大阪よどこへ行く 前編

こんばんは❗️

大阪在住のホテルマンが徒然なるままに所感を述べさせて頂きます。

本日のタイトルは大阪よどこへ行く、でございます。

 

大阪についてネットで調べていると、様々な意見や印象が出て参ります。

その中で特に興味を惹かれたご意見を何人かの方が述べておられました。

 

大阪は中国に似ている。

 

このご意見、どう受け止めれば良いか多少判断に迷うところでございます。

そもそも中国という国の放つイメージがこの文脈において、ポジティブなものなのかネガティブなものなのか私には分かりかねます。。

 

いえ、厳密には十分すぎる程に分かってはいるのですが、大阪梅田の地下ダンジョンの数万倍複雑に入り組んだ歴史を持つ、中国という大国を一言で言い表す事に躊躇いが無いと言えば嘘になります。

 

成程、そう言われてみれば似ているような気も致します。

主張が強いところや、郷土愛の深いところ、繋がりを大切にするところ、細かいことは気にしないところ、自由を愛するところ、自由を愛するあまり、自転車のマナーに少々問題があるところ。

 

いずれも偏見には違いありませんが、やはりどこか共通点を感じる方は多数いらっしゃるのではないでしょうか。

 

私もその一人でございます。

 

話は遡りますが、中国は約170年程前、アヘン戦争において欧米列強に屈しました。

今でこそ歴史の1ページとなっておりますが、当時においては大事件だったに違いありません。

 

アジアに激震が走ったことでしょう。

 

中国といえば、東洋の盟主。

アジアの父であり母でありまた孔子を輩出した、名実共に東洋世界におけるリーダーでございます。

それがどこかから台頭してきた夷狄の蛮族如きに完膚なきまで叩きのめされるとは、晴天の霹靂とはこのことだったでしょう。

 

そう、中国は敗れたのです。

あろうことか自分を師と仰ぐアジア諸国の目の前で。

 

朝鮮半島は震撼致しました、勿論日本も衝撃を受けました。ただし、衝撃を受けたその次にはもうすでに論語から西洋の書物へとその手は移っていたようでございます。

この移り変わりの速さは日本の長所であり、また致命的なまでの短所ともなり得る特徴でしょう。

 

朝鮮半島は、中国の没落に殉じる形でその歴史は悲哀と分断の中に埋没する道を選びました。

どの道が正しかったのかは分かりません。

私がここで言いたいのは、アジア諸国は中国の没落とともに、一家離散するようにそれぞれの道を歩んだということでございます。

 

さて、話を我らがジャイアンこと大阪、大阪ことジャイアンに戻しましょう。

 

ジャイアンは無敵です。最強です。

ドラえもんを別にすれば、あの秩序の中では頂点に君臨していると言って過言ではないでしょう、しかも長期に渡って。

のび太から見てもそうです。

出来杉君ですら、ジャイアンに比べれば取るに足りません。おそらく将来的には有名な大学に行き、大企業に入り、年収的には数倍の差がつく可能性が高いですが、正直そんなことはジャイアン的秩序にとっては、蚊ほどの脅威でもございません。

ある意味、ただのませたこどもです。

 

ジャイアンの権威に唯一傷が付くとしたらそれは、皆んなの前で隣町のガキ大将に喧嘩で敗れ降伏した時でしょう。

皆呆然とし、受け入れることに逡巡し、やがて一つの秩序は終わりを迎えるでしょう。

 

そんな風に中国は西洋に敗れ、そして大阪は日本の中でより西洋的秩序を代表する「東京」という大都会に敗れたのでした。。

 

 

 

 

ここまで読んで頂いた皆様、有難うございました。🙂