radiotsのブログ

どうも、僕です。

狩られいちご。

どうも、僕です。

 

 

今がシーズンなのか、至る所で「いちご狩り」という文字を見かける。そしてその度に「いちご狩り」という言葉は「いちご」のポップな可愛らしさに対して「狩り」の文字面が恐すぎてバランスが悪いのではないか、と思っている。

 

 

まだ「苺狩り」という表記ならいいのだ。漢字表記の「苺」は、表面をよーく見たら粒々が気持ち悪いところとか、果実っぽい部分が実は果実ではないところとか、痛んだ部分が白っぽいピンクのブヨブヨになるところとかもひっくるめて“苺”というものを表現している感じがある。「狩り」と並んでいてもそれほど違和感はないし、バランスが取れている。

 

 

一方で、平仮名の「いちご」は、苺のポジティブでキャッチーな面のみにスポットライトを当てている感じがするのだ。カラフルで可愛くて甘くて美味しい。それは美しく整えられた幻想である。それを、「狩り」という生々しく現実を伝えるような言葉と並べるのは、わざわざディズニーランドの真隣にハローワークを作るようなものだ。違和感があって当然である。世界観のバランスが崩壊しているのだ。

 

 

とはいえ、イベントの名前として見たときに「苺狩り」だとやや堅苦しい印象になるのは否めない。これだと行きたいと思う人も減るだろう。ならば「いちごがり」はどうなのかというと、全体的に可愛くてバランスはいいものの、ぱっと見で意味を認識しづらい。受け手に内容が伝わらなくては本末転倒だ。幟が無意味に風に靡くだけである。なびくってこんな漢字なのか。知らなかった。

 

 

そう考えると、なんだかんだで結局「いちご狩り」に落ち着いているのは、仕方がないことなのかもしれない。