早くも花粉(スギ)の飛散が始まっているのだとか。私、ずっと花粉症に悩まされていたのですが、ここ3年くらいは症状が出ないのです。花粉症が突如治ってしまう、なんてことがあるのでしょうか。分かりません。それでも突如再発すると困るので、去年は60日分の薬を掛かりつけのお医者さんに処方してもらったのですが、症状が出なかったので、4月にはまるっと飲まずに捨ててしまいました。
今年は何も備えずに花粉症シーズンに突入して、「やばいっ!」ということになったら、市販薬でしのぐことにします。まぁ、薬さえ飲めば何とかなるので、そんなに深刻な話ではありません。そう言えば、花粉症が出なくなった時期と、冬の間マスクをずっとしている様になった時期が一緒の様にも思えます。マスクのおかげなのかな。ということは、コロちゃんのおかげなのかしらん。
さて、「皆さんのためを思って」とか「皆さんのためにXXを進めています」とか普通に話してしまうヒトが結構に世の中にはいて、私はそういう内容の話を聞くのが苦痛です。だって、そう思ったり、それを進めているのであれば、ただ、そうしてくれればいいだけなんですから。
わざわざ実現もしていないことや、恩を着せる様な話をされても、ただただ無駄なだけだと「そういうヒト」たちは気付かないのです。というか、そういう話をすることの根底には「自分をよいものに見せよう」という下心があるので、そもそも相手のことなど考えていないのです。それが、聞いている人には透けて見えるのです。みんな、バカじゃないのですから。
そんなことを続けていると、「あぁ、また、あの人の安い話が始まったのね」と思われるだけで、感謝も共感もなく、いつしか、ただただ無意味な言葉が寒々とした風景の中を漂うだけになってしまいます。実際には何も起きていないのに感謝を強いられてもね…
自分に立ち返ってみると、昔は盛んにそういう話をしてしまった様に思えて、今となってはただただ恥ずかしかったりします。言葉ではなく、振る舞い、強いて言えば結果をもって、メッセージを伝える。そんなことができるヒトが真のリーダーなのでしょう。
勇気をくれる言葉や講演なんてものがあるのも確かですし、世の中「振る舞い」がすべてとは思いませんが、やはり「言葉」には限界があります。だから、ヒトは親しくなればなるほどに、相手のことを大事に思えば思う程に「言葉」はそっけなく、少なくなっていく様に思うのです。
家庭において、「オレはみんなのことを思って、働くことの重要性を話すんだ」とか、「いつか立派なマンションを買うつもりなんど」なんてことを始終話しているダンナやオトーサンがいたら、その空間はきっと「家庭」ではなく、そこにいるのも「家族」ではありません。いいから働けよってコトです。
相手を本当に信頼しているならば、自分がやっていることの「事実」だけをシンプルに伝え、加えるとすれば相手が存分に力を発揮するのに必要なコトをボソっと話せば、十分に円滑なコミニュケーションは成立するのです。あとは自分がやって見せるだけ。失敗しても成功しても、その人の背中が相手に雄弁に「伝えたかったコト」を教えることでしょう。
ちょっと最近気になったことがあったので、自戒の意味もあって、エントリに書いてみました。
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庭の梅の木、次から次へと蕾が開き始めました。ニンゲンが「寒い~」なんてしかめっ面をしていても、植物は春がそこまで来ていることを知っている様です。冬至から1ヶ月が過ぎて、随分と日も長くなりました。今日(1/26)で、丁度30分長くなったそうです。