決して関係の良くなかった兄なのに、手術が無事に済むように、まったく不似合いだが、癌で願い事をするような神社を見つけてお参りもした。何度も何度も頭を下げて、何とか無事に済みますようにと呟いた。
何故なんだろうか。実際この兄が好きだと思えたことなど一度もない。どころか、いつまでも頭の上に漂っている黒い雲でしかなかったのに。
「とにかく、無事に済みました。でも、普通で居られるのは一か月、長くても二か月ですよ」
主治医はそう説明した。こんなとき、二か月持つなどと甘くは考えない方が良い。大体はそう言うものだ。とするとここからの一か月、なるべく好きなことをさせてやるしかない。好きなことと言ってもどこへ行って何がということはもうない。ずっと横になって、図書館から読みたい本などを借りてきてやるくらいのものだった。弱っているから、風呂やトイレくらいは自分でできるがその他のことは一切できない。それまでは食事の準備くらいはやってくれていたが、以後はそれも自分がやらねばならなくなった。
数日後、退院時に食事の注意など一応の説明を聞いて、私ももう車に乗らぬので二人してタクシーで帰宅した。癌であることを知らせないままだから、すっかり事が済んだのだと思い込んでいる兄は、車の中で気楽に世間話などをしていた。適当に笑みを浮かべながら相槌を打ってそれに応じたが、私の気は重かった。そんな私の優れぬ表情にも、兄はあまり勘づいていないようだった。
家では母が横になっていた。以前は座って編み物などをしていたが、この頃は横になっていることが多い。老いているが、この母より兄は先に逝くのだ。そして母も、何年この状態で居られるのか分からない。そしていずれ自分の時が来る。その時私がどんなになっているのかと、起き上がってきた母を見ながらそう思った。
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