2022年11月27日日曜日

癌 11

「ああ、お兄ちゃん帰ったんか」

母は兄のことをお兄ちゃんと呼んでいる。私を名前で呼んで兄をお兄ちゃんと、いったいいつの頃からだったろうか。

母は事情がよく呑み込めない。兄にさえ言わぬのに母に本当のことを言う必要などなかった。今回も胃潰瘍としか思っていない。二人してそう思っているから、そのままで良いのだ。

「ご飯食べるか」

いきなり頓珍漢なことを言う。

手術を終えてようやく家に戻ってきてやれやれの雰囲気になったが、とにかく消化の良い柔らかいものしか食べられない。お粥とかなるべくほぐしたようなものばかりだ。通勤している時は、腹を空かせて帰ってくるから、とにかく何か食べてから寝る習慣だった。きっとそんなことも良くなかったのだろう。しかしとにかく、若い頃から胃は丈夫ではなかった。唇にそれがすぐに表れるようなことだった。

「もう治ったんか」

母が半分寝ぼけたような顔でとぼけたことを訊いた。

「そや、悪いとこをすっかり切ったからな。でも、病み上がりや。しばらくはあまり食べられんのや」

医者から渡されたプリントを見ながら、もうすっかり心配事が去ったかのようなすっきりした顔でそんなことを兄は呟いた。

事態を背負っている孤独を私は感じた。私だってそんなに健康じゃない。血糖値も血圧も高く、仕事を抱えつつ、この二人を見て行かねばならない。母は自分でトイレに行ける以外は何もできず、これからは兄もほぼテレビをつけっ放しの寝たっきりになる。自分に何かあったらと思うと同時に、小さな平穏も長くは続かない、主治医は家に居られるのは長くても二か月と言っていた。以後はもう戻れない。その間を、なるべく普通に過ごすしかないのだった。


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