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バブル時代は懐かしいと語り合った栄養指導

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バブル時代…

とは言っても私は当時学生だったので直接バブルの裕福さを味わったわけではありませんが…

前の会社を勤続年数3年目で辞めた時に退職金の札束の厚さが1㎝だった

とか…

2万円の昇給があったのよ!

そんな話を職場の先輩から聞いたことがあります。

バブル崩壊前までは時代は右肩上がりでしたし、時代が新しくなればなるほど明るい時代がやってくる!

その当時はそう思っていました。

その時代までは人情味があったな…と思いました。

しかし、戦後の不況を「気合と根性だけで乗り越えた」かというと、ちょっと違うような…??





 

戦後不況から高度成長期に至るまで


高度成長期は1950年頃から1970年代前半頃まで日本が急成長を成した時期を言います。

第二次世界大戦後は、空襲は原爆による被災によって日本は焼け野原となり、敗戦によって明治時代に獲得した領土が失われてしまいます。

当時の貧困度合いは寧ろ、現在よりも惨たらしい状況です。

当時日本は連合国最高司令官総司令部(GHQ)に占領されていた中で、経済の立て直しを図っていたのです。

1948年に「経済安定九原則」が発令され、翌年1949年4月には「1ドル=360円」という単一為替レートが設定されました。

その後、不況な状況が発生し、中小企業の倒産や大企業のリストラが相次ぎました。

物騒な事件も勃発しており、下山事件や松川事件等により大きな社会事件をも引き起こしていたのです。

まるで、現在の日本のようですが。。。

更に1950年には「朝鮮戦争」が勃発します。

挑戦期間中、日本はアメリカから武器や弾薬の製造、車や兵器の修理等の軍事物資を受注することによって需要をもたらされたのです。

これを機に、日本の経済は好況に転ずるようになったのです。

この「特需景気」によって翌年1951年には工業生産、実質国民総生産、実質個人消費等が戦前の水準にまで取り戻しました。

1950年代末から1960年代にかけて、「エネルギー革命」が起こります。

これまでエネルギー源として「石炭」を用いていたのが「石油」に変わり、中東から安価な石油を仕入れて製造コストを抑えることにより、更に利益を生み出しました。
 

就業形態の変化

今や就職と言えば会社努めが当たり前でしたが、農業離れが始まったのは高度成長期のあたりから。

当時は農水産業等の第一次産業の比重が下がり、第二次産業、第三次産業等の比重が上がるようになります。

1961年、当時の総理大臣、池田勇人により「農業基本法」が設立され、格差の是正を図ります。

ところが、農業経営の機械化によって合理化を図ろうとしたものが、若者が都市部で就職することにより、農家の高齢化や人手不足を招いていしまいました。

これとともに三種の神器と呼ばれる「テレビ」「洗濯機」「冷蔵庫」が家庭に普及するようになりました。

その一方で「四大公害病」が発生します。

  • 水俣病
  • 新潟水俣病
  • イタイイタイ病
  • 四日市ぜんそく

この高度成長期は1973年のオイルショックを境に終焉を迎えます。
 

バブル時代に突入


時代は1980代後半に入り、バブル期に突入します。

この当時に思っていたことは

「時代は右肩上がり」

時代が新しくなればなるほど、豊かになると信じていました。

このバブル景気の引き金となったのが1985年の「プラザ合意」です。

1983年から1985年までの間、日本では1ドル=220~250円の円安ドル高の影響を受けていたことから、自動車や電気製品の輸出が好調でした。

一方アメリカでは経常赤字と財政赤字のダブルパンチによって日米間の貿易摩擦を産んでいたのです。

これがプラザ合意へと至り、日本の円高は1ドル=150円代となり輸出産業に大打撃を与えてしまい倒産が相次ぎます。

1986~1987年にかけて公定歩合の引き下げを行った結果、公定歩合は最終的に年率2.5%となり、企業は安い金利で銀行から安い融資を受けられるようになりました。

これによって土地の購入や設備投資を行うようになります。

当時はこの時代ならではのマネーゲームが流行り、銀行に借金してまでも土地や株に投資し、土地を担保しながら土地を購入して利益を得ることを図っていました。

この時代はまさに「消費は美徳の時代」

しかしながら1990年には土地や株の異常な高騰を抑える為に「金融政策」を行いました。

翌年1991年には「地価税法」が施行され、土地神話は崩壊していったのです。

これが想定外の景気後退となり、バブル崩壊となったのです。




 

団塊世代とバブル時代の会話をして盛り上がった話


バブル期は幸福感もあったし、これから訪れる未来も明るいだろうと信じていた時代。

当時は学生ながら、時代が潤っていると肌で感じていた時代でした。

以前は外食することは滅多になく、外食といえば「ハレの日」のイベント。

パブルの頃からファミレスで外食する機会が増えました。

イタ飯もブームになり、スパゲッティはナポリタンとミートソースだけではないという常識を覆された時代でもありました。

食の欧米化も進み、当時は若かったことから外食では思いきりこってりした料理を注文していましたよ。

なんて思い出話をしてしまいましたが、ここ最近の栄養指導をする患者様と言えば団塊世代の方が中心になってきています。

患者様の嗜好調査をすると「お酒を飲むことを習慣としている人」も増えてきています。

医師から「糖尿病の栄養指導をして下さい」と指示を受けるのですが…

検査データを見ると糖尿病だけではなくて、脂質異常症もあるじゃん!と思い、便乗して脂質異常症の食事のポイントも指導してしまうワケです。

ある、団塊世代の患者様の栄養指導をした時に、データを見て「ああ、やっぱり…」と思ったことがありました。

団塊世代…そのちょっと前からの世代に言えることですが、この世代はバブル期あたりの日本の食文化の変化を知ったことによって贅沢を覚えてしまったのです。

それは我々にも言えることなのですが、バブル期当時は健康や栄養に関する情報はほぼ皆無でした。

贅沢に溺れる時代でしたし、美味しい飲食店やお洒落な飲食店が次々と出来始め、裕福な時代だったことから美味しいものをお金をかけてがっつり食べまくっていたご時世でした。

その賜物が「メタボリックシンドローム」なんですけどね。。。

そうだよねぇ…

と思いながら「(バブル時代)そういう時代がありましたからね…」という話をしました。

患者様自身も

あの当時は健康に関する知識もなかったし、お金もあったからついつい食べ過ぎてしまってね…

とのこと。

あの時代は経済的に潤っていたから、ご褒美に数万円のフランス料理のフルコースを注文していたことさえありましたからね。

あの時代は希望があったし気持ちが上向きだった。

こんな風にバブル期の話で盛り上がりました。

若者から見ると本当にそんな時代があったのか疑うところですが、これは本当でしたよ。
 

金の卵はただの根性論?


高度成長期を支えた中卒の若者を「金の卵」と読んでいました。

低賃金で当時の人手不足を彼らによって労働力を確保することからこのように命名されたのですが…

今で言う「ブラック企業」のように長時間労働をしていたのは事実です。

会社にいいようにコキ使われていた、ただの根性論…というのが今の若者の見方でしょう…

しかし、彼らの仕事に対する認識はポジティブであり、今のブラック企業のように拘束されたものではありませんでした。

当時の「金の卵」は会社の為に自分や家庭を犠牲にしてまでも会社に尽くす姿勢がありました。

当時の経済成長のキーワードには「尽くす」があります。

それは今のように会社の方針が「独裁主義の管理者を崇める」ものではなく、尽くす対象が「お客様」であること。

実際にバブル世代の人間からの「仕事が楽しかった」との証言もあります。

運が良かったからチャンスを得られたんだろ?と思われるかもしれませんが、当時の企業には「お客様を大切にする精神」が残っていました。

何故、私がこのような事を言うのかというと、その時代の人間は「人に与えることが出来る人」と肌身で感じてきたからです。

私が経験している分野は医療や介護ですが、古くから働いているスタッフは今の若者のように高度な知識はないものの「心から相手をケアすることが出来る」という強みを持っていることを見てきたからです。

そして、バブル崩壊までの時代は「人情の厚い時代」でした。

今のようにつまならい揚げ足どりをする時代ではなかったのです。

「気に入らない」「自分より能力のある人は面白くない」…だからパワハラして追放を図るという今のような風潮ではありません。

「アットホーム」というと「ブラック企業」だと認識される昨今ですが、ここ数年提唱している「地域密着」がなされていた温かみのある時代でしたよ。

「与える精神」があったからこそ、「貧乏脱出」に成功出来たのではないか…と思います。




 

あれから30年…


バブル崩壊から約30年の年月が経った今、人々は将来に対する不安を抱えながら日常を送っています。

その中でも老後資金の問題が一番深刻でしょう…

かつては会社に所属していれば終身雇用制度で守られ、老後生活も保障があったのですが、今では会社に頼る生き方は不安材料となるとの声もあります。

そのため「終身雇用制度はオワコン」だと言われています。

とは言っても「社会保障」によって身を守るには、企業に所属することがベストな方法です。

汚い独裁者は弱肉強食によって会社の地位を獲得し、ワンマン経営によって会社を食い物にして社会保障を受けて、我が身の安全を図っています。

また、高度成長期を生き抜いてきた世代と若者のジェネレーションギャップによってお互いの軋轢があるのも確かです。

企業の方針そのものが「尽力を尽くしてきた時代」から「自社の利益を生むことに専念する時代」に変わり果ててしまったからではないのでしょうか…

何の為に働いているのか?

クライアントのニーズに応えるために働くのなら、それが原動力となって積極的に仕事に専念出来る。

しかし、会社の目標が利益を生むことであれば、サービス内容が貧相であっても利益のために必死になる。

今、殆どの企業でやっていることは後者の方でしょう。

しかし、いくら働いても給料は上がらないし、会社にいいようにコキ使われるだけ。

そこから生まれるものは「義務感」だけです。

こんな会社の利益のために積極的に「会社のために家族を犠牲にしてまで尽くす」なんて、昭和のモーレツ社員は何処まで基地外なんだろう??

このように今の若者は昭和の「金の卵」を卑下しています。

平成時代に生まれた貴方達は「昭和時代」を実際に見てきたのでしょうか?

しかし、それは社畜という今の時代背景の中で生きている若者の色眼鏡に過ぎない…というのが、昭和から現在に至って時代の変化を見てきた身として感じるものです。

バブル崩壊…就職難となった1993年頃から本格的に平成の時代に入り、更に1995年の「地下鉄サリン事件」以降、時代は暗闇に向かう一方です。

それでも90年代は昔の余韻があったのです。

更に陰りが深まったのは2000年代に入ってからの話。

時代は便利になった…

「お客様のため」を謳うようになった…

年功序列制度も薄れつつある…

文明の変化は目まぐるしく、常に忙しくストレスフルとなり、些細なことでも腹を立てる時代となっています。

しかし、そこには昭和時代にあった人情味はなく、ただただ淡々と事務的に仕事をこなす現代人の姿。

でも、利口な人なら「おかしい」ことに気付くもの。

これ、おかしくね?みたいな…

この事務的で殺伐とした人情味のない今の時代は「残念」そのものです。

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まとめ

バブル崩壊後、不況の改善の兆しが見えず、いつ日の目を見るのか分からない時代です。

戦後の不況は乗り越えられたのに今の不況を乗り越えられないのは、弱肉強食主義で動物的本能が炸裂した独裁者が、会社を食い物にしてハバを利かせているからなのではないのでしょうか。

そんな職場で洗脳されたところで、本当に不況を乗り越えられるのでしょうか?

バブル時代みたいにあそこまでの裕福さは求めないものの、せめて日常生活を不便なく送れる位の経済力を備え、老後の心配もなく生活出来ないかとしみじみと思うものです。

この苦境を乗り越えるには、平成時代に失われた大事なものを取り戻すことが手がかりとなるのではないのでしょうか…

 



B!

 



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