前回のブログで、「練馬の富士浅間神社」

にある練馬区唯一の道祖神を発見したと報告

しました。



道祖神は、村境や峠などの路傍に立って、
村の外から悪霊や疫病が入り込まないように
見張っている「村の守り神」です。

後に、子孫繁栄、無病息災、旅の安全を祈願
するようになりました。

道祖神の形は、一人の神様を彫った単身道祖神、
男女二人の神様が並ぶ双体道祖神、
道祖神と文字を彫った文字碑があります。
多くは、江戸時代後期に建てられたと言われて
います。

2010年7月~2016年6月に「走り旅」をした
中山道は、道祖神を始め石仏•石塔の宝庫
です。


記録と写真を頼りに再び中山道を巡り、記憶に
残る道祖神のいくつかを紹介します。
写真はプリントしたものを再撮影して
いるため不鮮明ですが、ご容赦ください。

倉賀野宿
倉賀野宿は、中山道と日光例幣使道の追分に
あります。日光例幣使道とは、家康の命日に
行われる日光東照宮例祭に朝廷から派遣される
勅使(例幣使)が通行した街道です。

倉賀野宿碑や石灯篭のそばに双体道祖神が
あります。相当磨耗していますが、
仲睦まじく寄り添う男女の神様が見て取れます。


板鼻宿
城下町として栄えた高崎宿の次の宿場で、
碓井川の渡しを控えて数多くの旅籠が軒を並べていました。

男女の神様がお酒を酌み交わして祝言を挙げて
います。


安中宿
藩士の心身鍛錬のため、碓井峠の熊野権現まで
7里余りを走る「安政の遠足」は、日本の
マラソンの起源とされています。

磨耗の激しさが却って、二人の仲の温かみを
滲ませています。


追分宿
厳しい上り坂が続く碓井峠を越えると軽井沢宿、
暫く行くと、中山道と北国街道の分岐点
「分去れ(追分)」に着きます。
分去れの碑や石灯篭と共に、道祖神の文字碑が
あります。


望月宿
八月の満月の日に朝廷に名馬を献上したことから
「望月」と名付けられた望月宿は、
今も宿場情緒に溢れています。

ここ百沢の地に祝言道祖神があります。
宮廷貴族の装いをして酒を酌み交わす華麗な
祝言像です。


            この稿、続きます。

人気ブログランキングに参加しています。
宜しければ、下のバナーにタップをお願いします。


人気ブログランキング