朝比奈あすか『翼の翼』-元 大手塾講師・現 家庭教師の視点からの感想

中学受験関連の書籍レビュー

言わずと知れた、朝比奈あすか氏の中学受験小説『翼の翼』のレビューを、元 大手集団塾講師、現役家庭教師の視点から書いていきます。

今回は、大きく分けて2つの感想を書きます。

一つ目は、この本の「個別エピソード」に関して。一つ一つのエピソードはおそろしくリアルでした。業界人の目線から見て、色々気づいたことがあったので、それを綴ります。

二つ目は、「小説としての内容の是非」についてです。親が子どもを教育虐待し、それでいて「でも、親もこれだけ苦しかったんだ!」という描かれ方をしていて、最後はハッピーエンドのようにまとめられている。果たしてそれが良いのか悪いのか? 個人的な価値観の問題になりますが、私見を語ってみたいと思います。

リアリティ満載の個別エピソード

この小説、あえて言葉を選ばずに汚い表現をさせていただくと、「胸糞が悪くなるような」描写が多いです。ママ友同士のマウンティング、教育虐待など。中学受験の暗部を、ここまでのリアリティを持って描いた作品はないので、そういう意味では見どころのある小説といえます。

とりとめない形になりますが、各エピソードに関しての私の感想を書きます。

エピソード1:入塾テストのとき、塾の先生が「首都圏のトップ校も目指せる」と言う

入塾テスト時の先生の「首都圏トップ校も目指せる」発言に関してですが、読者様の中にも「似たようなことを言われた」という方もいらっしゃるのではないでしょうか? このエピソード、リアルですよね。

ただ、これについては個人的な意見があります。仮に講師の目からトップ校が目指せるように見えたとしても、低学年の段階で、それを発言するべきではない、ということです。実際、翼が良い例で、円佳(本作の主人公。翼の母)の実家がバタついたことが、間接的なきっかけになって、成績が落ちていっています。そして、「やればできるはずだから」「今はやりきれていないだけだから」と、翼の家では教育虐待が始まった。

教育虐待は極端な例としても、取り返そう、取り返そうと泥沼にはまっていってしまうご家庭は見かけます。この先生は超ベテランなので、「こういう流れが起こりうるかも?」と予測できているはずです(※)。それなのに、なぜ軽率ともいえる発言をしたかといえば、ひとえに、大手集団塾の集客方針に従ったサラリーマンの悲しい性なわけですね。自分も元々は大手塾の講師なのでよくわかります。その点に関してだけいえば、真治(翼の父)の「営業だろ」という発言は正しいです。

(※ 6/10追記:よくよく考えてみると、塾の先生は家庭には入り込まないので、ベテランであっても、そういった保護者の心情の流れまではわからない場合も多いな、と自分の在職経験から思い出しました。ただ、いずれにせよ、この物語はフィクションなので、朝比奈氏がどこまでキャラ設定を作りこんだのかはわかりません)

あとは、塾講師が、薄い根拠で、「御三家目指せますよ」と親に軽く親に伝えてしまうということもあります。役職者でもそういう先生がいる、という事例を見てきました。

たとえば、「算数」において、あるお子さんの入塾テストの結果が非常に良かった。だが、それは幼少期に中学受験カリキュラムの先取りをしていたがゆえだった。要するに、単に「知っている」から解けているだけなのに、講師が「これだけできているから、御三家間違いなし」という評価をくだしてしまうわけです。ですが、御三家のレベルになると、初見の問題に対して、その場で「考えられるか」がカギになってくるので、この分析は大きくズレている。しかも、そもそも算数だけで受験に合格できるわけではないので、他の科目の視点がないのも問題点といえます。

エピソード2:成功したママ友の勉強法を知りたがる

新しく知り合ったママ友の林が、娘を「四天王」(←リアルでいう「御三家」のようなもの)に入れたと聞いた円佳。林は「一年間仕事を休んで、つきっきりで子どもを教えた」と語り、以下のような円佳の心理描写があります。

その「つきっきり」とは、一体どの科目をどのように教えたのか、どこからどこまで教えたのか。できれば四年生のこの時期に、エイチ(塾)でどのクラスにいたのか、全国一斉実力テストではどのくらいの順位だったのかも知りたい。そこまで具体的なことは訊きにくいが、当時の学習スケジュールを全て教えてもらいたいくらいだ。

朝比奈あすか『翼の翼』 光文社

こういったことが気になる心情は非常によくわかります。しかし、仮に林の学習法(子どもに与えたテキストや教え方)を、円佳がそのまま翼に教え込んでも、成果は出ないものです。中学受験は、いかに子どもの個性・能力にフィットした学習が実行できるかが大切。子どもと向き合いながら、「何をやるか」だけでなく、「どうやるか」を考えていくことが、よりいっそう重要になります。

スマホやSNSが普及して、中学受験に成功した家庭の学習法が広く知られるようになりました。ですが、「なぜその家庭が、そういったメソッドを採用したか?」や、「その手法は、自分の子にフィットしているのか?」を考え抜けず、模倣に終始してしまっているご家庭も多い。なので、円佳の身の乗り出し具合は「あるある」だな、と思いました。

佐藤ママの記事にも書きましたが、受験においては、一本、芯が通ったご家庭が勝ちやすい傾向にあります。作中では真治が決定的なことをした(手をあげた)ので、真治が悪者になっていますが、仮に真治がいなかったとしても、あれこれ他人を気にしてしまう円佳の性格は、子どもを精神的に不安定にし、伸ばしづらいようにも思います。このことは、以前にSNSに関する記事にも書きました。

小説としての内容の是非について

最後にお話全体の内容の是非について書きます。非常に辛口のことを書くので、「こういう意見もあるのだな」という受け止め方ができないタイプの方は、ブラウザバックされることを推奨いたします。

この小説の感想は、amazonレビューを見ていると、肯定的意見9割、否定的意見1割のようです。

高く評価をしている方の意見としては、「主人公に共感できた」「自分も中受母だが、自分を振り返るきっかけになった」「いろいろあったが、ハッピーエンドで感動した」など。

評価が低い方の意見としては、「毒親が子どもに教育虐待をして、それをあたかも感動モノのように描くことが信じられない」「心理描写が浅い」など。

ちなみに私は後者の意見です。文学とは、人間の奥底にある目をそらしたくなるような心理に対して、徹底的に見つめ直すものだと考えます。その舞台として、[中学受験を通した教育虐待]というテーマを選ぶこと自体は良いのですが、主人公の自己心理との向き合い方が非常に甘いため、読後感が「胸糞が悪い」になってしまうのだと思います。

主人公夫妻が、自分の「罪悪感」と本気で向き合っていたら、あのようなご都合主義のラストにはなっていません。同じように「罪悪感」を描いた物語に、夏目漱石の『こころ』があります。高校生のとき、『こころ』を初めて読んだ際は戦慄を覚え、何日もショック状態が続きましたが、「胸糞が悪い」とは全く感じませんでした。登場人物である「先生」が追い詰められるほど、過去を悔やみ、内省している。その気持ちがこちらが苦しくなるほど伝わってきたからです。でも、主人公の円佳にはそれが無い。

「なぜ、教育虐待するまでにいたったか?」の背景にあるものの堀り下げが甘すぎるのも、この本を「浅いな」と感じてしまう一因になっています。ひたすら大手塾のシステムや、周囲の人の言動に流されてしまっており、見栄やプライドばかりで、自己反省がなく、何より自分の気持ちと向き合えていない円佳。そして、最終的には一番大事なもの(子どもである翼)を大きく傷つけてしまう。なぜ、そうなってしまったのでしょうか?

「人間としての流されやすさ」に関しては、読者である私自身にもそういった側面はあって、主人公を愚かだと思うのも、ある種の同族嫌悪だとは認めます。すなわち、現代の日本人像をリアリティをもって描くことには成功しているのですが、そこで終わってしまっているから、「でも、仕方ないじゃない。だって、みんなそうでしょう?」と、まるで開き直っているかのように見えてしまう。

結局は、読みやすさや共感性を軸とした「大衆小説」に過ぎないな、という感想です。

先述の内容を書こうとすると、哲学や社会学的な観点が必要になってくるのでしょう。朝比奈氏が書けていない境地にまで深く切り込んだのが、村上龍氏の『すべての男は消耗品である』。さまざまな社会問題などに対して、筆者が論じているエッセイ集なのですが、その中の一節に「お受験」をテーマとした話があり、短い文章ながら、切り口の鋭さに衝撃を受けました。いつか機会があったら、このブログでレビューをしたいと思います。

また、矢萩邦彦氏の『新装改訂版 中学受験を考えたときに読む本』も、タイトルからは想像しがたいですが、単に中学受験について書かれているだけではなく、本質的な何かを考えられるようなヒントが散りばめられていると感じました。こちらの本の書評も書きましたので、興味がありましたら、以下のリンクよりご覧ください。

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