をされる主人公の憤りと哀しみが描かれます。

 哀しいことですが、この現実を忘れてはならないと強く思います。

 これを読んでじーじは、小学生の頃に、貧乏な子や頭の悪い子をみんなと一緒になって馬鹿にしていた自分を思い出し、申し訳なさと自分への怒りでこころがいっぱいになりました。

 鳩沢さんの文章はとても美しい日本語です。

 日本語教育を受けたのだから当然かもしれませんが、下手な日本人の作家さんより美しいです。ましてや、今の若い作家よりはずっとうまいです。

 アイヌ民族の人たちとのことだけでなく、じーじたち自らの内にあるすべての差別意識についても、深く考えていきたいと思いました。    (2020.4 記)

 

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クリストファー・ボラス(館直彦ほか監訳)『精神分析の経験-事物のミステリー』2004・岩崎学術出版社

2024年04月25日 | 精神分析に学ぶ

 2018年のブログです

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 アメリカの精神分析家であるC・ボラスさんの『精神分析の経験-事物のミステリー』(館直彦他監訳・2004・岩崎学術出版社)を再読しました。

 これもかなり久しぶりです。

 ボラスさんの本については、何冊かはこのブログにも感想を書いていますので、ご承知のかたもいらっしゃるかもしれません。

 アメリカ人ですが、イギリス独立派の精神分析を学んだ人で、ウィニコットさんやビオンさん、クラインさんなどの名前がたくさん出てきます。

 本書はその書名のとおり、精神分析という経験をていねいに描写して、その中で起きていることを学問的に考察しています。

 精神分析の経験がない人でも精神分析というできごとを想像できるような細やかな本だと思います。

 じーじも精神分析そのものの経験はなく、精神分析的心理療法の経験から想像をするしかないのですが、それでも精神分析の重要な概念や考えが多少は理解できるような内容になっていると思います。

 今回、勉強になったことの一つめは、ウィニコットさんのいう、二人でいて、一人でいる能力、の考え。

 じーじはこれまで、これは母子関係の中で、子どもが徐々に自立していく様子と単純に理解していました。

 しかし、これについては「本質的孤立」といって、成熟したおとなが、他者のいるところで一人でいるという能力に通じる大切な概念のようです。

 二つめは、破壊性の創造的側面ということ。

 これも基本は、母子関係の中で、母子分離のために、子どもが母親の(心理的)破壊を通して開放や自発性が起こる、と考えているようです。

 三つめは、これとも関連をしますが、母親が思いやりの中で子どもの(心理的)破壊を是認することで、子どもにすまなさや罪悪感が育ち、子どもがそれまでの万能感からの脱出や成長が可能となる、という考えです。

 いずれも、母子関係の中から、母親の愛情のもとで子どもがどう自立していくのかを考察し、成熟したおとなになる条件を考察していて、参考になります。

 今後も、臨床現場での経験をさらに積み重ねて、こういった概念を参考にし、確認をしながら、力のある臨床家になりたいと思いました。   (2018.5 記)

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 2020年11月の追記です

 よく考えると、ここでも、生き残ること、がテーマになっているようです。

 親が子どものわがままに耐えて、生き残ること、が子どもの自立や精神的成熟に大切なようです。    (2020.11 記)

 

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あーちゃん、さくぶんがじょうずになりましたね!-じいじからのおてがみ・セレクト

2024年04月25日 | じいじの手紙を書く

 2022年4月、小6と小3の孫娘へのお手紙です

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 さーちゃん・あーちゃん、げんきですか。

 じいじはげんきです。

 ばあばはすごくげんきです。

 あーちゃんのアルバム、まいにちみています。

 あーちゃん、さくぶんがじょうずになりましたね。

 マラソンたいかいのさくぶん、とてもいいですね。

 あーちゃんが、はしりながらおもったことやかんがえたことが、すなおにかかれていて、とてもすてきです。

 よんでいるじいじまでげんきになります。

 1ねんせいのときに、ママとえにっきをがんばったおかげかな?

 こんどまた、あたらしいさくぶんをかいたら、よませてください。たのしみにしています。

 そして、さーちゃんのさくぶんもぜひよんでみたいです。

 にいがたのじいじより      (2022.4 記)

 

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松木邦裕・藤山直樹『愛と死-生きていることの精神分析』2016・創元社-「生きること」と「生きていないこと」

2024年04月24日 | 精神分析に学ぶ

 2018年のブログです

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 松木邦裕さんと藤山直樹の『愛と死-生きていることの精神分析』(2016・創元社)を再読しました。

 じーじとしてはめずらしく(?)、2年目での再読です。

 それでも結構、忘れている部分が多くて、びっくりです。

 本書は創元社が主催する「精神分析スタディDAY」というセミナーの第7回の記録です。

 このセミナーはじーじも以前、一回だけ参加したことがありますが、深い内容の講義がなされ、それをもとに出版されている本もレベルが高く、参考になります。

 今回のテーマは、愛と死。

 なんだか小説の題のようですが、精神分析はなんだかんだと難しい議論がなされますが、しかし、やはりこの二つのテーマが重要だということだと思います。

 愛、というと、じーじなどはなんだか恥ずかしくなりますが、精神分析では、生きることは愛することだ、と藤山さんは言い切ります。

 そして、愛を支える生とそれを揺さぶる死を見つめることの大切さを論じています。

 一方の松木さんは、二つの症例を提示して、死んでいるように生きている患者さんの不毛さへの援助のあり方を論じています。

 いずれの症例も長期間の困難な治療ですが、参考になります。

 今回は、以前より、アンダーラインと付箋がだいぶ増えました。

 それだけ理解が深まっているといいのですが、どうでしょうか。

 愛と死を胸に秘めて、じーじは今日も勉強に励んでいきたいと思います。   (2018 記)

 

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坂本直行『山・原野・牧場-ある牧場の生活』1975・茗溪堂-直行さんの素敵な画文集です

2024年04月24日 | 北海道を読む

 2020年3月のブログです

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 先日、坂本直行さんの息子さんの坂本嵩さんの『開拓一家と動物たち』を読みましたので、こんどは直行さんご自身の『山・原野・牧場-ある牧場の生活』(1975・茗溪堂)を久しぶりに読みました。

 直行さんは何度もご紹介していますが、六花亭の包装紙の花の絵を描かれたかた。

 この本にもいくつかのきれいな草花の絵が描かれています。

 もっとも、直行さんが有名なのは花の絵だけではなく、山の絵もすばらしく、日高の山や利尻、大雪など数多くの山の絵を描かれていて、じーじの部屋にも直行さんの山の絵や花の絵が孫娘たちの絵と並んで(直行さん、ごめんなさい)、たくさん飾ってあります。

 本書は昭和初期に北海道の南十勝で開拓に従事した独身時代の直行さんと仲間の生活が描かれていますが、希望に燃えた若者の頑張りが読んでいて楽しいです。

 厳しい自然の中で、決して楽な開拓生活ではないのですが、青年らしい楽観的な生活が心地いいです。

 直行さんは北大の山岳部出身ですから、暇さえあれば山に行き、また、開拓地から見た美しい日高の山々の絵を描かれていて、本書は花の絵と山の絵、そして、開拓生活の絵が満載、カラーの絵もあって、直行さんファンにはまるで宝箱のような本です。

 本を読んでいると、また南十勝の農村や海岸を訪ねてみたくなります。

 今年の夏は、ぜひ南十勝の自然の中で、のんびりしたいな、と思いました。    (2020.3 記)

 

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松木邦裕・藤山直樹『精神分析の本質と方法』2015・創元社-精神分析に深く学ぶ

2024年04月23日 | 精神分析に学ぶ

 2018年のブログです

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 松木邦裕さんと藤山直樹さんの『精神分析の本質と方法』(2015・創元社)を再読しました。

 2015年の本ですから、のんびり屋のじーじとしては、めずらしく早めの(と、言っても3年ぶりですが…)再読です。

 松木さんと藤山さんのそれぞれの講義と討論からなっていますが、なかなか充実した内容で、奥が深いですし、やはり難しいです。

 特にじーじは、藤山さんの講義に感心させられましたし、刺激を受けましたが、自分の経験が少ないために、どれくらい理解ができているかとなると、かなり心もとない感じがします。

 それでも、勉強になったことを、一つ、二つ。

 一つめは、今、フロイトさんを読む意義。

 藤山さんは、精神分析を学ぶには、フロイトさんを読んで、フロイトさんと語り合うことが大切だ、といいます。

 フロイトさんの学説だけでなく、フロイトさんの迷いや不安を体感することから精神分析に近づくことができるのではないか、と述べます。

 藤山さんのような大家でも、何度も何度も読み返すそうですから、初学者のじーじなどはさらに読み込まなければなりません。

 二つめは、精神分析の面接の特異性。

 精神分析では、普通の心理療法と違って、親しい人間関係を目指すのではなく、あくまでも両者の間に起こる転移関係を「生きる」ことが大切、といいます。

 親しさを優先しない点で、精神分析は対面法の心理療法と大きく異なった技法のように感じられます。

 改めて、両者の違いに気づかされるとともに、より良き精神分析的心理療法の形を考えていく必要があるな、と考えさせられました。

 討論では、率直な藤山さんとあくまでも学術的な松木さんの好対照な姿勢が印象に残りました。

 しかし、お二人とも、個人開業の中で苦労しながらも精神分析を深められてきた先達であり、共通点も数多く、また、仲の良さや信頼しあっている様子がうかがわれて、本を読んでいてもとても心地よい雰囲気を感じることができました。

 いい本を再読できて、有意義なひとときを過ごしました。    (2018 記)

 

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坂本嵩『開拓一家と動物たち-北の大地に素手で立ち向かった開拓家族の生活誌』1996・朝文社-直行さん一家の開拓話

2024年04月23日 | 北海道を読む

 2020年3月のブログです

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 坂本嵩さんの『開拓一家と動物たち-北の大地に素手で立ち向かった開拓家族の生活誌』(1996・朝文社)を再読しました。

 坂本嵩さんは六花亭の包装紙の草花の絵で有名な坂本直行さんの二男さん。

 その6人兄妹の二男坊の目から見た直行さん一家の北海道十勝での開拓生活がとても魅力的に描かれます。

 魅力的といっても開拓地のこと、その生活はいろいろと我慢と苦労の多いものですが、一方で、大自然の中での素敵な生活でもあります。

 馬や牛、羊、豚、鶏などとの生活、じゃがいもやとうもろこし、ビートなどの畑作、そして、熊の恐怖。

 今から70年から80年前の十勝です。

 当然、電気もない生活。

 しかし、一家は厳しい自然の中で協力をして、開拓の生活を進めます。

 そして、豊かな自然の中で子どもたちは伸び伸びと育ちます。

 嵩少年は料理がうまかったことから、一家の料理当番をすることが多かったようで、当時の開拓地での、質素だけれども、今から見るととても豪華な数々の料理が紹介されます。

 鮭や鱒、じゃがいもやとうもろこし、そして、牛乳などで作るシチューや石狩鍋などの料理。

 栄養満点で、おいしそうです。

 その開拓地も今は大規模農家に統合されて、昔の面影はないとのこと。

 自然豊かな開拓地がなくなってしまったのは残念なことです。

 今年の夏は久しぶりに十勝の開拓地跡を訪ねてみたくなりました。    (2020.3  記)

 

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クリストファー・ボラス(館直彦監訳)『太陽が破裂するとき-統合失調症の謎』2017・創元社

2024年04月22日 | 精神分析に学ぶ

 2017年のブログです

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 クリストファー・ボラスさんの『太陽が破裂するとき-統合失調症の謎』(舘直彦監訳・2017・創元社)を読みました。

 楽しみにしていた本で、すごくわくわくしながら読みました。

 ボラスさんはアメリカの精神分析家で、じーじもこれまでに何冊かの本を読んでいます。

 『精神分析という経験』(2004・岩崎学術出版社)という本はとてもいい本ですし、『終わりのない質問』(2011・誠信書房)もすごい本です(いずれもブログに感想文を書いていますので、よろしかったら読んでみてください)。

 今回の本は、統合失調症の患者さんへの精神分析的アプローチについて、多くの事例をもとにていねいに論じている本で、表題の、太陽が破裂するとき、はある患者さんの言葉です。

 内容は、事例が中心ですので読みやすいのですが、中味を理解するのはなかなかたいへんです。

 少なくとも、数回、自分の経験などとも照らし合わせながら読み深めていかないと、理解できないのではないかと思います。

 それでも、今回、勉強になったことは、まずは、患者さんの論理構造、思考構造をていねいになぞることの大切さ。

 なぞる、というと、精神療法家の下坂幸三さんの、言葉ですが、同じような細やかでていねいな作業をされているような印象を受けました。

 そういえば、下坂さんも精神分析の勉強から精神療法に入られたかたです。

 何か共通点があるのかもしれません。

 ボラスさんのなぞりはかなり徹底的で、そこに精神分析的な手法や考えが使われます。

 患者さんの一見支離滅裂な言葉から、つながりを見つけ出すその技はすごいですし、感動的です。

 そして、そういう作業を患者さんと一緒にやっていくことが、精神分析の、もの想い、につながり、情緒的体験を可能にするといいます。

 ここまでくると、もう完全に精神分析の世界になりそうです。

 なかなかたいへんな作業ですが、じーじも少しずつでも勉強し、努力をしていきたいと思いました。     (2017 記)

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 2019年春の追記です

 「精神分析研究」63巻1号に東中園聡さんが本書の書評を書かれています。

 さすが東中園さん、というすばらしい文章で、読み応えがあります。

 じーじがよく理解できていなかったところもわかりやすく説明されていて、勉強になります。

 こんなふうな文章が書けるようになりたいなあ、と思いました。

 まだまだ勉強を深めていく必要があります。     (2019.  4 記)

 

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朝ドラ「虎に翼」を観て-じーじのじいじ日記(2024.4.22)

2024年04月22日 | じいじ日記を書く

 2024年4月22日の日記です

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 朝ドラ「虎に翼」を観る。

 じーじは朝ドラはあまり観ないほうだが、今回は裁判所が舞台なので、観ている。

 主人公の寅子さんが元気いっぱいでいい。

 寅子さんのモデルは三淵嘉子さん。

 女性初の弁護士で、後に裁判官になり、さらには、女性初の裁判所長になったという方だ。

 じつは、じーじが50年くらい前に浦和の家庭裁判所(今のさいたま家裁ですね)に採用になった時の所長さんが三淵さん。

 びっくり、ぽん!だ(古いなあ)。

 三淵さんから採用辞令をいただいたはずなのだが、全然記憶がない(三淵さん、ごめんなさい)。

 じーじが緊張していて、記憶がないのかもしれない(じーじにもそういう時代があったんだなあー)。

 当時は、そんなにすごい経歴の方とはまったく知らずに、おばさんの裁判官が所長さんなんだ、と思っていた(三淵さん、再びごめんなさい)。

 三淵さんとはあまりお話をする機会はなかったが(なにせ所長さんですからね)、一回だけ、仕事をご一緒させていただいたことがあった。

 窃盗(たぶん)をして鑑別所に収容された少年の審判事件。

 当時、新米調査官補だったじーじが、少年自身や保護者から話を聞いて書いた拙い報告書をもとに、三淵さんが審判をされた。

 豊かな経験を活かされての、テンポのいい、厳しくも、優しい審判だったことを覚えている。

 少年が鑑別所に収容されて反省が深まっていたこともあって、少年院送致にはならずに、保護観察という在宅処遇となり、じーじもほっとした。

 少年非行はなかなか難しい問題で、単なる同情や叱責では解決できず、専門的な訓練が必要だが、裁判官もたいへんだと思う。

 三淵さんの経験はすばらしいものがあるし、じーじももう少しだけがんばりたい。

 毎朝のドラマから元気をいただいて、いい一日を過ごしたいと思う。    (2024.4 記)

 

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