レオポルト美術館 エゴン・シーレ展その2 | やまちゃん1のブログ

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エゴン・シーレ展は、シーレと同時代の作品が数多く展示されている  


クリムト、ゲルストル、ココシュカを見てみよう



(写真は全てネット画像借用)


第6章 リヒャルト・ゲルストル 表現主義の先駆者


リヒャルト・ゲルストル(1883〜1908)

リヒャルト・ゲルストルはウィーンの裕福なユダヤ人商人の家に生まれる、エゴン・シーレより7歳年上

15歳でウィーン美術アカデミーに入学も反抗的で退学させられる
クリムトのウィーン分離派のスタイルには飽きたらなかった
1903年20歳で退学し、23歳で自分のアトリエを持つ

リヒャルト・ゲルストル
半裸の自画像 1902〜04年

キリストの受難に自身を模す
新たな表現に向ける意志とその後の受難を感じる背景と表情に不安と緊張も見せる

1907年24歳のゲルストルは、同じ建物に住んでいた、音楽家のアルノルト・シェーンベルク夫妻と親交を結ぶ
ゲルストルは音楽にも造詣が深く、シェーンベルクも絵画を描き、新たな芸術に意気投合した

シェーンベルクは、1899年に発表した「浄められた夜」で既に有名で後に「月に憑かれたピエロ」で20世紀を代表する作曲家となる

「浄められた夜」は、リヒャルト・デーメルの詩「浄夜」に基づく、弦楽六重奏の音詩(標題音楽)

詩の内容は、
月夜に男と女がいる。女は告白する。「私のお腹には赤ちゃんがいるが、それはあなたの子ではありません」

男は苦悩するが、やがて「その子は私たちの子として育てようではないか」と女を赦す。


 「浄められた夜」オーケストラ編曲ピエール・ブーレーズ指揮


【参考】

リヒャルト・ゲルストル
マティルデ・シェーンベルクの肖像

シェーンベルクの妻マティルデをモデルに何枚かの絵画を描く

24歳のゲルストルと30歳のマティルデは恋仲となり、1908年の夏、夫と娘を残して出奔する


リヒャルト・ゲルストル
田舎の二人 1908年

大胆な色彩、粗い筆はゴッホのようでドイツ表現主義の先駆者に相応しい

マティルデは、シェーンベルクの弟子ウェーベルンの説得もあり、その年の10月に夫の元に戻った

ゲルストルはマティルデに去られ、仲間からも非難され孤立した

1908年11月4日、ゲルストルはアトリエで作品を燃やし、鏡の前で首を吊り命を絶った
 

鬼畜な行いにも関わらず、生前に時代の寵児となり、病に倒れた
エゴン・シーレ

才能に恵まれながら、運命の出会いにより、自ら死を選んだ
リヒャルト・ゲルストル

「浄められた夜」と
「半裸の自画像」はなんと
暗示的だろう


第4章 クリムトとウィーンの
    風景画


グスタフ・クリムト(1862〜1918)
シェーンブルン庭園風景 1916年

クリムトには珍しい風景画
印象派の明るい色彩


クリムトについて、後に作曲家マーラーの妻となるアルマとの恋

第10章 オスカー・ココシュカ“野生の王”


オスカー・ココシュカ 
ピエタ(「殺人者、女たちの希望」のポスター) 1909年


ココシュカについて、クリムト→マーラー→ココシュカを虜にした、ファム・ファタール(魔性の女)、アルマ・マーラー

19世紀末から20世紀初頭のドイツ、オーストリアには綺羅星の如き
芸術家が生きていた