自分を生きる 良い子の「生詩なまうた」第57話

https://youtu.be/hpOe9z3CP90

いい人やめられない繊細さんのメンタルアートセルフケア術

このブログは、サラリーマン生活に生き辛さを感じる繊細さん中年男性が
満員電車と世間体から脱出して、自分の人生を取り戻す
未来創造チャレンジ・ドキュメンタリー日記です。
同じように生き辛さを抱える皆様が「自分を愛して心豊かに生きられる」お役に立てば幸いです。


毎日満員電車に揺られて職場に通う会社員の皆様、お疲れ様です。
あなたは今どこにいますか?正確に言うと、物理的にじゃなくて
あなたの心は今どこにありますか?です。

20年以上前、満員電車に揺られ都市部から1時間くらいかけて自宅へ終電で戻る
車内でふと思ったことがありました。

「今日一日、私は自分の意志で主体的に動ける時間は何分あったんだろうか?」
よく考えてみたら、家庭では旦那や父親として、会社では周りの同僚に囲まれて
当たり前に仕事をするわけですが「役割」から出た「素の個人としての私」はどこにいるんだろうか?

いつの間にか、役割が自分なのか?役割を演じている「本当の自分」がどこかにいるのか?
だんだん境目がわからなくなっていることに気が付きました。

当時、「自分探し」とか「スローライフ」とかいう言葉が流行り出していました。

「個人的には〇〇だけど」という言い方、時々耳にしませんか?
じゃ、個人的ではない意見って?どんな意見?

つまり、組織の看板背負って、周りへの影響力に配慮し責任背負っている
「社会的な役割を持った自分」としては○○だ。というやつですよね。

つまり、自分が本音と建前に分割された状態と。
一人の人間の中に2つの意見がある、2つの立場があると。
しかも、それが方向的に相反する方向性を持った意見であれば
さぞ、心の中は息苦しいに違いないでしょう。

内と外、本音と建て前。これって何でしょうね?
「世の中」「「世間」を物理的に生き延びるために「表面上役割を演じている自分」
お金や社会的な身分を守るための在り方。
もう一つは、「あるがまま、おもうがままの自分」

「表面上役割を演じている自分」は、ライスワークの為、収入を得て生活するために必要。
しかしながら、その役割を演じる関係性を維持するための時間があまりにも長すぎ
拘束時間が寝てる時間以外はほとんどになってしまっていませんか?

一人で趣味を楽しむ時間や本当に仲のいい友人と心のままに安心して過ごす時間は
ありますか?

詳細は過去の私の他のブログにも書いていますのでそちらもよろしければ
ご参照ください。

URL
その1
https://note.com/tanokuru/n/n949d3d2a9b99?magazine_key=mf5fa81cc389a
その2
https://note.com/tanokuru/n/n575232c1bdea?magazine_key=mf5fa81cc389a
その3
https://note.com/tanokuru/n/n23547b150547?magazine_key=mf5fa81cc389a
その4
https://note.com/tanokuru/n/ncbcc3cc32768?magazine_key=mf5fa81cc389a

こんなお悩みございませんか?
「体育会系の上下関係やノリが嫌い」
「他人の言葉に傷つきやすい」
「草食系、中性的男性」
「人の顔色に敏感な繊細さん」
「集団行動苦手」
「人見知りで、出来上がってる集団に後から入るの苦手」
「引っ込み思案、遠慮がち、自分の本音を素直に出せない」
「他人に頼る、または他人からの頼み事を断るの苦手」
「他者との距離感や、境界線があいまい」
「自分を愛せない、大事にできない、他者の期待優先で自分の欲求を後回しにする」
「自分がわからない」
「いい人やめられない、いつも損する役回り」
「心配性で対人恐怖、一人が楽だけど友達いないのは寂しい」

私は、ずいぶん長い間上記のようなことが気になって
生き辛さを感じながらも、引きこもれず、転職を繰り返すことで
何とか鬱にもならず、さりとてモヤモヤ感は取れず生きてきました。

結婚もして子供もできました。しかしながら、もやもやは消えませんでした。
50代後半にさしかかり、ある出来事がきっかけで会社を突然解雇同然でやめることになり
さすがに前々から、気になっていた障害があるのではないかと思い
心療内科を受診しました。
予想どうり、結果は「大人の発達障害」でした。その事実を知るのに
50年以上かかりました。めっちゃしんどかったです。
同じような、生きずらさの分類として「アダルトチルドレン」「HSP」「愛着障害」なども
調べました。微妙な違いこそあれ、生きずらい事には変わりがありません。

心や脳に関連する分野だけに厳密に、現代医学では解明されているわけでは
ありませんが、一つの概念が言葉になって公けにされ認知共有され社会に受け入れ
られることは、生きずらさの解消に役に立つとは思っています。

現実に、私自身も「障害だったのか?」と確定されることである意味ほっとしました。
それを隠れ蓑に甘えるな!的な意見もあることは知っています。
しかしながら、当人の苦しさは体験した人間以外わからないでしょう。

「わかってもらいたい、理解してほしい」と思う気持ちも過去にかなりありましたが
最近ではもう手放しました。諦めました。そこに期待するのはもう無理なんだなと。

私も正直、私以外のもっと苦しみを抱えて生きている方々の辛さはわかりません。
その人生でしか、体験できません。
逆に言うと何人も自分の人生しかできません。当たり前ですが。
だから、思うのです、もう他人に愛を求めるのはもうやめよ。
むしろ愛そう、まず自分を。

発想を変えました。フォーカスを変えました。他人や社会に期待して恨んでも、
ほしい未来はやってきません。むしろ、変なもん引き寄せることがわかりました。

「自愛」や「共認」をキーワードに「その人がその人自身を生きること」の大切さを
伝えたいと思い、このブログを書いています。

職場でこんなこと言われたことがあるんです。
「そんなレベルの低い意見求めてない」
その時、結構違和感あったんですが・・・。

後から、自分で何にが違和感だったのかな?と思考の反芻していたのですが
たぶん、レベルが低いとか高いとか問題じゃない!
「その人がその人の意見を発信しているのか?どうか?」問題なんじゃないのか?
という問題定義でした。
いくらレベルが高い意見であっても、その人自身がそれ本当にやる気あって言ってるの?
本心から言ってるの?ポジショントークじゃないの?評価上げるため言ってない?

本音の対話がそこになく、表面上それらしき意見が並び誰も本当はやる気ない
うわべの意見羅列して、何か意味あります?

そういう一見まともそうな体裁や世間体の取り繕いの意味のない事
やらされるのが「大嫌い!」なんです。

これ、学生時代に感じてた「こんなしょうもない勉強やって何になるねん?」
的な感覚にすっごく似てました。
原点は、そこでしょうね。尾崎豊が流行ったの、わかる気がします。
管理社会への抵抗というか、若者の代弁者、教祖と言われてましたもんね。
「魂の叫びを聞け!」的な感覚がよみがえります。

魂の内なる声に耳を傾ける・・・。
心の奥底で本当は何を求めていますか?「お金」ですか?
お金も大事です、でもそのお金で得たいものは本当は何ですか?

「自分のままで、ここにいてもいいんだという安心感」
「この人生でよかったんだ、という納得感」
今の私の中から出てきた、内なる声はそのように聞こえます。

ず~と自分の心の居場所を求めてさまよってきた気がします。
例えれば、長距離移動する鳥が着地する島を発見できぬまま
ず~と困って、疲弊しながら飛びつずけざるを得ないまま
そのまま30年くらい、さまよう感じ。

やっと見つけた感じがするんです。その着地の「島」
内なる声に耳を傾け、直感を信じていえば・・・。

3つのリスペクト
WOMAN:男性の中にある女性性へのリスペクト
CHILDREN:大人の中に置き去りにされた、子供の純粋性へのリスペクト
GIFTED:障害者の中に眠る、創造性へのリスペクト

みたいなのかな?

同質社会の息苦しさに縛られた魂が「自愛」に目覚め
「一人ひとりが心豊かに生きられる」そんな社会が実現したらいいな
私もその同志に混ざって、自分のオリジナルの人生を見つけられる
「自分」を共に学びあえる仲間に出会えたらいいな
そんなこと思いながら、日々生きております。

男性に「化粧の仕方」ボランティアで指導できるようなそんなやさしい女性の方
おられましたら、ゆる募と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?