入院26日目 2月25日 9w5d

 

 

 

昨日から高カロリーの点滴(アミノフリード)を始めたのは良かったが

血管痛がすごかった。

ピリピリ、ずきずき・・・・・。


 

悪阻の状態は変わらなかったが

カロリーが入ったせいなのか

なんとなく少しだけ、ほんの少しだけだけど

元気になれたような気がした。


 

それは、少しうれしかったけど

血管の痛みがものすごい。

液がどこをどのように流れているのが分かる。

こんなに痛いとは思わなかった・・・・・。


 

私の黄緑にあざだらけになった腕をよ~くみてみると

血管に沿って赤ーく炎症をおこしていた。


 

痛い痛い・・・・。痛いよ~・・・・。


 

痛いけど、もう1ヶ月近く飲み食いしていない私には

高カロリーの点滴は魅力的だった。

とにかく、少しでも多くのカロリーをとりたかった。
 

点滴は水分にビタミンを混ぜたものを2本

この高カロリーのアミノフリードというものを1本

合計3本でしばらくやっていこうということになった。


 

点滴はいったい何本やったのだろう・・・・。

数えてみたら、もうすでに 89本の点滴をしていた。


 

我ながら、びっくりだった。

いったいあと何本の点滴をすることになるのだろうか。

自分の黄緑のあざだらけの両腕をみて鳥肌がたった。

 

まだ、10週にもなっていないのに・・・・。

私の身体は本当に10ヶ月も耐えれるのだろうか・・・・。

カウントダウンするには、出産までの日が遠すぎる。

けど、ついついカウントダウンしてしまう。

・・・・・・出産まではまだまだ遥か遠い道のりだ。

 


 

まさか、こんなマタニティーライフになるとは

まったく想像していなかった。私も、主人も・・・・。

 

 

 


 

だいぶ前に主人が買ってきてくれたたまごくらぶを

ソファーからとり、始めてパラパラっとみてみた。


 

そこには、妊娠2ヶ月位の妊婦さんから出産までの妊婦さんの

日々の様子みたいなものが掲載されていた。


 

同じ時期くらいの妊婦さんがつわりがひどいと書いてあった。

「つわりがひどくて果物しかたべれません・・・。」

写真の顔は笑顔、化粧もばっちり。


 

次元が違うわ・・・・・ガーン


 

私のつわりとはまったく次元が違った。

つわり仲間をさがして自分を励まそうと思ったが

たまごくらぶには残念ながら仲間はいなかった。


 

まあ、そりゃそうだな。


 

そこのページを2,3分みただけだったが

ひどく疲れてしまい

また、嘔吐を誘発してしまったため

雑誌を閉じてトイレに駆け込んだ。


 

「うえっ、うえっ、うえっ。げーーーー、まずい。」


 

自分の吐いているものがまずくてしょうがない。

胆汁、血液、胃液などミックスされたものは

苦くて気持ちわるい。


 

「げーっ、げーっ、うえーーーっ。」


 

落ち着いたのを見計らって

水道で口をゆすぐ。


 

水道水が甘くて甘くて砂糖水のように感じる。


 

またこれも気持ち悪い。

 

 

 

「おはようございます。」

 

いつもの産科のDrの回診だった。

今日は唯一優しい北西Drだった。

「内科の先生、来てくれたでしょ?点滴をアミノフリードにかえたみたいだね。

すこしは変わる?」

 

「ほんの少し元気がでたと思ったんですけど

今、ずっとまた吐いていたので疲れちゃって。」

 

ベッドからげっそりとしながらそう答えた。

 

「あと、血管が痛くて痛くて。この薬液って、こんなに痛いものなんですか?」

 

「副作用で、血管痛があるから、なかなか使わないんだよね。やっぱり痛いよね?」

 

「そうですか、けどせっかくなので我慢できるところまでやってみます。」

 

「あまり、痛いようなら看護師さんにはずしてもらってくださいね。

今日はまた外来でエコーみてみましょうか?

赤ちゃんの様子みたら少し元気でるかもよ!」

 

 

「はい、お願いします。ありがとうございました。」

 

 

 

 

ありがたかった。

今の私にはほんの少しの優しい声かけが身に染みる。

 

Drが退室した後

心の中ででもう一度つぶやいた。

 

 

「ありがとうございます・・・・・。」

 

 

 

その後ナースコールで

「越水さん、外来へ降りてください。」と呼ばれ

ガーグルベースン(吐く器)を片手にもち

いつものごとく、100歳くらいのおばあちゃんのように

手すりと点滴棒につかまりながら必死に降りていった。

 

もちろん、外来ではまたいつもの元気な妊婦さんたちから

好奇なまなざしでみられ

私の汚い姿をさらしながら診察室から呼ばれるのを

ソファーで待った。

 

妊婦たちがたくさんいるけど

何でみんなそんなにスタスタと元気に歩いているんだろうか・・・・・。

 

 

歩き方さえ忘れかけているわたしには

不思議でしょうがなかった。

 

 

 

外来ではエコーで赤ちゃんをみて

こんな、ぼろぼろの私の中でも

少しずつ成長し元気に育っていて

顔、手、足がわかるようになっていた。

 

しかし、うれしいとかなんだとかそんな感情よりも先に

とにかく気持ち悪くてしょうがなかった。

1秒でもはやく病室に戻ってトイレを抱えたかった。

 

 

気持ちだけはあせったが体がうまく動かすことができない。

 

もらったエコーの写真を手に、点滴棒と手すりにつかまりながら

一歩一歩ゆっくりと・・・・

元気な妊婦の前で、吐いてしまわないよに、粗相をしないようにと

必死に病室へと戻っていった。

 




 

 

いま、悪阻などでマタニティーライフを

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書き始めました。

これは、私が過去に経験した回想日記です。

 

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次々と溜まるこの写真は当時、入院した部屋のサイドテーブルの引きだしにためていて、

3年くらいたってからやっとアルバムにしました。

地獄のマタニティーライフ