2022年9月27日火曜日

粘着質--10

私はついそのような感想を持ったが、彼に言わせると、実は違うと言う。私はこのタイプの人を、恐らく自信過剰なのだと思っていた。だがそうではないと彼は言う。

「元は劣等感さ」

不快さを鼻息で飛ばすような言い方だ。劣等感が逆に出ると言うのだ。

私はちょっと小首を傾げた。

「そうかな、劣等感があったら自信家になれないのじゃないかね」

「お前ならそうかも知れん、だがちょっと子供の頃のことを思い出したら直ぐにハハーンと来るぜ」

ああ、なるほど。自分より褒められる人間が気に入らなくてしょうがない。自分より上に居る奴が憎い。確かにそう言うことはあった。それが正当でも認められない。だから機会があれば自分より凄い人の評価を下げようとする。子供の頃は元より、大人になってもすっかり消えることはない。

「その、劣等感の相手がお前だというのだな」

「この場合はね、でもそれは大して重要じゃない、こういう人はきっかけを作った人間の誰にでも噛みつく」

そしてその切っ掛けは、彼が一般論として記した周辺の絵描きに関する苦言だった。画家の大半はお説を持っていてそれを得意げにしゃべることが多い。中には堂々と他を批判している人も居る。それが彼には不快だった。元々彼はそのタイプが嫌いなのだ。程々にしませんかというような記事を書いたことがあるらしい。

この人は自分が教える側に回っているのにどうみても自分が素人の域を出ていないことを自分で知っている。自分の中ではそれが鬱屈している。教える側なので要らぬ背伸びもしなければならない。先生としての立場があるから、出来の悪い絵でも、絵は上手い下手ではないと、もっともらしい言葉で誤魔化さねばならない。それがドロドロと絡んで解きようのないまでになっている。

「ふーん、そうかなあ…」

そう言う解釈は私には少々人が好過ぎるように思えた。私には、もっと救いようのない邪鬼のようなものをこの場合感じるのだ。

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