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僕がウクレレポエムをやっている理由その3

本音を表す共感言葉が、子供の心と日本の未来を創るんじゃないか?
こんなに物が豊かな社会で鬱や自殺が多いのは何で?

子供の心は共感言葉で創られる。
「お菓子が欲しかったんだね!」
実際は、お菓子を渡してなくても、共感されて安心する。
自分の本音を間違わない。自覚できる。肯定できる。
親と分離独立して自己構造化できるから。
※自己愛の構造 和田秀樹著 P153参照

自己肯定感低い人は、親や周りから否定の言葉をかけられて
それを(その外部からの言葉の暗示)正しいことと錯覚して信じこんだ。

だから、内側の魂から沸き起こる自分の本音を抑えてきた。
結果魂の声はかき消され、他人の顔色ばっかり気にして世間体ばかり
立場ばかりの燃えカス人間になった。

小学校1年生の時、きらきら眼を輝かせていた子供たち
入社1年目のフレッシュな会社員はどこに行った?
いつの間にか、ほとんどの人の眼は「死んだ魚」

仕事熱心、他人のために尽くす、規則を重んじる、まじめ、几帳面などの性格をメランコリー親和型と呼び
うつ病になる前の性格の特徴
要するに、極端すぎる几帳面さのため煙たがられるようなタイプで、昔の職人タイプの日本人。

それが、良いものとして伝わり、信じられ、理想教育の中で強制される
その枠からはみ出る、魂からの発信は「わがまま」や「自己中」「他人に迷惑」などの言葉でレッテル貼りされ否定されてきた。
その否定され、抑圧された子供の自分は「インナーチャイルド」となって潜在意識下に幽閉された。

正常な反応として、共感言葉で愛された子供たちの魂は親から分離、自己構造化し自我をはぐくみ
「反抗期」を迎え外界に表出できた。一人の人間として、個人として。
しかしだ、「良い子」の中の抑圧された「インナーチャイルド」は心の奥底に潜伏した。
「良い子」は親にとって、先生や周りの大人にとって都合がいい。扱いやすいから。
自主的に、外界の規範やルールに沿って、自分を押し込める。
いや、周りの期待を先読みしてそうしないと「愛されない」と思い込んでいた。
他人の顔色気にして、神経症的になって自分を持っていかれた。

かつての「良い子」は「良い人」になった
戦略としての「良い人」を演じることはできず、大根役者の本当に「良い人」になった。
だから、いつの間にか外面がよくなり、社交辞令やお世辞、愛想笑いや方便がうまくなったまま
平気でいられる「正常な普通の人」に違和感を感じて、生き辛い人生になってしまった。

純粋な子供の部分を切り離せず、魂を分離しきれず、さりとて権威や世間に迎合せずに
一人ぼっちで生きてはいけず、煮え切らないモヤモヤ違和感だけ引きずって。

自分がわからんくなって、自動操縦のロボット感覚丸出しで「死んだ魚の眼」になった。
いわゆる自己欺瞞が器用に平気でできる「正常な大人」にはなれなかった。

不器用な生き方と自己嫌悪。
極端に自己内に几帳面に突き刺さった外界規範は、純粋無垢な子供が反抗する代わりに引きこもらせた。
引きこもりって、「反抗期」が外界に出るのではなく、内界に出たんじゃないのか?

外界から自分を遮断しないと、もたないから。
内と外の整合性が取れないから、内と外のギャップに柔軟に耐えられないから
優しい純粋な真面目な人ほど、鬱になる自殺する。自分がわからなくなる。

本音への共感じゃなくて、「なだめ、おだて、ほめる」などの代用言葉でごまかされてきたから
自分の本音(魂の声)に気が付けない。

自己の中心が確立できず、外界に迎合するからバラバラに断片化し植民地化される。
したがって、人に頼れない。どうしたいかわからないから。
遠慮や世間体が蓋をしすぎて、本音にアクセスできない。

やがて、毒親という言葉に出会って、被害者意識でいっぱいになる、苦しいから。
身の上に起きた不条理に、悲しみ、怒り、妬み、嫉み、恨みネガティブ感情のオンパレード。
親を憎み、教育を恨み、社会を妬み、愛に飢えて人からもらおうと、どこもかしこも順番待ち。
必要以上にもらおうとして、相手を悪者にする、変えようとする。
被害者やって、同情誘って罪悪感あおって、相手操作する、しがみつこうとする。

「誰かそばにいて~!」「一人ぼっちでさみしいねん!」本音を言えたらまだわかりやすい。軽症。
不倫ネタや芸能ネタで他人をバッシング憂さ晴らし。
そういった、魂抜かれたゾンビ人間みたいな蝋人形にされてしまったら。
その「死んだ魚の眼」で訴えるのは
世紀末のデーモン閣下が歌っていた「元に戻せと叫んでいる」魂の念みたいな感じで重苦しい。

本当は、共感してほしかったんだ。同情が欲しかったんじゃない。
さげすまれた自分を、頑張っても報われなかった自分を、愛されなかったインナーチャイルドを
「かわいそうだね」って、当事者じゃない者からの同情じゃなく

内からの魂の声に共感してほしかったんだ。本音を知って受け入れてほしかったんだ。
「こうしたかったんだね」って。
しかしながら、当時の周りの大人にとってはそれが不都合だったんだよ。
だから、今大人になった自分がその置き去りになった自己内のインナーチャイルドを
迎えに行こう。

抱きしめて、癒しに行こう。
「さぞ、辛かったことでしょう。でもよく一人ぼっちで今日まで頑張って生きたね!」

そして、その抑圧して責めて嫌いだった過去の子供の自分を
今の大人の自分に統合したら、それも自分の一部だよって受け入れて
「地に足付けて、今、ここ、自分」を愛して、生きなおそう。

未来はこれから、「今」創られるから
Make it better! Happy days!

本音を表す共感言葉が、子供の心と未来を創る。
これが、こんなに物が豊かな日本で、鬱や自殺が多いのはなんで?の正体かもしれない。

ウクレレポエム(ウクレレと色鉛筆と共感言葉で)
魂抜かれた人の心に「力」よみがえる、そんな作品を創りたい!
ほんの一握りの人でもいい、誰かの心を癒していけたらいいな。

同情者じゃなくて当事者として、こころからそう思う。
※ウルフルズの「それが答えだ!」を聞きながら。そう思った56歳の僕がいた。

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