Ⅰ. クレオパトラはバラを愛したのか⑤ -ついに文献上の証拠を見つけた!!

 前回までのあらすじ

クレオパトラがバラを愛したという逸話の出どころをさぐるため、古代、中世の資料を読み漁っていたわたし。たまたま読んだ論文では、クレオパトラが妊婦を解剖したという逸話や、本を書いたという話も見つけたのだった…

※当初は今回、この2つの逸話について深く掘り下げる予定であったが、再度調べなおし改めて書き記すことにする。

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こんなに調べたのにクレオパトラとバラを明確に結びつける記述がない…

まじでなんなの…と半ばあきらめかけた時、たまたま図書館で借りた本を読んでいた私は、ついに……発見した。その本はアメリカの作家ステイシー・シフ氏による、クレオパトラの伝記的な本である。ステイシー・シフ氏はあくまで作家であって、歴史学の専門家ではない。だが膨大な資料をもとに、非常に生々しく、クレオパトラ像を再構築している。


(アントニウスの呼び出しに応じて豪華絢爛な船で向かったクレオパトラがタルソスに到着し、アントニウスをもてなす宴の場面で)四日目の夜、アントニウスは膝まで埋まるほど大量のバラを持ってきた。花屋に払った金額だけでも1タラント、六人の医師の年収ほどの額だった。キリキアの熱い風の中で、その香りはむせかえるほど辺りを満たしていたことだろう。夜の終わりには、踏みつけられた薔薇だけが残った。そしてまた、クレオパトラは客人たちに調度品を分け与えた。

ステイシー・シフ「クレオパトラ」(近藤二郎監修、仁木めぐみ訳 早川書房、2011年、p.122)


た、確かにバラを、床に置いている!!あれ、でもなんか、アントニウスがバラを持ってきてるけど!?「クレオパトラが愛人を招くときにバラを床にしきつめた」んじゃないの!?これだとクレオパトラが使っているというより、アントニウスがバラを持ってきちゃってますけど!?

念のため原著も読んでみたが、「Antony returned on his fourth evening to a knee-deep expanse of roses. The florist's billl alone was a talent, or what six doctors earned in a year.(Cleopatra; A Life, Stacy Schiff, Back Bay Books 2011, p.172)」となっており、やはりシフ氏の解釈では、アントニウスがバラを持ってきたことになっている。

とにかく、この話の出典をみてみれば、真実がわかるかもしれない!


ステイシー・シフ氏はこの部分を書くにあたって、原注の中で「クレオパトラのタルソス到着については、プルタルコスと共に、Athenaeusの助けも少し借りた。Appianは、全体像を伝えているが、詳細は伝えていない」と述べている。プルタルコスは調査済、アッピアノスはさらっと触れているだけ、とすると、Athenaeus(アテナイオス)がこの話の出典のようだ。

地面に落ちていたバラの花びら 京成バラ園にて

アテナイオスは200年ごろのギリシア語散文作家、雄弁家、文法家である。プルタルコスより後の時代の人物だ。彼の書いた「食卓の賢人たち」は、奇書と呼ばれることもあるという。この本は有名人たちが集う饗宴で、それぞれが自分の知っている興味深い話をしていく、という対話形式で話が進む。

日本における翻訳は岩波文庫からでている。その訳者柳沼氏による「解説」によると、「アテナイオスは…とにかく知っていることが山ほどあったのでせっせと書いたという感じがする(p.492)」という非常に面白い本だ。

さっそく、該当の場所をみてみよう!


(プルタルコスはつづける)ロドス島のソクラテス(後1世紀?)は『内戦記』第三巻で、クレオパトラがアントニウスのために催した宴のことを記している。クレオパトラはエジプト最後の女王で、ローマの将軍アントニウスとキリキアで結婚した。彼は言う、クレオパトラはキリキアでアントニウスに会い、彼のために大宴会を催した。使われた食器などの調度はすべて金、あるいは宝石をちりばめたもので、見事に技術の粋を尽くしたものだった。壁にも、紫糸、金糸を織りなした壁掛けが掛かっていた。そして一二台の大型寝椅子(トリクリノン)をひき並べて、アントニウスと、彼が同行を望んだ者たちを招いた。アントニウスが、これらすべてに巨大な費用がかかったにちがいないと仰天していると、クレオパトラはそっと微笑んで、これはみなあなたに差し上げますといった。 

その翌日になるといっそう豪華な宴を開き、昨夜の調度などこれに比べればたいしたことはなかったと思えるほどに用意し、しかもまた、これも差し上げますと言った。アントニウスの将軍たちには、めいめいが横になっていた寝椅子から、その寝椅子のわきの、盃を置いた小卓、また寝椅子の掛け布まで、どうぞお分け下さいと言った。彼らが帰る時、位の高い者には駕籠椅子とその担ぎ手を提供し、それ以外の多くの者には、銀の飾りをつけた衣装を着せた馬を用意した。そして全員にエチオピア人の奴隷をつけて松明を持たせた。四日目には、薔薇の花を買うために一タラントンもの金を渡した。そして、宴会場の床にその薔薇をすっかり、まるでそれを縒り糸にして作った網を広げたように、散らした。散らされた花の深さは一ペキュス(約50センチ)にも及んだ。

アテナイオス「食卓の賢人たち」(柳沼重剛訳、1992年 岩波書店 p.118-) 


ここでは、クレオパトラは「誰か(アントニウスとは名言されていない)に金を渡してバラを買わせた」ようだ。ステイシー・シフ氏の言うように「アントニウスがバラを持ってきた」というのとは異なる。

ちなみに、Attalusという古代ギリシャローマの資料や文献をまとめている神サイトでは、「And on the fourth day she paid more than a talent for roses; and the floor of the chamber for the men was strewed a cubit deep, nets being spread over the blooms.(http://www.attalus.org/old/athenaeus4.html#147)」としており、クレオパトラがただバラを購入したことになっている。

えーなんでだろう…シフ氏はなぜアントニウスが持ってきたと解釈したのかな。あれ、私の英語力がやばすぎて正確に理解できてないのかな…?


ちなみにアテナイオスは、この話の出どころは「内戦記を書いたロドス島のソクラテス」だと言っている。彼について調べてみたら、情報はなかった。このアテナイオスの著作の中だけで言及されているようだ。ということは、現存する文献資料の中で、このアテナイオスの著作が、クレオパトラとバラを結びつける、最も古い一次資料ということになる。

ということで、ついに見つけました!!次回は結果をまとめる。

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